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আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো * - অনুবাদসমূহৰ সূচীপত্ৰ

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অৰ্থানুবাদ ছুৰা: আল-আ'ৰাফ   আয়াত:
وَنَادَىٰٓ أَصۡحَٰبُ ٱلۡجَنَّةِ أَصۡحَٰبَ ٱلنَّارِ أَن قَدۡ وَجَدۡنَا مَا وَعَدَنَا رَبُّنَا حَقّٗا فَهَلۡ وَجَدتُّم مَّا وَعَدَ رَبُّكُمۡ حَقّٗاۖ قَالُواْ نَعَمۡۚ فَأَذَّنَ مُؤَذِّنُۢ بَيۡنَهُمۡ أَن لَّعۡنَةُ ٱللَّهِ عَلَى ٱلظَّٰلِمِينَ
天国の民は、地獄の民に(こう)呼びかける。「私たちは確かに、我らが主*が私たちに約束されたものが真実だと見出した。それであなた方は、あなた方の主*があなた方に約束されたものが真実だと見出したのか?」彼ら(地獄の民)は言う。「えぇ(、見出しましたとも)」。そして呼びかける。「不正*者たちにアッラー*の呪い[1]あれ」。
[1] 「アッラー*の呪い」については、雌牛章88の訳注を参照。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
ٱلَّذِينَ يَصُدُّونَ عَن سَبِيلِ ٱللَّهِ وَيَبۡغُونَهَا عِوَجٗا وَهُم بِٱلۡأٓخِرَةِ كَٰفِرُونَ
(彼らは、自分たちと人々を)アッラー*の道から阻み、それ(その道)を捻じ曲げようとする者たち。そして彼らは、来世を否定する者たちなのである。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
وَبَيۡنَهُمَا حِجَابٞۚ وَعَلَى ٱلۡأَعۡرَافِ رِجَالٞ يَعۡرِفُونَ كُلَّۢا بِسِيمَىٰهُمۡۚ وَنَادَوۡاْ أَصۡحَٰبَ ٱلۡجَنَّةِ أَن سَلَٰمٌ عَلَيۡكُمۡۚ لَمۡ يَدۡخُلُوهَا وَهُمۡ يَطۡمَعُونَ
(天国の民と地獄の民の)両者の間には、障壁[1]がある。そして高壁の上には、(両者)いずれのことも、その目印によって知る者たちがいる[2]。彼らは天国の民に、(こう)呼びかける。「あなた方に平安を[3]」。彼ら(高壁の民)は、(自分たちも天国に入ることを)所望しつつも、(まだ)そこに入れずにいる。
[1] この障壁が、すなわち高壁のことである、とされる(ムヤッサル156頁参照)。一説にこれは、鉄章13に登場する壁のこと(アッ=タバリー5:3517参照)。 [2] この「高壁の民」は、現世での善行と悪行が同等であったため、天国・地獄のいずれに入ることも許されてはいない者たちのこととされる(イブン・カスィール3:418-420参照)。尚、天国の民の「目印」とは、顔の美しさと白さ(イムラーン家章107参照)で、地獄の民の「目印」は顔の醜(みにく)さと黒さ(イムラーン家章106参照)である、と言われる(アル=クルトゥビー7:212参照)。 [3] 「あなた方に平安を」については、雷鳴章24の訳注を参照。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
۞ وَإِذَا صُرِفَتۡ أَبۡصَٰرُهُمۡ تِلۡقَآءَ أَصۡحَٰبِ ٱلنَّارِ قَالُواْ رَبَّنَا لَا تَجۡعَلۡنَا مَعَ ٱلۡقَوۡمِ ٱلظَّٰلِمِينَ
また、彼ら(高壁の民)の目が地獄の民の方に向けられると、彼らは(こう)言う。「我らが主*よ、私たちを不正*者である民と一緒にはしないで下さい!」
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
