قۇرئان كەرىم مەنىلىرىنىڭ تەرجىمىسى - الترجمة اليابانية - سعيد ساتو * - تەرجىمىلەر مۇندەرىجىسى

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مەنالار تەرجىمىسى سۈرە: سۈرە تاھا   ئايەت:

ター・ハー章

طه
ター・ハー[1]
[1] この文字群については、頻出名・用語解説の「クルアーンの冒頭に現れる文字群*」を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
مَآ أَنزَلۡنَا عَلَيۡكَ ٱلۡقُرۡءَانَ لِتَشۡقَىٰٓ
(使徒*よ、)われら*があなたにクルアーン*を下したのは、あなたが不幸になるためではない[1]
[1] 啓示と、様々な義務や制約を含むその教えの目的は、人を不幸にさせることではない。慈悲深いアッラー*はそれを、幸福・成功・勝利への導きとされ、この上なく易(やさ)しいものとされ、心身への栄養・身体の休息とされたのである(アッ=サァディー501頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِلَّا تَذۡكِرَةٗ لِّمَن يَخۡشَىٰ
しかし、(それをあなたに下したのは、アッラー*の懲罰を)恐れる者への、教訓とするため。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
تَنزِيلٗا مِّمَّنۡ خَلَقَ ٱلۡأَرۡضَ وَٱلسَّمَٰوَٰتِ ٱلۡعُلَى
大地と、高き諸天をお創りになったお方から、次々と下されたものとして。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ٱلرَّحۡمَٰنُ عَلَى ٱلۡعَرۡشِ ٱسۡتَوَىٰ
(かれは)慈悲あまねき*お方、まさに御座に上がられた[1]
[1] 「(アッラー*が)御座に上がられる」については、高壁章54の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
لَهُۥ مَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَمَا فِي ٱلۡأَرۡضِ وَمَا بَيۡنَهُمَا وَمَا تَحۡتَ ٱلثَّرَىٰ
かれにこそ、諸天にあるもの、地にあるもの、その間にあるもの、土の下にあるものは属する。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَإِن تَجۡهَرۡ بِٱلۡقَوۡلِ فَإِنَّهُۥ يَعۡلَمُ ٱلسِّرَّ وَأَخۡفَى
たとえあなたが言葉を露わにしても(隠しても)、本当にかれは秘密と、更に秘められたことをご存知である。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ٱللَّهُ لَآ إِلَٰهَ إِلَّا هُوَۖ لَهُ ٱلۡأَسۡمَآءُ ٱلۡحُسۡنَىٰ
アッラー*はかれ以外には崇拝*すべきもののないお方。かれにこそ、美名は属する。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَهَلۡ أَتَىٰكَ حَدِيثُ مُوسَىٰٓ
一体、あなたのもとにムーサー*の話は届いたか?
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِذۡ رَءَا نَارٗا فَقَالَ لِأَهۡلِهِ ٱمۡكُثُوٓاْ إِنِّيٓ ءَانَسۡتُ نَارٗا لَّعَلِّيٓ ءَاتِيكُم مِّنۡهَا بِقَبَسٍ أَوۡ أَجِدُ عَلَى ٱلنَّارِ هُدٗى
彼が火を目にし、自分の家族に(こう)言った時。「待っていなさい。まさに私は、火を見つけたのだ。私はそこからあなた方に、火種を持って来るだろう。あるいは火のもとに、(道の)案内人を見つけるかもしれない」。[1]
[1] これはムーサー*が、家族を連れてマドゥヤン*からエジプトへと向かう途中、道を迷ってしまった時の出来事であり、時節は冬の夜であったとされる(アル=クルトゥビー11:171参照)。蟻章7、物語章29も参照。こうして物質的な明かりと導きを見出すこととなる(アッ=サァディー502頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَلَمَّآ أَتَىٰهَا نُودِيَ يَٰمُوسَىٰٓ
こうして彼がそこ[1]にやって来た時、(こう)呼びかけられた。「ムーサー*よ、
[1] ムーサー*が火と思ったものは、白い火に包まれた緑樹であったという(アル=バガウィー3:256参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنِّيٓ أَنَا۠ رَبُّكَ فَٱخۡلَعۡ نَعۡلَيۡكَ إِنَّكَ بِٱلۡوَادِ ٱلۡمُقَدَّسِ طُوٗى
本当にわれこそは、あなたの主*である。ならば、(われとの語らいのため、)あなたの靴を脱ぐがよい。まさにあなたは、聖なる谷トゥワー[1]にいるのだから。
[1] 「トゥワー」という語の意味には諸説あるが、イブン・カスィール*はそれが谷の固有名詞であるという説を有力視している(5:266-267)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَأَنَا ٱخۡتَرۡتُكَ فَٱسۡتَمِعۡ لِمَا يُوحَىٰٓ
そしてわれは、あなたを(使徒*として)選んだのだ。ならば、(あなたに)啓示されることに、耳を傾けよ。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّنِيٓ أَنَا ٱللَّهُ لَآ إِلَٰهَ إِلَّآ أَنَا۠ فَٱعۡبُدۡنِي وَأَقِمِ ٱلصَّلَوٰةَ لِذِكۡرِيٓ
本当にわれこそは、われ以外に崇拝*すべきもののない、アッラー*。ゆえにわれを崇拝*し、われを唱念すべく礼拝を遵守*せよ。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّ ٱلسَّاعَةَ ءَاتِيَةٌ أَكَادُ أُخۡفِيهَا لِتُجۡزَىٰ كُلُّ نَفۡسِۭ بِمَا تَسۡعَىٰ
本当にその時(復活の日*)は、訪れる。全ての者が自分の努力することによって報われるようにするため、われはそれ(が訪れる時)を、(われ自身にさえも)隠してしまわんばかりである。[1]
[1] アル=バガウィー*によれば、大半の解釈学者はこのアーヤ*を「アッラー*は、復活の日*の時をご自身にさえお隠しになりそうな程なのだから、創造物にとっては知る由もない」と解釈している。また、復活の日*の時が分からないからこそ、人はそれを常に恐れるようになるのである(3:258参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَلَا يَصُدَّنَّكَ عَنۡهَا مَن لَّا يُؤۡمِنُ بِهَا وَٱتَّبَعَ هَوَىٰهُ فَتَرۡدَىٰ
ならば、それを信じず、自分の欲望に従った者が、あなたをそれ[1]から阻むようであってはならない。そうすれば、あなたは破滅してしまう。
[1] つまり復活の日*への信仰と、それへの準備のこと(ムヤッサル313頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَمَا تِلۡكَ بِيَمِينِكَ يَٰمُوسَىٰ
あなたの右手にあるそれは何か、ムーサー*よ?」
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ هِيَ عَصَايَ أَتَوَكَّؤُاْ عَلَيۡهَا وَأَهُشُّ بِهَا عَلَىٰ غَنَمِي وَلِيَ فِيهَا مَـَٔارِبُ أُخۡرَىٰ
彼は申し上げた。「これは、私の杖です。私はこれに寄りかかったり、これで(木々の葉を)私の羊の上に突き落としたりします。また、私にはそれに、外の使い道もあるのです」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ أَلۡقِهَا يَٰمُوسَىٰ
かれは仰せられた。「それを投げるがよい、ムーサー*よ」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأَلۡقَىٰهَا فَإِذَا هِيَ حَيَّةٞ تَسۡعَىٰ
