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আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো * - অনুবাদসমূহৰ সূচীপত্ৰ

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অৰ্থানুবাদ ছুৰা: আল-হুজুৰাত   আয়াত:
وَلَوۡ أَنَّهُمۡ صَبَرُواْ حَتَّىٰ تَخۡرُجَ إِلَيۡهِمۡ لَكَانَ خَيۡرٗا لَّهُمۡۚ وَٱللَّهُ غَفُورٞ رَّحِيمٞ
そして、もし彼らが、彼(預言者*)が出てくるまで我慢していたら、彼らにとってもっと善いことだったのだ。アッラー*は赦し深いお方、慈愛深い*お方であられる。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
يَٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ إِن جَآءَكُمۡ فَاسِقُۢ بِنَبَإٖ فَتَبَيَّنُوٓاْ أَن تُصِيبُواْ قَوۡمَۢا بِجَهَٰلَةٖ فَتُصۡبِحُواْ عَلَىٰ مَا فَعَلۡتُمۡ نَٰدِمِينَ
信仰する者たちよ、もしあなた方のもとに放逸な者が何らかの消息を携えてやって来たら、(それを信用する前に、その真偽を)確認せよ[1]。あなた方が、ある民に無知から被害を及ぼし、それであなた方が自分たちがしたことゆえ、悔やむ者とならないように。[2]
[1] ここでの「放逸」さの意味には、「噓つき」「自分の罪を公(おおや)けにする者」「アッラー*に対して羞恥(しゅうち)心を抱かない者」といった諸説がある。尚、放逸であることが確定した者の情報・伝承は、例外的なものを除いては受け入れられないということで、学者間の見解は一致している(アル=クルトゥビー16:312参照)。 [2] このアーヤ*は、ワリード・ブン・ウクバが浄財*の徴収(ちょうしゅう)のため、ムスタラク族へ遣わされた際の出来事に関して下ったとされる。ムスタラク族が浄財を渡すことを拒んだというワリードの誤った報告により、ムスリムたちは危うく彼らを攻撃しそうになった(アフマド18459参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
وَٱعۡلَمُوٓاْ أَنَّ فِيكُمۡ رَسُولَ ٱللَّهِۚ لَوۡ يُطِيعُكُمۡ فِي كَثِيرٖ مِّنَ ٱلۡأَمۡرِ لَعَنِتُّمۡ وَلَٰكِنَّ ٱللَّهَ حَبَّبَ إِلَيۡكُمُ ٱلۡإِيمَٰنَ وَزَيَّنَهُۥ فِي قُلُوبِكُمۡ وَكَرَّهَ إِلَيۡكُمُ ٱلۡكُفۡرَ وَٱلۡفُسُوقَ وَٱلۡعِصۡيَانَۚ أُوْلَٰٓئِكَ هُمُ ٱلرَّٰشِدُونَ
そして知るのだ、あなた方の間には(あなた方の福利を知り、あなた方に善を望む)アッラー*の使徒*がいる、ということを。もし、彼が物事を多くにおいてあなた方に従えば、あなた方は苦境に陥ったであろう。しかしアッラー*は、あなた方に信仰を愛させ給い、それをあなた方の心に目映いものとされた。そして、あなた方に不信仰と放逸さと(アッラー*への)反抗を嫌わせ給うたのである。それらの者たちこそは、正しく導かれた者たちなのだ。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
فَضۡلٗا مِّنَ ٱللَّهِ وَنِعۡمَةٗۚ وَٱللَّهُ عَلِيمٌ حَكِيمٞ
アッラー*からのご恩寵と、恩恵ゆえ。アッラー*は全知者、英知あふれる*お方である。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
وَإِن طَآئِفَتَانِ مِنَ ٱلۡمُؤۡمِنِينَ ٱقۡتَتَلُواْ فَأَصۡلِحُواْ بَيۡنَهُمَاۖ فَإِنۢ بَغَتۡ إِحۡدَىٰهُمَا عَلَى ٱلۡأُخۡرَىٰ فَقَٰتِلُواْ ٱلَّتِي تَبۡغِي حَتَّىٰ تَفِيٓءَ إِلَىٰٓ أَمۡرِ ٱللَّهِۚ فَإِن فَآءَتۡ فَأَصۡلِحُواْ بَيۡنَهُمَا بِٱلۡعَدۡلِ وَأَقۡسِطُوٓاْۖ إِنَّ ٱللَّهَ يُحِبُّ ٱلۡمُقۡسِطِينَ
