Check out the new design

Ibisobanuro bya qoran ntagatifu - Ibisobanuro bya Qur'an Ntagatifu mu rurimi rw'ikiyapani - Saeed Sato * - Ishakiro ry'ibisobanuro

XML CSV Excel API
Please review the Terms and Policies

Ibisobanuro by'amagambo Isura: Al Hajj   Umurongo:
وَهُدُوٓاْ إِلَى ٱلطَّيِّبِ مِنَ ٱلۡقَوۡلِ وَهُدُوٓاْ إِلَىٰ صِرَٰطِ ٱلۡحَمِيدِ
また彼らは、(現世では)善い言葉へと導かれ[1]、(来世では)称賛されるべき*お方の道へと導かれたのである。
[1] 現世においてはシャハーダ*の言葉や、アッラー*を称える*言葉へと、そして来世においては、善い結末に対しての賛美の言葉へと導かれた、ということ(ムヤッサル355頁参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
إِنَّ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ وَيَصُدُّونَ عَن سَبِيلِ ٱللَّهِ وَٱلۡمَسۡجِدِ ٱلۡحَرَامِ ٱلَّذِي جَعَلۡنَٰهُ لِلنَّاسِ سَوَآءً ٱلۡعَٰكِفُ فِيهِ وَٱلۡبَادِۚ وَمَن يُرِدۡ فِيهِ بِإِلۡحَادِۭ بِظُلۡمٖ نُّذِقۡهُ مِنۡ عَذَابٍ أَلِيمٖ
本当に、不信仰に陥り、アッラー*の道と、ハラーム・マスジド*から阻む[1]者たち(は、損失者である)。それ(ハラーム・マスジド*)は、われら*がそこに居住する者にも、来訪者にも同様に、(信仰する)人々のためとしたもの。不正*にも、そこ(ハラーム・マスジド*)において(真理からの)偏向[2]を望む者には誰であろうと、われら*が痛ましい懲罰の内から味わわせるのだ。
[1] マッカ*の不信仰者*らは、人々がイスラーム*に入るのを阻み、フダイビーヤの和議*の年には、ムスリム*たちがハラーム・マスジド*に入ることを阻んだ(前掲書、同頁参照)。 [2] アッラー*に対する不服従のこと(前掲書、同頁参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
وَإِذۡ بَوَّأۡنَا لِإِبۡرَٰهِيمَ مَكَانَ ٱلۡبَيۡتِ أَن لَّا تُشۡرِكۡ بِي شَيۡـٔٗا وَطَهِّرۡ بَيۡتِيَ لِلطَّآئِفِينَ وَٱلۡقَآئِمِينَ وَٱلرُّكَّعِ ٱلسُّجُودِ
(預言者*よ、)われら*がイブラーヒーム*に館(カァバ神殿*)の場所を明確にし、準備してやった時のこと(を思い起こさせるがよい。われら*は彼に、こう命じたのだ)。「われに、何ものも並べてはならない[1]。そしてわが館[2]をタワーフ*する者たち、(礼拝のために)立つ者たち、サジダ*しルクーゥ*する者たちのために清めよ[3]
[1] シルク*を犯してはならない、ということ。 [2] カァバ神殿*が、「わが館」と、アッラー*の御名で修復されていることについては、アル=ヒジュル章29の訳注を参照。 [3] 不信仰や、アッラー*の教えにおいて根拠もないような物事、汚れなどから清める、ということ(ムヤッサル335頁参照)。雌牛章125も酸素湯。
Ibisobanuro by'icyarabu:
وَأَذِّن فِي ٱلنَّاسِ بِٱلۡحَجِّ يَأۡتُوكَ رِجَالٗا وَعَلَىٰ كُلِّ ضَامِرٖ يَأۡتِينَ مِن كُلِّ فَجٍّ عَمِيقٖ
また、人々にハッジ*(の義務)を告げよ。そうすれば彼らは徒歩で、そしてありとあらゆる遠い山道をやって来る無数の精悍なラクダに乗って、到来する。
Ibisobanuro by'icyarabu:
لِّيَشۡهَدُواْ مَنَٰفِعَ لَهُمۡ وَيَذۡكُرُواْ ٱسۡمَ ٱللَّهِ فِيٓ أَيَّامٖ مَّعۡلُومَٰتٍ عَلَىٰ مَا رَزَقَهُم مِّنۢ بَهِيمَةِ ٱلۡأَنۡعَٰمِۖ فَكُلُواْ مِنۡهَا وَأَطۡعِمُواْ ٱلۡبَآئِسَ ٱلۡفَقِيرَ