彼はそれを投げた。すると、どうであろう、それは這い回る大蛇となった(ので、彼は怖がって逃げ出した)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ خُذۡهَا وَلَا تَخَفۡۖ سَنُعِيدُهَا سِيرَتَهَا ٱلۡأُولَىٰ
かれは仰せられた。「それを掴め。そして怖がるのではない。われら*はそれを、元の形に戻すのだから。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَٱضۡمُمۡ يَدَكَ إِلَىٰ جَنَاحِكَ تَخۡرُجۡ بَيۡضَآءَ مِنۡ غَيۡرِ سُوٓءٍ ءَايَةً أُخۡرَىٰ
また、あなたの手を自分の脇に挟んでみよ。それはもう一つの御徴として、災い[1]もなしに、白くなって出てくる。
[1] この「災い」は、皮膚(ひふ)の病気などのことを指す(ムヤッサル313頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
لِنُرِيَكَ مِنۡ ءَايَٰتِنَا ٱلۡكُبۡرَى
(これらのことは、)われら*があなたに、われら*の最大の御徴[1]の内から、見せてやるためなのである。
[1] この「御徴」とは、アッラー*の御力、その権威の偉大さ、ムーサー*が真の使徒*であることを証明する、最大の根拠のこと(前掲書、同頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ٱذۡهَبۡ إِلَىٰ فِرۡعَوۡنَ إِنَّهُۥ طَغَىٰ
(ムーサー*よ、われへと招くべく、)フィルアウン*のもとへ行くのだ。実に彼は、(われへの反抗において)度を越してしまったのだから」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ رَبِّ ٱشۡرَحۡ لِي صَدۡرِي
彼は申し上げた。「我が主*よ、私の胸を広げ[1]
[1] 「胸を広げる」という訳をあてた原語は、字義的には「胸の柔らかい表面を切り開く」といった意味。それが転じて実際には、「何かを実行するにあたって、無邪気さや迷いの気持ちを取り除くこと」のたとえに用いられる(イブン・アーシュール16:210参照)。ムーサー*は、強大な権力と軍勢を有するフィルアウン*に立ち向かうことになり、非常な恐怖を感じていた(アル=バガウィー3:260参照)し、預言者*となる前に誤って人を殺してしまったことの心配もあった(物語章33参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَيَسِّرۡ لِيٓ أَمۡرِي
我が任務を、私のために容易にし、
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَٱحۡلُلۡ عُقۡدَةٗ مِّن لِّسَانِي
私の舌のもつれ[1]を解いて下さい。
[1] ムーサー*には、舌足らずな所、あるいは口下手(くちべた)な所があったとされる(イブン・カスィール5:282参照)。詩人たち章13、物語章34も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
يَفۡقَهُواْ قَوۡلِي
そうすれば、彼らは私の言葉を理解しましょう。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَٱجۡعَل لِّي وَزِيرٗا مِّنۡ أَهۡلِي
また私に、私の家族から、片腕をお授け下さい。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
هَٰرُونَ أَخِي
我が兄、ハールーン*を。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ٱشۡدُدۡ بِهِۦٓ أَزۡرِي
彼によって、私の背中[1]を強固にし、
[1] 「背中を強固にする」とは、背中が身体動作の中心であり、確固さの要(かなめ)であることが転じて、「力を強くする」という意味で用いられるアラビア語的表現(イブン・アーシュール16:213参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَأَشۡرِكۡهُ فِيٓ أَمۡرِي
私の任務に彼を、協力させて下さい。[1]
[1] ハールーン*は、ムーサー*よりも雄弁だった。物語章34も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
كَيۡ نُسَبِّحَكَ كَثِيرٗا
(それは、)私たちがあなたを沢山称え*、
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَنَذۡكُرَكَ كَثِيرًا
あなたをよく唱念するため。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّكَ كُنتَ بِنَا بَصِيرٗا
本当にあなたはもとより、私たちをご覧になっていたお方」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ قَدۡ أُوتِيتَ سُؤۡلَكَ يَٰمُوسَىٰ
かれ(アッラー*)は仰せられた。「あなたは、あなたの願いを確かに叶えられたぞ、ムーサー*よ」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَقَدۡ مَنَنَّا عَلَيۡكَ مَرَّةً أُخۡرَىٰٓ
そしてわれら*は確かに、別の時にも、あなたに恵みを垂れてやったのだ。[1]
[1] この「恵み」はムーサー*の出生後、彼が啓示を受けるまでに授かったもの(アブー・アッ=スウード6:14参照)。次のアーヤ*からは、その過去の出来事が長い挿入(そうにゅう)節の形で、言及される。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِذۡ أَوۡحَيۡنَآ إِلَىٰٓ أُمِّكَ مَا يُوحَىٰٓ
われら*があなたの母に、示されるもの[1]を示した時。
[1] このように「・・・もの」として、関係代名詞を用いて非特定の形で表現することは、その内容の重大さを示すアラビア語の修辞的表現の一つ(アッ=シャンキーティー4:8参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
أَنِ ٱقۡذِفِيهِ فِي ٱلتَّابُوتِ فَٱقۡذِفِيهِ فِي ٱلۡيَمِّ فَلۡيُلۡقِهِ ٱلۡيَمُّ بِٱلسَّاحِلِ يَأۡخُذۡهُ عَدُوّٞ لِّي وَعَدُوّٞ لَّهُۥۚ وَأَلۡقَيۡتُ عَلَيۡكَ مَحَبَّةٗ مِّنِّي وَلِتُصۡنَعَ عَلَىٰ عَيۡنِيٓ
「彼(生まれたばかりのムーサー*)を箱に入れて、それを海原[1]へと放り投げよ[2]。そして海原に、それを岸へと投げ出させよ。そうすればわが敵と、彼(ムーサー*)にとっての敵[3]が、それを手にするから」。また、われはあなた(ムーサー*)に、わが御許からの愛情を授けた。そして、(それは)あなたが、わが眼差しの中で[4]育まれるためであったのだ。
[1] この「海原」は、ナイル川のこと(ムヤッサル314頁参照)。 [2] この出来事の背景については、雌牛章49の「男児は殺し・・・」の訳注を参照。ムーサー*の幼少時に起こった、アッラー*の彼に対する恩恵を示す諸々の出来事は、物語章7-14に詳しく描写されている。 [3] この「敵」は、フィルアウン*のこと(ムヤッサル314頁参照)。 [4] つまり、アッラー*の守護のもとで、ということ(ムヤッサル314頁参照) 。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِذۡ تَمۡشِيٓ أُخۡتُكَ فَتَقُولُ هَلۡ أَدُلُّكُمۡ عَلَىٰ مَن يَكۡفُلُهُۥۖ فَرَجَعۡنَٰكَ إِلَىٰٓ أُمِّكَ كَيۡ تَقَرَّ عَيۡنُهَا وَلَا تَحۡزَنَۚ وَقَتَلۡتَ نَفۡسٗا فَنَجَّيۡنَٰكَ مِنَ ٱلۡغَمِّ وَفَتَنَّٰكَ فُتُونٗاۚ فَلَبِثۡتَ سِنِينَ فِيٓ أَهۡلِ مَدۡيَنَ ثُمَّ جِئۡتَ عَلَىٰ قَدَرٖ يَٰمُوسَىٰ
あなた(ムーサー*)の姉が、(あなたの入った箱を追って)歩んで行き、(その箱を拾った者に、こう)言った時。「あなた方に、彼の世話をしてくれる者を、お教えしましょうか?」こうして、われら*はあなたを、あなたの母親へと返した。(それは)彼女が喜ぶ[1]ようにし、悲しまないようにするためであった。また、あなたは(過って、コプト)人を殺してしまった[2]けれど、われら*はあなたを苦悩から救ってやった。そしてわれら*は、あなたをまさに試練にかけたのだ。また、あなたは(殺されるのを怖れて逃げ、)マドゥヤン*の民のもとで数年過ごし、それから定め通りーームーサー*よーーあなたはやって来たのだ[3]
