Check out the new design

আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো * - অনুবাদসমূহৰ সূচীপত্ৰ

XML CSV Excel API
Please review the Terms and Policies

অৰ্থানুবাদ ছুৰা: আলে ইমৰাণ   আয়াত:
ٱلَّذِينَ يَقُولُونَ رَبَّنَآ إِنَّنَآ ءَامَنَّا فَٱغۡفِرۡ لَنَا ذُنُوبَنَا وَقِنَا عَذَابَ ٱلنَّارِ
(彼らは、こう言う。)「我らが主*よ、私たちは本当に信仰しました。ゆえに、私たちのために私たちの罪をお赦しになり、私たちを業火の懲罰からお救い下さい」。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
ٱلصَّٰبِرِينَ وَٱلصَّٰدِقِينَ وَٱلۡقَٰنِتِينَ وَٱلۡمُنفِقِينَ وَٱلۡمُسۡتَغۡفِرِينَ بِٱلۡأَسۡحَارِ
(彼らは)忍耐*があり、(言動において)正直、(アッラー*の教えに)従順で、(施しのために)よく費やし、夜明け前に(罪の)赦しを乞う者たち。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
شَهِدَ ٱللَّهُ أَنَّهُۥ لَآ إِلَٰهَ إِلَّا هُوَ وَٱلۡمَلَٰٓئِكَةُ وَأُوْلُواْ ٱلۡعِلۡمِ قَآئِمَۢا بِٱلۡقِسۡطِۚ لَآ إِلَٰهَ إِلَّا هُوَ ٱلۡعَزِيزُ ٱلۡحَكِيمُ
アッラー*は、公正を行われるかれの外に、崇拝*すべきものがないことを証言された。そして天使*たちも、知識ある者たちも、また(それを証言する)。かれの外に、崇拝*すべきものはない。(かれは)偉力ならびない*お方、英知あふれる*お方。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
إِنَّ ٱلدِّينَ عِندَ ٱللَّهِ ٱلۡإِسۡلَٰمُۗ وَمَا ٱخۡتَلَفَ ٱلَّذِينَ أُوتُواْ ٱلۡكِتَٰبَ إِلَّا مِنۢ بَعۡدِ مَا جَآءَهُمُ ٱلۡعِلۡمُ بَغۡيَۢا بَيۡنَهُمۡۗ وَمَن يَكۡفُرۡ بِـَٔايَٰتِ ٱللَّهِ فَإِنَّ ٱللَّهَ سَرِيعُ ٱلۡحِسَابِ
本当にアッラー*の御許における(真の)宗教[1]はイスラーム*である。そして啓典を授けられた人々が意見を異にしたのは、彼らのもとに知識[2]が到来した後のこと、彼らの間の侵犯[3]ゆえ以外の何ものでもなかった。誰だろうとアッラー*の御徴[4]を否定する者があっても(、アッラー*は彼にその応報を与えられるのであり)、本当にアッラー*は即座に計算されるお方*なのだ。
[1] アッラー*が創造物に対してお喜びになり、使徒*たちに託(たく)して遣(つか)わし、それ以外のものはお受け入れにはならない「宗教」のこと(ムヤッサル52頁参照)。アーヤ*85も参照。 [2] この「知識」は、使徒*や啓典のこと(前掲書、同頁参照)。相談章14の訳注も参照。 [3] この「侵犯」については、雌牛章213の訳注を参照。 [4] この「御徴」は、クルアーン*のアーヤ*、及びアッラーの唯一性*を示す証拠のこと(前掲書、同頁参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
فَإِنۡ حَآجُّوكَ فَقُلۡ أَسۡلَمۡتُ وَجۡهِيَ لِلَّهِ وَمَنِ ٱتَّبَعَنِۗ وَقُل لِّلَّذِينَ أُوتُواْ ٱلۡكِتَٰبَ وَٱلۡأُمِّيِّـۧنَ ءَأَسۡلَمۡتُمۡۚ فَإِنۡ أَسۡلَمُواْ فَقَدِ ٱهۡتَدَواْۖ وَّإِن تَوَلَّوۡاْ فَإِنَّمَا عَلَيۡكَ ٱلۡبَلَٰغُۗ وَٱللَّهُ بَصِيرُۢ بِٱلۡعِبَادِ