自分たちの利益[1]に立ち合い、かれ(アッラー*)が自分たちに授けて下さった(捧げ物の)家畜獣[2]に対し、周知の日々[3]にアッラー*の御名を唱えるため(、やって来るのだ)。ならば、そこ(屠殺した家畜の肉)から食べ、みすぼらしい貧者*にも食べさせるがよい。
[1] この「利益」とは、ハッジ*による罪の赦(ゆる)し 、その行を遂行し、そこにおいて従順(じゅうじゅん)であることによる褒美(ほうび)、商売上の利益などのこと(前掲書、同頁参照)。 [2] 「家畜獣」については、食卓章1の訳注を参照。 [3] 「周知の日々」とは、ズル=ヒッジャ月*十日から十三日までとされる(前掲書、同頁参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
ثُمَّ لۡيَقۡضُواْ تَفَثَهُمۡ وَلۡيُوفُواْ نُذُورَهُمۡ وَلۡيَطَّوَّفُواْ بِٱلۡبَيۡتِ ٱلۡعَتِيقِ
それから彼らに、自らの汚れを落とさせ[1]、その誓約[2]を全うさせ、解放された館[3]をタワーフ*させよ」。
[1] この「汚れ(タファス)」は通常、「残されたハッジ*の行」と解釈される(アル=クルトゥビー12:48-50参照)。つまり、ハッジ*の残りの行を終わらせ、イブラーヒーム*を解き、爪を切ったり、髪の毛を剃(切)ったり して、体に溜(た)まった汚れを落とすこととされる(前掲書、同頁参照)。 [2] この「誓約」とは、ハッジやウムラ*や犠牲をする誓約のこと(前掲書、同頁参照)。 [3] 「解放された(アティーク)館」とは、アッラー*が抑圧者たちから解放し下さったカァバ神殿*(前掲書、同頁参照)。ほかにも、「誰も所有しない」「古い」などの解釈あり(アッ=タバリー7:5834-5835参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
ذَٰلِكَۖ وَمَن يُعَظِّمۡ حُرُمَٰتِ ٱللَّهِ فَهُوَ خَيۡرٞ لَّهُۥ عِندَ رَبِّهِۦۗ وَأُحِلَّتۡ لَكُمُ ٱلۡأَنۡعَٰمُ إِلَّا مَا يُتۡلَىٰ عَلَيۡكُمۡۖ فَٱجۡتَنِبُواْ ٱلرِّجۡسَ مِنَ ٱلۡأَوۡثَٰنِ وَٱجۡتَنِبُواْ قَوۡلَ ٱلزُّورِ
それ(が、アッラー*のご命令)である。(ゆえにそれを厳粛に受け止めよ。)アッラー*の神聖な諸事を厳粛なものとする者ならば、それが彼の主*の御許で、より善いことなのである。また、あなた方に誦んで聞かされるもの[1]を除いて、あなた方には家畜(の食用)が許された。ならば偶像による穢れを避け、偽りの言葉を避けるのだ[2]
[1] これは食卓章3のことである、とされる(イブン・カスィール5:419参照)。 [2] 不信仰者*たちは、ある種の家畜を神聖化して自らに禁じ、自分たちが偉大視する偶像こそが、そのように命じたのだと虚偽(きょぎ)の主張をしていた(アル=バイダーウィー4:124参照)。食卓章103、家畜章136、138-139なども参照。尚、「偽りの言葉」とは、嘘や、偽(いつわ)りの証言を始めとした、全ての禁じられた言葉のこと(アッ=サァディー537頁参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
 
Ibisobanuro by'amagambo Isura: Al Hajj
Urutonde rw'amasura numero y'urupapuro
 
Ibisobanuro bya qoran ntagatifu - Ibisobanuro bya Qur'an Ntagatifu mu rurimi rw'ikiyapani - Saeed Sato - Ishakiro ry'ibisobanuro

Yasobanuwe na Sa'id Sato. Byakosowe bihagarariwe n'ikigo Rowad cy'ubusobanuzi bw'inyigisho z'idini ya islam, wanabibona mu buryo bworoshye buhoraho mu rwego rwo kubitanga ibitekerezo no kubikosora.

Gufunga