[1] この「喜ぶ」という表現については、マルヤム*章26び訳注を参照。 [2] これはムーサー*がある程度、成長してからの出来事(アル=バガウィー3:262参照)。詳しくは、物語章15を参照。 [3] ムーサー*がエジプトからマドゥヤン*へと逃れ、それからまたエジプトへと戻って来るまでの出来事は、物語章20-29に詳しい。そしてアーヤ*37からの、ムーサー*に対する過去のアッラー*の恩恵を示す話題がここで終わり、ここからはアーヤ*36の続きが再開する。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَٱصۡطَنَعۡتُكَ لِنَفۡسِي
われは、われ自身の(教えの伝達の)ために、あなたを(これらの恩恵で)養成した[1]のである。
[1] つまりアッラー*は彼を、かれの教えを伝える者、かれの命じられ禁じられたことを守る者として、お選びになったのである(ムヤッサル314頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ٱذۡهَبۡ أَنتَ وَأَخُوكَ بِـَٔايَٰتِي وَلَا تَنِيَا فِي ذِكۡرِي
あなた(ムーサー*)と、あなたの兄(ハールーン*)は、わが御徴[1]を携えて行くのだ。そして、われの唱念(を持続すること)において、気力を失ってはならない。
[1] この「御徴」に関しては、雌牛章92の「明証」についての訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ٱذۡهَبَآ إِلَىٰ فِرۡعَوۡنَ إِنَّهُۥ طَغَىٰ
(二人で、)フィルアウン*のもとに行け。実に彼は、(われへの反抗において)度を越してしまったのだから。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَقُولَا لَهُۥ قَوۡلٗا لَّيِّنٗا لَّعَلَّهُۥ يَتَذَكَّرُ أَوۡ يَخۡشَىٰ
そして、彼が教訓を得、(自分の主*を)恐れるよう、彼に柔らかい言葉で語りかけよ。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَا رَبَّنَآ إِنَّنَا نَخَافُ أَن يَفۡرُطَ عَلَيۡنَآ أَوۡ أَن يَطۡغَىٰ
彼ら二人は、申し上げた。「我らが主*よ、本当に私たちは、彼が私たちに対して早まったこと[1]をしたり、あるいは(真理に対して)高慢になったりすることを怖れます」。
[1] つまり、彼らを罰すること(ムヤッサル314頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ لَا تَخَافَآۖ إِنَّنِي مَعَكُمَآ أَسۡمَعُ وَأَرَىٰ
かれは仰せられた。「怖れるのではない。実にわれは、あなた方二人と共にあり、(あなた方のことを)聞き、見ているのだから」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأۡتِيَاهُ فَقُولَآ إِنَّا رَسُولَا رَبِّكَ فَأَرۡسِلۡ مَعَنَا بَنِيٓ إِسۡرَٰٓءِيلَ وَلَا تُعَذِّبۡهُمۡۖ قَدۡ جِئۡنَٰكَ بِـَٔايَةٖ مِّن رَّبِّكَۖ وَٱلسَّلَٰمُ عَلَىٰ مَنِ ٱتَّبَعَ ٱلۡهُدَىٰٓ
そして、あなた方二人は彼のもとへ行き、(こう)言うのだ。「本当に私たちは、あなたの主*の二人の使徒*なのです。ですから、イスラーイールの子ら*を私たちと共に自由にし[1]、彼らを苦しめないで下さい。私たちは確かに、あなたの主の御許からの御徴[2]と共に、あなたのもとへやって来たのですから。導きに従う者には、(現世と来世での)平安があります。
[1] この「自由にする」については、高壁章105とその訳注も参照。 [2] この「御徴」に関しては、アーヤ*42の同語についての訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّا قَدۡ أُوحِيَ إِلَيۡنَآ أَنَّ ٱلۡعَذَابَ عَلَىٰ مَن كَذَّبَ وَتَوَلَّىٰ
本当に私たちには、(アッラー*の教えを)嘘呼ばわりし、(それから)背を向ける者には懲罰があると、確かに啓示されたのです」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ فَمَن رَّبُّكُمَا يَٰمُوسَىٰ
彼(フィルアウン*)は言った。「では、あなた方二人の主*とは誰なのか、ムーサー*よ?」
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ رَبُّنَا ٱلَّذِيٓ أَعۡطَىٰ كُلَّ شَيۡءٍ خَلۡقَهُۥ ثُمَّ هَدَىٰ
彼(ムーサー*)は言った。「我らが主*は、全てのものにその(相応しい)形をお授けになり、それから導かれた[1]お方です」。
[1] アッラー*は全ての創造物を、飲食・生殖行為など、彼らを益するものへとお導きになった(アル=バガウィー3:264参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ فَمَا بَالُ ٱلۡقُرُونِ ٱلۡأُولَىٰ
彼(フィルアウン*)は言った。「では、(不信仰の中にあった)昔の世代はどうなる?」
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ عِلۡمُهَا عِندَ رَبِّي فِي كِتَٰبٖۖ لَّا يَضِلُّ رَبِّي وَلَا يَنسَى
彼(ムーサー*)は言った。「その知識は、我が主*の御許、書[1]の中にあります。我が主*は間違えることも、忘れることもありません。
[1] 「書」とは、守られし碑板*のこととされる(ムヤッサル315頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ٱلَّذِي جَعَلَ لَكُمُ ٱلۡأَرۡضَ مَهۡدٗا وَسَلَكَ لَكُمۡ فِيهَا سُبُلٗا وَأَنزَلَ مِنَ ٱلسَّمَآءِ مَآءٗ فَأَخۡرَجۡنَا بِهِۦٓ أَزۡوَٰجٗا مِّن نَّبَاتٖ شَتَّىٰ
(かれは、)あなた方のために大地を平坦にされ、あなた方のためにそこに(多くの)道をお通しになり、天から(雨)水をお降らしになったお方」。そして、われら*はそれで、様々な種類の植物を出(し、育成)させる。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
كُلُواْ وَٱرۡعَوۡاْ أَنۡعَٰمَكُمۡۚ إِنَّ فِي ذَٰلِكَ لَأٓيَٰتٖ لِّأُوْلِي ٱلنُّهَىٰ
(アッラー*がお恵みになったよき作物から、)食べ、(それで)あなた方の家畜を飼育するがよい。本当にその中にはまさしく、まともな理性の持ち主への御徴[1]があるのだ。
[1] この「御徴」は、アッラー*の御力、かれの唯一性*、かれのみを崇拝*することに関する証拠のこと(前掲書、同頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
۞ مِنۡهَا خَلَقۡنَٰكُمۡ وَفِيهَا نُعِيدُكُمۡ وَمِنۡهَا نُخۡرِجُكُمۡ تَارَةً أُخۡرَىٰ
われら*は、あなた方をそれ(大地)から創り、(死後には)その中へとあなた方を戻し、そして(復活の日*には)再び、そこからあなた方を出すのである。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَقَدۡ أَرَيۡنَٰهُ ءَايَٰتِنَا كُلَّهَا فَكَذَّبَ وَأَبَىٰ
われら*は確かに彼(フィルアウン*)に対し、われら*の御徴[1]を全て見せた。そして彼は(それらを)嘘とし、拒んだのだ。
[1] この「御徴」に関しては、アーヤ*42の同語についての訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ أَجِئۡتَنَا لِتُخۡرِجَنَا مِنۡ أَرۡضِنَا بِسِحۡرِكَ يَٰمُوسَىٰ
彼(フィルアウン*)は言った。「一体あなたはーームーサー*よーー、あなたの魔術で私たちを、私たちの地から追い出すため、私たちのもとにやって来たのか?