もし、信仰者たちからなる二派が戦い合ったなら、(信仰者たちよ、)彼らの間を取り持て[1]。そして、もしその一方が(呼びかけに応じずに、)他方を侵犯したのであれば、侵犯する方に対し、彼らがアッラー*のご命令[2]に立ち返るまで戦え。それで(その一派が、アッラー*のご命令に)立ち返ったなら、彼ら二派の間を正義で取り持ち、公正に(裁決)するのだ。本当にアッラー*は、公正にする者たちをお好みになるのだから。
[1] アッラー*とその使徒*の裁決へと招き、その裁決に満足させよ、ということ(ムヤッサル516頁参照)。 [2] 「アッラー*のご命令」とは、アッラー*とその使徒*の裁決のこと(前掲書、同頁参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
إِنَّمَا ٱلۡمُؤۡمِنُونَ إِخۡوَةٞ فَأَصۡلِحُواْ بَيۡنَ أَخَوَيۡكُمۡۚ وَٱتَّقُواْ ٱللَّهَ لَعَلَّكُمۡ تُرۡحَمُونَ
本当に信仰者たちは、(宗教における)同胞なのである。ならば、あなた方の同胞を取り持つがよい。そしてあなた方が慈しまれるよう、アッラー*を畏れる*のだ。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
يَٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ لَا يَسۡخَرۡ قَوۡمٞ مِّن قَوۡمٍ عَسَىٰٓ أَن يَكُونُواْ خَيۡرٗا مِّنۡهُمۡ وَلَا نِسَآءٞ مِّن نِّسَآءٍ عَسَىٰٓ أَن يَكُنَّ خَيۡرٗا مِّنۡهُنَّۖ وَلَا تَلۡمِزُوٓاْ أَنفُسَكُمۡ وَلَا تَنَابَزُواْ بِٱلۡأَلۡقَٰبِۖ بِئۡسَ ٱلِٱسۡمُ ٱلۡفُسُوقُ بَعۡدَ ٱلۡإِيمَٰنِۚ وَمَن لَّمۡ يَتُبۡ فَأُوْلَٰٓئِكَ هُمُ ٱلظَّٰلِمُونَ
信仰する者たちよ、ある民が別の民を馬鹿にしてはならない。(馬鹿にされた)彼らの方が、(馬鹿にした)彼らより優れているかもしれないのだから。また、ある女性たちが、別の女性たちを馬鹿にしてはならない。(馬鹿にされた)彼女らの方が、(馬鹿にした)彼女らより優れているかもしれないのだから[1]。また、あなた方自身[2]を中傷したり、(本人が嫌がる)あだ名で呼び合ったりしてはならない。信仰(に入った)後に放逸さで呼ばれることの、何と醜悪なことか[3]。そして(これらの悪事から)悔悟しない者こそは、不正*者なのである。
[1] 人間が真に徳とすべきことは、大方の場合において嘲笑(ちょうしょう)の対象となる姿形、地位、状況といった表面的なものではなく、心の中に秘められた内面的なものである。ゆえに人は、もしかするとアッラー*の御許では自分よりも徳の高い者であるかもしれない他人を、無闇(むやみ)に蔑(さげす)むべきではない。そうすれば彼は、アッラー*の御許で高い地位にある者を蔑むことにより、自分自身を害することになるからだ(アブー・アッ=スウード8:121参照)。預言者*は、こう仰(おっしゃ)っている。「本当にアッラー*は、あなた方の姿や財産をご覧になるのではない。しかし、あなた方の心と行いをご覧になるのである。」(ムスリム「善行と血縁の絆と礼儀作法の書」34参照) [2] 他人が「あなた方自身」と表現されているのは、「同胞を中傷した者は、自分自身を中傷したも同様」で、「他人を中傷する者は、大抵、自分自身も相手から中傷されるから」(アッ=ラーズイー10:109参照)。 [3] 信仰に入った後に、これらの罪を犯す者は「放逸な者」である(アル=カースィミー15:5461参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
 
অৰ্থানুবাদ ছুৰা: আল-হুজুৰাত
ছুৰাৰ তালিকা পৃষ্ঠা নং
 
আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো - অনুবাদসমূহৰ সূচীপত্ৰ

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