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Ibisobanuro bya qoran ntagatifu - Ibisobanuro bya Qur'an Ntagatifu mu rurimi rw'ikiyapani - Saeed Sato * - Ishakiro ry'ibisobanuro

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Ibisobanuro by'amagambo Isura: Al Im’ran   Umurongo:
إِذۡ هَمَّت طَّآئِفَتَانِ مِنكُمۡ أَن تَفۡشَلَا وَٱللَّهُ وَلِيُّهُمَاۗ وَعَلَى ٱللَّهِ فَلۡيَتَوَكَّلِ ٱلۡمُؤۡمِنُونَ
あなた方の内の二団[1]が、臆病風に吹かれ(退却し)そうになった時のこと(を思い起こすのだ)。アッラー*が彼らの庇護者*だというのに。信仰者たちには、アッラー*にこそ全てを委ねさせよ*。
[1] これはウフドの戦い*のこと(ムヤッサル65頁)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
وَلَقَدۡ نَصَرَكُمُ ٱللَّهُ بِبَدۡرٖ وَأَنتُمۡ أَذِلَّةٞۖ فَٱتَّقُواْ ٱللَّهَ لَعَلَّكُمۡ تَشۡكُرُونَ
(信仰者たちよ、)アッラー*は確かに、まだあなた方が弱小であった時、バドル(の戦い*)[1]であなた方に勝利を授けられた[2]。ならば(かれの恩恵に)感謝すべく、アッラー*を畏れる*のだ。
[1] サリマ族とハーリサ族のこと。宗教において疑念を抱いていたわけではないが、アブドッラー・ブン・ウバイイ*が多数の兵と撤退(てったい)した際、戦力の低下によって士気が下がり、彼らの中に退却の気運が高まった。しかし彼らは結局、共に進軍した(アッ=タバリー3:1947‐1949参照)。
[2] バドルの戦い*については、戦利品*章の中に多くの描写が見られる。
Ibisobanuro by'icyarabu:
إِذۡ تَقُولُ لِلۡمُؤۡمِنِينَ أَلَن يَكۡفِيَكُمۡ أَن يُمِدَّكُمۡ رَبُّكُم بِثَلَٰثَةِ ءَالَٰفٖ مِّنَ ٱلۡمَلَٰٓئِكَةِ مُنزَلِينَ
(預言者*よ、)あなたが信仰者たちに、(こう)言った時のこと(を思い出させよ)。「あなた方の主*が、舞い降りる三千の天使*であなた方を増強させられれば、それで十分なのではないか?
Ibisobanuro by'icyarabu:
بَلَىٰٓۚ إِن تَصۡبِرُواْ وَتَتَّقُواْ وَيَأۡتُوكُم مِّن فَوۡرِهِمۡ هَٰذَا يُمۡدِدۡكُمۡ رَبُّكُم بِخَمۡسَةِ ءَالَٰفٖ مِّنَ ٱلۡمَلَٰٓئِكَةِ مُسَوِّمِينَ
いや(、それで十分なのだ)。もし、あなた方が忍耐*して(主*を)畏れ*、彼ら(敵軍)があなた方のもとにそのように逸り立って(襲いかかって)来るならば、あなた方の主は目印をつけた[1]五千の天使*でもって、あなた方を増強させられる」。[2]
[1] この「目印」の解釈については、「肩までかかる白い(あるいは黄色い)ターバン」「まだらの馬に乗っていたこと」「たてがみと尻尾(しっぽ)に切り込みを入れて、そこに羊毛を飾り付けられた馬に乗っていたこと」といった諸説がある(アル=クルトゥビー4:196参照)。 [2] アーヤ*124-125は、バドルの戦い*のことであるという説と、ウフドの戦い*のことであるという説がある(イブン・カスィール2:112-113参照)。アッ=タバリー*は、戦利品*章9にある「千の天使*」がバドルの戦い*で下ったのは確実だが、三千、または五千の天使*が下ったかどうかについては、バドルとウフドいずれの戦いにおいても確実な証拠はないとし、もしウフドの戦い*で多くの天使*が下されていたら、ムスリム*側にあのような被害は出ていなかっただろう、と述べている(3:1955参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
وَمَا جَعَلَهُ ٱللَّهُ إِلَّا بُشۡرَىٰ لَكُمۡ وَلِتَطۡمَئِنَّ قُلُوبُكُم بِهِۦۗ وَمَا ٱلنَّصۡرُ إِلَّا مِنۡ عِندِ ٱللَّهِ ٱلۡعَزِيزِ ٱلۡحَكِيمِ