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَلَنَأۡتِيَنَّكَ بِسِحۡرٖ مِّثۡلِهِۦ فَٱجۡعَلۡ بَيۡنَنَا وَبَيۡنَكَ مَوۡعِدٗا لَّا نُخۡلِفُهُۥ نَحۡنُ وَلَآ أَنتَ مَكَانٗا سُوٗى
それでは、私たちも必ずや、それと同様の魔術をあなたに披露しよう。そして私たちとあなたの間に、私たちも、あなたも違えることのない約束を、中ほどの場[1]に設けるのだ」。[2]
[1] 町外れに住んでいる者たちでも間題なく来れるような、町の中心地のこと。あるいは、観衆の視界を阻(はば)むようなものがない、平坦な場所(イブン・アーシュール16:246参照)。 [2] フィルアウン*が魔術師たちを集結させ、ムーサー*と魔術師たちに決戦させたことについては、高壁章109-126、ユーヌス*章79-82、詩人たち章34-51も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ مَوۡعِدُكُمۡ يَوۡمُ ٱلزِّينَةِ وَأَن يُحۡشَرَ ٱلنَّاسُ ضُحٗى
彼(ムーサー*)は言った。「あなた方の約束(の日時)は、晴れ着の日[1]で、人々は朝[2]に集められます」。
[1] 人々が着飾る、祭日のこと(ムヤッサル315頁参照)。 [2] ここで「朝」と訳した原語は「ドハー」、つまり朝、太陽が昇って暑くなり始める頃(イブン・アーシュール16:246参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَتَوَلَّىٰ فِرۡعَوۡنُ فَجَمَعَ كَيۡدَهُۥ ثُمَّ أَتَىٰ
フィルアウン*は引き返し、自分の策略を練り上げてから、約束(の日)に現れた。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ لَهُم مُّوسَىٰ وَيۡلَكُمۡ لَا تَفۡتَرُواْ عَلَى ٱللَّهِ كَذِبٗا فَيُسۡحِتَكُم بِعَذَابٖۖ وَقَدۡ خَابَ مَنِ ٱفۡتَرَىٰ
ムーサー*は、彼ら(魔術師たち)に言った。「あなた方の災難に(気を付けよ)。アッラー*に対して嘘をでっち上げてはならない。そうすれば、かれはあなた方を罰で根こそぎにしてしまおう。(アッラー*に)嘘をでっち上げる者は、確かに敗北するのだ」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَتَنَٰزَعُوٓاْ أَمۡرَهُم بَيۡنَهُمۡ وَأَسَرُّواْ ٱلنَّجۡوَىٰ
すると彼らは、仲間内で自分たちの事について論議し、密かに密談した。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالُوٓاْ إِنۡ هَٰذَٰنِ لَسَٰحِرَٰنِ يُرِيدَانِ أَن يُخۡرِجَاكُم مِّنۡ أَرۡضِكُم بِسِحۡرِهِمَا وَيَذۡهَبَا بِطَرِيقَتِكُمُ ٱلۡمُثۡلَىٰ
彼ら(魔術師たち)は言った。「実にこの二人(ムーサー*とハールーン*)は、まさしく魔術師である。彼ら二人はその魔術で、あなた方をあなた方の地から追い出し、あなた方の最善のやり方[1]を葬り去ろうとしているのだ。
[1] 「あなた方の最善のやり方」とは、彼らの魔術の手法のこと(ムヤッサル315頁参照)。 「あなた方の貴人たち」「あなた方の宗教」といった解釈もある(アル=バガウィー3:266-267参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأَجۡمِعُواْ كَيۡدَكُمۡ ثُمَّ ٱئۡتُواْ صَفّٗاۚ وَقَدۡ أَفۡلَحَ ٱلۡيَوۡمَ مَنِ ٱسۡتَعۡلَىٰ
ならば、あなた方の策略を練り上げ、それから一列になって行くのだ。そしてこの日、(相手に)勝った者は、確かに成功を収めたことになる」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالُواْ يَٰمُوسَىٰٓ إِمَّآ أَن تُلۡقِيَ وَإِمَّآ أَن نَّكُونَ أَوَّلَ مَنۡ أَلۡقَىٰ
彼ら(魔術師たち)は、言った。「ムーサー*よ、あなた方が杖を投げるか、それとも私たちが最初に(自分たちが持っているものを)投げる者となるか?」
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ بَلۡ أَلۡقُواْۖ فَإِذَا حِبَالُهُمۡ وَعِصِيُّهُمۡ يُخَيَّلُ إِلَيۡهِ مِن سِحۡرِهِمۡ أَنَّهَا تَسۡعَىٰ
彼(ムーサー*)は言った。「いや、あなた方が(先に)投げよ」。すると、彼らの縄と杖はどうであろうか、その魔術により、彼(ムーサー*)にはそれらが(大蛇と化して)這い回るように映った。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأَوۡجَسَ فِي نَفۡسِهِۦ خِيفَةٗ مُّوسَىٰ
それでムーサー*は、自らの内に恐怖感を抱いた。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قُلۡنَا لَا تَخَفۡ إِنَّكَ أَنتَ ٱلۡأَعۡلَىٰ
われら*は言った。「怖れるのではない。まさにあなたこそは、(彼らに対する)勝利者なのだから。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَأَلۡقِ مَا فِي يَمِينِكَ تَلۡقَفۡ مَا صَنَعُوٓاْۖ إِنَّمَا صَنَعُواْ كَيۡدُ سَٰحِرٖۖ وَلَا يُفۡلِحُ ٱلسَّاحِرُ حَيۡثُ أَتَىٰ
そして、あなたの右手にあるもの(杖)を投げよ。そうすれば、それは彼らの作ったもの[1]を、呑み込んでしまう。本当に彼らの作ったものは、魔術師の策略なのだ。そして魔術師はどこに行こうと、成功することなどはない」。
[1] 魔術による幻の大蛇のこと(ムヤッサル316頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأُلۡقِيَ ٱلسَّحَرَةُ سُجَّدٗا قَالُوٓاْ ءَامَنَّا بِرَبِّ هَٰرُونَ وَمُوسَىٰ
(こうしてムーサー*は杖を投げ、それは幻の大蛇を呑み込んだ。)そして魔術師たちは、サジダ*しつつ崩れ落ちた[1]。彼らは言った。「私たちは、ハールーン*とムーサー*の主*を信じました」。