それで(使徒*よ)、もし彼ら(啓典の民*)があなたに(アッラーの唯一性*について)論争してくるのなら、言ってやるがよい。「私はアッラー*に(のみ)自分の顔を向け、服従した[1]。そして、私に従った者も同様である」。また、啓典を授けられた者*たちと文盲者たち[2]に、(こう)言うのだ。「あなた方は(アッラーの唯一性*において)、服従したのか?[3]」もし服従したならば、彼らは確かに(正しく)導かれたのである。そして、もし彼らが背き去ったとしても、あなたの義務は(啓示の)伝達だけなのだ。アッラー*は、その僕たちをよくご覧になるお方。
[1] 「アッラー*にのみ顔を向け、服従する」については、雌牛章112の訳注を参照。 [2] アラブ人を筆頭(ひっとう)とする、シルク*の徒のこと(前掲書、同頁参照)。合同礼拝章2の同語に関する訳注も参照。 [3] この質問は命令の意味を含む、アラビア語に言い回し(アッ=タバリー3:1725参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
إِنَّ ٱلَّذِينَ يَكۡفُرُونَ بِـَٔايَٰتِ ٱللَّهِ وَيَقۡتُلُونَ ٱلنَّبِيِّـۧنَ بِغَيۡرِ حَقّٖ وَيَقۡتُلُونَ ٱلَّذِينَ يَأۡمُرُونَ بِٱلۡقِسۡطِ مِنَ ٱلنَّاسِ فَبَشِّرۡهُم بِعَذَابٍ أَلِيمٍ
本当に、アッラー*の御徴[1]を否定し、預言者*たちを不当に殺害し、人々の内、正義を命じる者たち[2]を殺す者たち[3]、彼らには、痛烈な懲罰の吉報⁴を告げてやるがよい。
[1] この「御徴」は、クルアーン*と使徒*ムハンマド*のこと(イブン・アル=ジャウズィー1:365参照)。 [2] つまり善事を命じ、悪事を禁じる者たち(アッ=サァディー126頁参照)。アーヤ*104とその訳注も参照。 [3] 預言者*たちを殺害したのは、ここで語り掛けられている預言者*ムハンマド*時代の啓典の民*の、先祖である。しかし、彼らが先祖のそのような行いに満足していたことから、それが彼ら自身の行いであるかのように表現されている(アブー・ハイヤーン2:314参照)。 4「吉報を告げること(ダブシール)は本来、喜ばしい知らせに用いられる。しかしここでは、彼らへの蔑(さげす)みを表す、修辞的表現として用いられている(イブン・アーシュール3:207参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
أُوْلَٰٓئِكَ ٱلَّذِينَ حَبِطَتۡ أَعۡمَٰلُهُمۡ فِي ٱلدُّنۡيَا وَٱلۡأٓخِرَةِ وَمَا لَهُم مِّن نَّٰصِرِينَ
それらの者たちは、現世と来世においてその行いが台無しになってしまった者たち。彼らには、いかなる援助者もない。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
 
অৰ্থানুবাদ ছুৰা: আলে ইমৰাণ
ছুৰাৰ তালিকা পৃষ্ঠা নং
 
আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো - অনুবাদসমূহৰ সূচীপত্ৰ

সাঈদ সাতুৱে ইয়াক অনুবাদ কৰিছে। মৰ্কজ ৰুৱাদুত তাৰ্জামাৰ তত্ত্বাৱধানত ইয়াক সংশোধন তথা উন্নীত কৰা হৈছে। ধাৰাবাহিক উন্নীত কৰণ, মূল্যায়ন আৰু মতামত প্ৰকাশৰ উদ্দেশ্যে মূল অনুবাদটো উন্মুক্ত কৰা হ'ল।

বন্ধ