وَنَادَىٰٓ أَصۡحَٰبُ ٱلۡأَعۡرَافِ رِجَالٗا يَعۡرِفُونَهُم بِسِيمَىٰهُمۡ قَالُواْ مَآ أَغۡنَىٰ عَنكُمۡ جَمۡعُكُمۡ وَمَا كُنتُمۡ تَسۡتَكۡبِرُونَ
また高壁の民は、その目印によって知る者たち[1]に呼びかけ、(こう)言う。「あなた方が(現世で)集めていたものも、あなた方が思い上がっていたこと[2]も、(この日、)自分自身の役に立たなかったではないか?
[1] 不信仰者*の内でも、その指導者的な地位にあった者たち(ムヤッサル156頁参照)。 [2] 「集めていたもの」とは、財産や仲間など。「思い上がっていたこと」とは、アッラー*への信仰と、真理を受容することに対する思い上がりのこと(前掲書、同頁参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
أَهَٰٓؤُلَآءِ ٱلَّذِينَ أَقۡسَمۡتُمۡ لَا يَنَالُهُمُ ٱللَّهُ بِرَحۡمَةٍۚ ٱدۡخُلُواْ ٱلۡجَنَّةَ لَا خَوۡفٌ عَلَيۡكُمۡ وَلَآ أَنتُمۡ تَحۡزَنُونَ
一体これらの者たち[1]は、あなた方が『アッラー*が彼らを、そのご慈悲に与らせること[2]などではない』と、誓っていた者たちではないのか?」(アッラー*は仰せられる。)「(高壁の民よ、)天国に入るがよい。あなた方には怖れもなければ、悲しむこともない[3]」。
[1] 「これらの者たち」とは、現世において弱く、貧しかった信仰者たちのことである、とされる(前掲書、同頁参照)。家畜章53とその訳注も参照。 [2] 「ご慈悲に与からせるかこと」とは、天国に入れて下さること(前掲書、同頁参照)。 [3] 「怖れもなければ、悲しむこともない」については、雌牛章38の訳注を参照。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
وَنَادَىٰٓ أَصۡحَٰبُ ٱلنَّارِ أَصۡحَٰبَ ٱلۡجَنَّةِ أَنۡ أَفِيضُواْ عَلَيۡنَا مِنَ ٱلۡمَآءِ أَوۡ مِمَّا رَزَقَكُمُ ٱللَّهُۚ قَالُوٓاْ إِنَّ ٱللَّهَ حَرَّمَهُمَا عَلَى ٱلۡكَٰفِرِينَ
地獄の民は、天国の民に呼びかける。「私たちの上に、水をいくらか注いでくれ!あるいは、アッラー*があなた方に授けて下さった糧の内から(、何かを)!」彼ら(天国の民)は言う。「実にアッラー*は不信仰者*たちに、それらを禁じられたのだ。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
ٱلَّذِينَ ٱتَّخَذُواْ دِينَهُمۡ لَهۡوٗا وَلَعِبٗا وَغَرَّتۡهُمُ ٱلۡحَيَوٰةُ ٱلدُّنۡيَاۚ فَٱلۡيَوۡمَ نَنسَىٰهُمۡ كَمَا نَسُواْ لِقَآءَ يَوۡمِهِمۡ هَٰذَا وَمَا كَانُواْ بِـَٔايَٰتِنَا يَجۡحَدُونَ
(彼らは、)自分たちの宗教を戯れごとや遊興とし、現世の生活に欺かれた者たち」。今日われら*は彼らが自分たちの(復活の)この日の拝謁を忘れ、われら*の御徴を否定していたように、彼らのことを忘れてやろう[1]
[1] 彼らが、復活の日*の拝謁(はいえつ)を「忘れた」というのは、彼らがそのために現世で努力することを放棄(ほうき)したことを、そしてアッラー*が「彼らのことを忘れる」とは、彼らを地獄に置き去りにすることを意味する、と言われる(前掲書、同頁参照)。
আৰবী তাফছীৰসমূহ:
 
অৰ্থানুবাদ ছুৰা: আল-আ'ৰাফ
ছুৰাৰ তালিকা পৃষ্ঠা নং
 
আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো - অনুবাদসমূহৰ সূচীপত্ৰ

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