[1] 高壁章120の訳注も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ ءَامَنتُمۡ لَهُۥ قَبۡلَ أَنۡ ءَاذَنَ لَكُمۡۖ إِنَّهُۥ لَكَبِيرُكُمُ ٱلَّذِي عَلَّمَكُمُ ٱلسِّحۡرَۖ فَلَأُقَطِّعَنَّ أَيۡدِيَكُمۡ وَأَرۡجُلَكُم مِّنۡ خِلَٰفٖ وَلَأُصَلِّبَنَّكُمۡ فِي جُذُوعِ ٱلنَّخۡلِ وَلَتَعۡلَمُنَّ أَيُّنَآ أَشَدُّ عَذَابٗا وَأَبۡقَىٰ
彼(フィルアウン*)は言った。「私があなた方に許可を出す前に、あなた方は彼を信じた(のか)。本当に彼はまさしく、あなた方に魔術を教えた。あなた方の親玉なのだ。ならば私は必ずや、あなた方の手足を交互に切り落とし、あなた方をナツメヤシの木の幹に磔にしてやろう。そしてあなた方はきっと、私たち[1]のいずれが、より厳しく永い罰(の主)なのか、知ることになるのだ」。
[1] 「私たちとは、フィルアウン*と、アッラー*のこと(前掲書、同頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالُواْ لَن نُّؤۡثِرَكَ عَلَىٰ مَا جَآءَنَا مِنَ ٱلۡبَيِّنَٰتِ وَٱلَّذِي فَطَرَنَاۖ فَٱقۡضِ مَآ أَنتَ قَاضٍۖ إِنَّمَا تَقۡضِي هَٰذِهِ ٱلۡحَيَوٰةَ ٱلدُّنۡيَآ
彼ら(魔術師たち)は言った。「私たちは決して、私たちのもとに到来した明証と、私たちを創成されたお方[1]より、あなたを重んじたりはしません。では、あなたのすることを、するがよいでしょう。あなたが(権限を有)するのは、この現世の生活だけのことなのですから。
[1] 頻出名・用語集の「創成者*」の項も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّآ ءَامَنَّا بِرَبِّنَا لِيَغۡفِرَ لَنَا خَطَٰيَٰنَا وَمَآ أَكۡرَهۡتَنَا عَلَيۡهِ مِنَ ٱلسِّحۡرِۗ وَٱللَّهُ خَيۡرٞ وَأَبۡقَىٰٓ
本当に私たちは、かれ(アッラー*)が私たちの過ちと、あなたが私たちに無理強いした魔術のことをお赦しになるべく、私たちの主*を信じました。そしてアッラー*は(あなたよりも)より善く、より永いお方[1]なのです」。[2]
[1] アッラー*は、かれに従う者に対し、フィルアウン*が彼に従う者に与えるよりも、善い褒美(ほうび)をお授けになる、またアッラー*は、かれに逆らう者に対し、フィルアウン*が彼に逆らう者に与えるよりも、長期間の懲罰をお与えになる(ムヤッサル316頁参照)。 [2] 高壁章125-126、及びその訳注も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّهُۥ مَن يَأۡتِ رَبَّهُۥ مُجۡرِمٗا فَإِنَّ لَهُۥ جَهَنَّمَ لَا يَمُوتُ فِيهَا وَلَا يَحۡيَىٰ
本当に、自分の主*の御許に罪悪者(不信仰者*)として馳せ参じる者があれば、地獄は彼のためにこそある。彼はそこで(安らぐべく)死ぬことも、(楽しく)生きることもない。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَمَن يَأۡتِهِۦ مُؤۡمِنٗا قَدۡ عَمِلَ ٱلصَّٰلِحَٰتِ فَأُوْلَٰٓئِكَ لَهُمُ ٱلدَّرَجَٰتُ ٱلۡعُلَىٰ
そしてかれの御許に、正しい行い*に励んだ信仰者としてやって来る者、それらの者たちにこそは(天国で)高い位がある。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
جَنَّٰتُ عَدۡنٖ تَجۡرِي مِن تَحۡتِهَا ٱلۡأَنۡهَٰرُ خَٰلِدِينَ فِيهَاۚ وَذَٰلِكَ جَزَآءُ مَن تَزَكَّىٰ
その下から河川が流れる、永久の楽園が。彼らはそこに永遠に留まる。それが、自らを努めて清めた者[1]への褒美なのだ。
[1] 「自らを清めた者」とは、自分自身を、汚れ・悪・シルク*から清め、アッラー*だけを崇拝*し、かれに従って逆らわず、シルク*を犯した状態ではなくして主*と拝謁(はいえつ)した者のこと(前掲書、同頁参照)。至高者章14の同語についての訳注も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَقَدۡ أَوۡحَيۡنَآ إِلَىٰ مُوسَىٰٓ أَنۡ أَسۡرِ بِعِبَادِي فَٱضۡرِبۡ لَهُمۡ طَرِيقٗا فِي ٱلۡبَحۡرِ يَبَسٗا لَّا تَخَٰفُ دَرَكٗا وَلَا تَخۡشَىٰ
また、われら*は確かに、ムーサー*に(こう)啓示した[1]。「われら*の僕たち(イスラーイールの子ら*)と共に、夜(エジプトを)旅立て。そして(追っ手が)追いつくことを怖がらず、(溺れることも)恐れず、彼らのため、海に干上がった道を作ってやるのだ」。
[1] 高壁章127-135にもあるように、この啓示の前、ムーサー*はエジプトに長期間滞在し、フィルアウン*とその民をアッラー*の教えと招き続けている(イブン・カスィール6:142参照)。また、イスラーイールの子ら*がエジプトを脱出した時の描写(びょうしゃ)については、ユーヌス*章90-92、詩人たち章61-66、煙霧章23-24も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأَتۡبَعَهُمۡ فِرۡعَوۡنُ بِجُنُودِهِۦ فَغَشِيَهُم مِّنَ ٱلۡيَمِّ مَا غَشِيَهُمۡ
こうしてフィルアウン*は、その軍勢に彼らを追跡させた。そして海原から彼らを、彼らを覆ったものが覆った[1]
[1] ムーサー*らが海を渡り終えたところで、その後を追って同じ道をやって来たフィルアウン*とその軍勢に海の水が襲いかかり、彼らは全滅した(アッ=サァディー510頁参照)。「覆ったものが覆った」という表現については、アーヤ*38の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَأَضَلَّ فِرۡعَوۡنُ قَوۡمَهُۥ وَمَا هَدَىٰ
フィルアウン*はその民を迷わせたのであり、導いたのではなかった。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
يَٰبَنِيٓ إِسۡرَٰٓءِيلَ قَدۡ أَنجَيۡنَٰكُم مِّنۡ عَدُوِّكُمۡ وَوَٰعَدۡنَٰكُمۡ جَانِبَ ٱلطُّورِ ٱلۡأَيۡمَنَ وَنَزَّلۡنَا عَلَيۡكُمُ ٱلۡمَنَّ وَٱلسَّلۡوَىٰ
イスラーイールの子ら*よ、われら*は確かにあなた方[1]を、あなた方の敵から救った。また山の右側であなた方と約束を交わし[2]、あなた方にマンヌとウズラ[3]を下した。