そしてアッラー*がそうされたのは、(それが)あなた方への吉報となり、それであなた方の心が安らぐために外ならなかった。勝利は、偉力ならびなく*、英知あふれる*アッラー*の御許からのみ、訪れるのだ。
Ibisobanuro by'icyarabu:
لِيَقۡطَعَ طَرَفٗا مِّنَ ٱلَّذِينَ كَفَرُوٓاْ أَوۡ يَكۡبِتَهُمۡ فَيَنقَلِبُواْ خَآئِبِينَ
(バドルでの勝利は、アッラー*が)不信仰に陥った者*たちの一部を壊滅させたり、または彼らに苦汁を嘗めさせて、敗北者として撤退させたり、
Ibisobanuro by'icyarabu:
لَيۡسَ لَكَ مِنَ ٱلۡأَمۡرِ شَيۡءٌ أَوۡ يَتُوبَ عَلَيۡهِمۡ أَوۡ يُعَذِّبَهُمۡ فَإِنَّهُمۡ ظَٰلِمُونَ
——(使徒*よ、)そのことについて、あなたには何の権限もない[1]——または彼らの悔悟を受け入れたり、あるいは彼らが不正*者であるがゆえに、彼らを懲らしめたりするためのものだったのだ。
[1] 全てのことはアッラー*に委ねられているのであり、かれは彼ら不信仰者*の内の者をムスリム*とされるかもしれないし、あるいは現世と来世において罰されるかもしれない(ムヤッサル66頁参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
وَلِلَّهِ مَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَمَا فِي ٱلۡأَرۡضِۚ يَغۡفِرُ لِمَن يَشَآءُ وَيُعَذِّبُ مَن يَشَآءُۚ وَٱللَّهُ غَفُورٞ رَّحِيمٞ
そしてアッラー*にこそ、諸天にあるものと大地にあるものは、属する。かれはかれがお望みになる者をお赦しになり、またお望みになる者を罰される。アッラー*は赦し深いお方、慈愛深い*お方。
Ibisobanuro by'icyarabu:
يَٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ لَا تَأۡكُلُواْ ٱلرِّبَوٰٓاْ أَضۡعَٰفٗا مُّضَٰعَفَةٗۖ وَٱتَّقُواْ ٱللَّهَ لَعَلَّكُمۡ تُفۡلِحُونَ
信仰する者たちよ、利息*を何倍にも膨らませて、貪ってはならない[1]。また、あなた方が(現世と来世で)成功すべく、アッラー*を畏れ*よ。
[1] 利息*はいかなる形でも禁じられており(雌牛章275参照)、「何倍にも膨らませ」なければ問題ない、という意味ではない。このアーヤ*で描写されているのは、返済の期限日を延長するたびに借金の額を増やしていくという、当時のアラブ人の間で一般的だった利息の特徴を示しているだけである(アッ=シャウカーニー1:622参照)。
Ibisobanuro by'icyarabu:
وَٱتَّقُواْ ٱلنَّارَ ٱلَّتِيٓ أُعِدَّتۡ لِلۡكَٰفِرِينَ
そして、不信仰者*たちのために用意されている業火を恐れ、
Ibisobanuro by'icyarabu:
وَأَطِيعُواْ ٱللَّهَ وَٱلرَّسُولَ لَعَلَّكُمۡ تُرۡحَمُونَ
あなた方がご慈悲を授かるよう、アッラー*と使徒*に従うのだ。
Ibisobanuro by'icyarabu:
 
Ibisobanuro by'amagambo Isura: Al Im’ran
Urutonde rw'amasura numero y'urupapuro
 
Ibisobanuro bya qoran ntagatifu - Ibisobanuro bya Qur'an Ntagatifu mu rurimi rw'ikiyapani - Saeed Sato - Ishakiro ry'ibisobanuro

Yasobanuwe na Sa'id Sato. Byakosowe bihagarariwe n'ikigo Rowad cy'ubusobanuzi bw'inyigisho z'idini ya islam, wanabibona mu buryo bworoshye buhoraho mu rwego rwo kubitanga ibitekerezo no kubikosora.

Gufunga