[1] ここでの「あなた方」については、雌牛章49「あなた方」の訳注を参照。 [2] ムーサー*に、トーラー*を啓示するという約束のこととされる。雌牛章51、高壁章142、本スーラ*のアーヤ*86も参照(アッ=シャンキーティー4:74参照)。 [3] 「マンヌとウズラ」については、雌牛章57の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
كُلُواْ مِن طَيِّبَٰتِ مَا رَزَقۡنَٰكُمۡ وَلَا تَطۡغَوۡاْ فِيهِ فَيَحِلَّ عَلَيۡكُمۡ غَضَبِيۖ وَمَن يَحۡلِلۡ عَلَيۡهِ غَضَبِي فَقَدۡ هَوَىٰ
われら*があなた方に授けた善きものから、食べるがよい。そしてそれにおいて、放埓であってはならない[1]。そうすれば、あなた方にわが怒りが降りかかろう。わが怒りが降りかかる者は誰でも、確かに転落し(破滅し)た[2]のである。
[1] 具体的には、「不正*を犯してはならない」「恩恵をないがしろにしてはならない」「罪深いことにそれを費やしてはならない」「貯め込んではならない」といった解釈がある(アル=バガウィー3:270参照)。 [2] 「転落(ハワー)」という表現は、地獄の奥底への転落という意味も含み得る(アル=クルトゥビー11:231参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَإِنِّي لَغَفَّارٞ لِّمَن تَابَ وَءَامَنَ وَعَمِلَ صَٰلِحٗا ثُمَّ ٱهۡتَدَىٰ
本当にわれは、悔悟し、信仰し、正しい行い*に励み、そして導かれた者に対し、実に赦し深い者なのである。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
۞ وَمَآ أَعۡجَلَكَ عَن قَوۡمِكَ يَٰمُوسَىٰ
(アッラー*は仰せられた。)「何があなたを、あなたの民から急がせたのか[1]、ムーサー*よ?」
[1] 人々を後にして、アッラー*との約束のために山へと急いだ時のことを指す(ムヤッサル317頁参照)。高壁章142以降も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ هُمۡ أُوْلَآءِ عَلَىٰٓ أَثَرِي وَعَجِلۡتُ إِلَيۡكَ رَبِّ لِتَرۡضَىٰ
彼(ムーサー*)は、申し上げた。「彼らは、私の後を追って来ている、あれらの者たちです。そして私はーー我が主*よーー、あなたがお喜びになるべく、(彼らを置いて)あなたの御許へと急いだのです」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ فَإِنَّا قَدۡ فَتَنَّا قَوۡمَكَ مِنۢ بَعۡدِكَ وَأَضَلَّهُمُ ٱلسَّامِرِيُّ
かれは仰せられた。「というのも実にわれら*は、あなた(の民との離別)の後、確かにあなたの民を試みたのだ。そしてサーミリーが彼らを、迷わせたのである」。[1]
[1] 「サーミリー」が誰かについては、「牛を崇拝*する民の出身の男」「ムーサー*の隣人であり、彼を信じたコプト人」など、諸説ある(アッ=シャンキーティー4:78参照)。彼は、ムーサー*がトーラー*を受け取るために民を離れていた時(高壁章143-145参照)、イスラーイールの子ら*の試練の原因となった(高壁章148-153、イブン・カスィール5:310参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَرَجَعَ مُوسَىٰٓ إِلَىٰ قَوۡمِهِۦ غَضۡبَٰنَ أَسِفٗاۚ قَالَ يَٰقَوۡمِ أَلَمۡ يَعِدۡكُمۡ رَبُّكُمۡ وَعۡدًا حَسَنًاۚ أَفَطَالَ عَلَيۡكُمُ ٱلۡعَهۡدُ أَمۡ أَرَدتُّمۡ أَن يَحِلَّ عَلَيۡكُمۡ غَضَبٞ مِّن رَّبِّكُمۡ فَأَخۡلَفۡتُم مَّوۡعِدِي
ムーサー*は怒り、悲しみつつ、自分の民のもとに戻った。彼は言った。「我が民よ、一体あなた方の主*は、あなた方に、善きお約束[1]を約束されたのではなかったのか?一体、(約束の)その期間が、あなた方に長引い(て待ち切れなくなっ)たというのか?それともあなた方は、あなた方の主*からのお怒りが自分たちに降りかかることを望み、それで私との約束を破ったのか?」
[1] 「善きお約束」とは、トーラー*の啓示のこと(ムヤッサル317頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالُواْ مَآ أَخۡلَفۡنَا مَوۡعِدَكَ بِمَلۡكِنَا وَلَٰكِنَّا حُمِّلۡنَآ أَوۡزَارٗا مِّن زِينَةِ ٱلۡقَوۡمِ فَقَذَفۡنَٰهَا فَكَذَٰلِكَ أَلۡقَى ٱلسَّامِرِيُّ
彼らは言った。「私たちは自分たちの選択で、あなたとの約束を破ったわけではない。しかし私たちは(フィルアウン*の)民の宝飾品の内から、思い荷物を背負わされたのであり、それを(サーミリーの命令通り、火を点けた穴の中に)放り込んだのだ[1]。そしてサーミリーも同じように、放り投げた[2]」。
[1] 一説に、イスラーイールの子ら*はエジプトを出る時、コプト人たちから沢山の宝飾品を借りて来ており、そのことについて罪悪感を感じていた(アッ=サァディー511頁参照)。あるいは、それらはフィルアウン*とその軍勢が溺れた時、彼らから奪った物であった。いずれにせよ、その財産、または戦利品*は、彼らにとって非合法なものであった(アル=クルトゥビー11:235参照)。 [2] サーミリーの放り投げた物については、アーヤ*96を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأَخۡرَجَ لَهُمۡ عِجۡلٗا جَسَدٗا لَّهُۥ خُوَارٞ فَقَالُواْ هَٰذَآ إِلَٰهُكُمۡ وَإِلَٰهُ مُوسَىٰ فَنَسِيَ
こうして彼(サーミリー)は彼らに、鳴き声を有する、実体のある仔牛を(それらの黄金から作って)出した。そして彼ら[1]は、言ったのだ。「これは、あなた方の神[2]であり、ムーサー*の神である。そして彼(ムーサー*)は、(仔牛のことを)忘れてしまった[3]のだ」。
[1] この「彼ら」とは、イスラーイールの子ら*の内、試練に負けてしまった者たち(ムヤッサル318頁参照)。 [2] 「神」に関しては、雌牛章133の訳注を参照。 [3] つまり、「ムーサー*は、自分の神をここに忘れて、探しに行ってしまった」、あるいは「それがあなた方の神であると言うのを、忘れてしまった」(イブン・カスィール5:311参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
أَفَلَا يَرَوۡنَ أَلَّا يَرۡجِعُ إِلَيۡهِمۡ قَوۡلٗا وَلَا يَمۡلِكُ لَهُمۡ ضَرّٗا وَلَا نَفۡعٗا
一体彼らは、それ(仔牛)が彼らに言葉も返さなければ、彼らに対して害も益も有してはいない[1]のが、分からないのか?
[1] 「害も益も備えてはいない」については、ユーヌス*章106の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَقَدۡ قَالَ لَهُمۡ هَٰرُونُ مِن قَبۡلُ يَٰقَوۡمِ إِنَّمَا فُتِنتُم بِهِۦۖ وَإِنَّ رَبَّكُمُ ٱلرَّحۡمَٰنُ فَٱتَّبِعُونِي وَأَطِيعُوٓاْ أَمۡرِي
(ムーサー*の帰還)以前、ハールーン*は彼らに対し、確かに(こう)言った。「我が民よ、あなた方はまさしく、それ(仔牛)で試されている。そして本当に、あなた方の主*は慈悲あまねき*お方。ならば私に従い、私の命令に服すのだ」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالُواْ لَن نَّبۡرَحَ عَلَيۡهِ عَٰكِفِينَ حَتَّىٰ يَرۡجِعَ إِلَيۡنَا مُوسَىٰ
彼らは言った。「私たちは、ムーサー*が私たちの所に戻って来るまで、それ(仔牛)に崇め仕えるのを決して止めないぞ」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ يَٰهَٰرُونُ مَا مَنَعَكَ إِذۡ رَأَيۡتَهُمۡ ضَلُّوٓاْ
彼(ムーサー*)は言った。「ハールーン*よ、彼らが迷ったのを目にした時、あなたを引き止めたものは何なのか、
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
أَلَّا تَتَّبِعَنِۖ أَفَعَصَيۡتَ أَمۡرِي
あなたが私に従うことから(引き止めたのは)?一体、あなたは私の命令に背いたのか?[1]
[1] ムーサー*は残した民のことを、高壁章142にあるような言葉と共に、ハールーン*に委任していた(ムヤッサル318頁参照)。また、このアーヤ*と同じ場面を描写している、高壁章150-151も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ يَبۡنَؤُمَّ لَا تَأۡخُذۡ بِلِحۡيَتِي وَلَا بِرَأۡسِيٓۖ إِنِّي خَشِيتُ أَن تَقُولَ فَرَّقۡتَ بَيۡنَ بَنِيٓ إِسۡرَٰٓءِيلَ وَلَمۡ تَرۡقُبۡ قَوۡلِي
彼(ハールーン*)は言った。「我が母の息子[1]よ、私のあごひげも、頭(髪)も、掴まないでくれ。本当に私は、(もし私が彼らを放ったらかしにて、あなたを追っかけていたら、)『あなたはイスラーイールの子ら*を分裂させ、私の言いつけも守らなかった』とあなたが言うことを、恐れていたのだ」。[2]
[1] 「我が母の息子」という表現に関しては、高壁章150の訳注を参照。 [2] 高壁章150には、このアーヤ*で示されているのとは別のハールーン*の言い訳と、それに対するムーサー*の反応が描写されている。また、イスラーイールの子ら*のこの罪が招いた結果については、雌牛章54とその訳注を、預言者*・使徒*の無謬(むびゅう)性については、同章36の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ فَمَا خَطۡبُكَ يَٰسَٰمِرِيُّ
彼(ムーサー*)は言った。「では、あなたの言い分は何なのだ、サーミリーよ?」
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ بَصُرۡتُ بِمَا لَمۡ يَبۡصُرُواْ بِهِۦ فَقَبَضۡتُ قَبۡضَةٗ مِّنۡ أَثَرِ ٱلرَّسُولِ فَنَبَذۡتُهَا وَكَذَٰلِكَ سَوَّلَتۡ لِي نَفۡسِي
彼(サーミリー)は言った。「私は、彼らが目にしなかったもの(ジブリール*)を見たのです[1]。それで私は、御使い(ジブリール*)の(馬の足)跡から、一掴み(の土)を手にし、それを(燃やして溶けた宝飾品に)投げかけました。そのように私の自我は、(このような行いを)自分自身に目映く見せたのです」。[2]
[1] これは、彼ら(イスラーイールの子ら*)が海を渡り、それを追うフィルアウン*とその軍勢が、溺れ死んだ時のこと(ムヤッサル318頁参照)。 [2] アーヤ*87も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ فَٱذۡهَبۡ فَإِنَّ لَكَ فِي ٱلۡحَيَوٰةِ أَن تَقُولَ لَا مِسَاسَۖ وَإِنَّ لَكَ مَوۡعِدٗا لَّن تُخۡلَفَهُۥۖ وَٱنظُرۡ إِلَىٰٓ إِلَٰهِكَ ٱلَّذِي ظَلۡتَ عَلَيۡهِ عَاكِفٗاۖ لَّنُحَرِّقَنَّهُۥ ثُمَّ لَنَنسِفَنَّهُۥ فِي ٱلۡيَمِّ نَسۡفًا
彼(ムーサー*)は言った。「ならば、行くがよい。というのも本当にあなたは、この(現世での)生活にいる間は『(私に)近づくのではない』と言うこと[1]になり、本当にあなたにこそは、決して破られることのない(来世での懲罰の)約束があるのだから。あなたが仕えていた自分の神(仔牛)を、見てみるがよい。私たちはそれを必ずや焼き尽くし、それからきっと、それを海原に跡形もなくばら撒いてしまおう」。
[1] 触れるべきではなかったジブリール*の遺したものに触れてしまった現世での罰として、サーミリーは「(私に)近づくのではない」と言い、人々との接触を一切絶たなくてはならなくなった(イブン・カスィール5:313-314参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّمَآ إِلَٰهُكُمُ ٱللَّهُ ٱلَّذِي لَآ إِلَٰهَ إِلَّا هُوَۚ وَسِعَ كُلَّ شَيۡءٍ عِلۡمٗا
あなた方が崇拝*すべきは、かれ以外に(真に)崇拝*すべきいかなるものもない、アッラー*のみ。かれは(その)知識で、全てのものを網羅し給う。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
كَذَٰلِكَ نَقُصُّ عَلَيۡكَ مِنۡ أَنۢبَآءِ مَا قَدۡ سَبَقَۚ وَقَدۡ ءَاتَيۡنَٰكَ مِن لَّدُنَّا ذِكۡرٗا
(使徒*ムハンマド*よ、)そのようにわれら*は、既に過ぎ去ったものの消息の一部を、あなたに語って聞かせる。また、われら*は確かにわれら*の御許から、あなたに教訓(クルアーン*)を授けたのである。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
مَّنۡ أَعۡرَضَ عَنۡهُ فَإِنَّهُۥ يَحۡمِلُ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ وِزۡرًا
それ(クルアーン*)に背を向ける者は誰でも、本当に復活の日*、(罪という)重荷を背負うことになる。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
خَٰلِدِينَ فِيهِۖ وَسَآءَ لَهُمۡ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ حِمۡلٗا
彼らはそこ(懲罰)に、永遠に留まる。そして復活の日*、彼らの荷物は何と忌まわしいことか。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
يَوۡمَ يُنفَخُ فِي ٱلصُّورِۚ وَنَحۡشُرُ ٱلۡمُجۡرِمِينَ يَوۡمَئِذٖ زُرۡقٗا
角笛に吹き込まれるその日[1]、われら*はその日、眼が青くなった[2]罪悪者たちを召集する。
[1] 復活の日*のこと(ムヤッサル319頁参照)。家畜章73の訳注も参照。 [2] その日の出来事と恐怖の激しさゆえ、彼らの肌と眼の色は青ずんでしまう(前掲書、同頁参照)。また一説によれば、当時のアラブ人は青い眼を不吉がっていた(アッ=ラーズィー8:98参照)。イムラーン家章106も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
يَتَخَٰفَتُونَ بَيۡنَهُمۡ إِن لَّبِثۡتُمۡ إِلَّا عَشۡرٗا
彼らは、自分たちの間で、ひそひそ話し合(い、こう言)う。「あなた方は(現世で)、十(日間)しか過ごさなかった」。[1]
[1] ユーヌス*章45とその訳注、及び、信仰者たち章113-114、ビサンチン章55、砂丘章35、引き離すもの章46も参照。また一説にこの言葉は、現世と来世の長さの違いを実感した時の、彼らの驚きの声であるとも言われる( アッ=ラーズィー8:99参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
نَّحۡنُ أَعۡلَمُ بِمَا يَقُولُونَ إِذۡ يَقُولُ أَمۡثَلُهُمۡ طَرِيقَةً إِن لَّبِثۡتُمۡ إِلَّا يَوۡمٗا
われら*は、彼らの中で最も見識ある者が、「あなた方は(現世で)、一日しか過ごさなかった」と言う時、彼らの言うことを最もよく知っているのだ。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَيَسۡـَٔلُونَكَ عَنِ ٱلۡجِبَالِ فَقُلۡ يَنسِفُهَا رَبِّي نَسۡفٗا
(使徒*よ、)彼らは、(復活の日*の)山々(の状態)について、あなたに尋ねる。ならば、言うのだ。「我が主*はそれらを、跡形もなく粉々にされる。[1]
[1] これら復活の日*の天変地異の様子については、洞窟章47、山将9-10、出来事章5-6、真実章13-15、階段章8-9とその訳注、消息章20、巻き込む章3、衝撃章4-5なども参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَيَذَرُهَا قَاعٗا صَفۡصَفٗا
そしてそれ(大地)を、真っ平でつるつるなものとされ、
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
لَّا تَرَىٰ فِيهَا عِوَجٗا وَلَآ أَمۡتٗا
あなたはそこに、いかなる歪みや起伏も見出すことがない」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
يَوۡمَئِذٖ يَتَّبِعُونَ ٱلدَّاعِيَ لَا عِوَجَ لَهُۥۖ وَخَشَعَتِ ٱلۡأَصۡوَاتُ لِلرَّحۡمَٰنِ فَلَا تَسۡمَعُ إِلَّا هَمۡسٗا
その日、彼らは呼ぶ者(の声)に従(い、集合の場へと向か)う。彼からの逃げ道は、全くない。そして(人々の)声は、慈悲あまねき*お方(アッラー*)に対して恭順[1]にな(って消え入)り、あなたはひそひそ声[2]しか耳にすることがないのだ。
[1] この「恭順」については、雌牛章45の訳注を参照。 [2] 「ひそひそ声(ハムス)は、声以外にも、全ての小さい物音を表し得る。復活の集合の場へと静かに向かう、人々の足音という理解も可能(アッ=シャンキーティー4:100参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
يَوۡمَئِذٖ لَّا تَنفَعُ ٱلشَّفَٰعَةُ إِلَّا مَنۡ أَذِنَ لَهُ ٱلرَّحۡمَٰنُ وَرَضِيَ لَهُۥ قَوۡلٗا
その日、慈悲あまねき*お方が許可を授け、その言葉においてご満悦された者以外、執り成しは役に立たない。[1]
[1] アッラー*のお許しがなければ、預言者*や使徒*でさえも、執り成すことはできない。そして執り成しを受ける側も、その言動においてアッラー*がお喜びになる誠実な信仰者でなければ、執り成しを受けることが出来ない(アッ=サァディー513頁参照)。 雌牛章48の訳注、マルヤム*章87も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
يَعۡلَمُ مَا بَيۡنَ أَيۡدِيهِمۡ وَمَا خَلۡفَهُمۡ وَلَا يُحِيطُونَ بِهِۦ عِلۡمٗا
かれは、彼らの前にあるものも、背後にあるもの[1]も、ご存知なのだ。また彼らが、かれのことを知り尽くすことは出来ない。
[1] 「彼らの前にあるもの・・・」については、雌牛章255の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
۞ وَعَنَتِ ٱلۡوُجُوهُ لِلۡحَيِّ ٱلۡقَيُّومِۖ وَقَدۡ خَابَ مَنۡ حَمَلَ ظُلۡمٗا
そして(人々の)顔[1]は、永生する*お方、全てを司る*お方へと屈服する。不正*を背負った者は、(復活の日*、)確かに敗北したのだ。
[1] ここで特に顔のみが言及されているのは、人の屈服は顔によって表され、顔において表れるからである、と言われる(アッ=ラーズィー8:102参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَمَن يَعۡمَلۡ مِنَ ٱلصَّٰلِحَٰتِ وَهُوَ مُؤۡمِنٞ فَلَا يَخَافُ ظُلۡمٗا وَلَا هَضۡمٗا
そして信仰者で正しい行い*を行う者は誰であれ、不正*も欠損も怖れることがない[1]
[1] やってもいない悪行について問われることもなければ、行った善行の褒美 (ほうび)を不当に減らされることもない、ということ(ムヤッサル319頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَكَذَٰلِكَ أَنزَلۡنَٰهُ قُرۡءَانًا عَرَبِيّٗا وَصَرَّفۡنَا فِيهِ مِنَ ٱلۡوَعِيدِ لَعَلَّهُمۡ يَتَّقُونَ أَوۡ يُحۡدِثُ لَهُمۡ ذِكۡرٗا
そのように、われら*はそれをアラビア語のクルアーン*として下し、その中で警告を多彩に示した。(それは、)彼らが(アッラー*を)畏れ*るため、あるいは彼らに教訓を汲ませるためなのである。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَتَعَٰلَى ٱللَّهُ ٱلۡمَلِكُ ٱلۡحَقُّۗ وَلَا تَعۡجَلۡ بِٱلۡقُرۡءَانِ مِن قَبۡلِ أَن يُقۡضَىٰٓ إِلَيۡكَ وَحۡيُهُۥۖ وَقُل رَّبِّ زِدۡنِي عِلۡمٗا
そして、王であり、真理であられるアッラー*は、(いかなる欠点からも)高遠なお方であられる。(使徒*よ)、あなたにその啓示が(一頻り)下り終わる前に、クルアーン*(を受け取ること)に慌てるのではない。そして、言うのだ。「我が主*よ、私に知識を増やして下さい」。[1]
[1] 預言者*ムハンマド*は、クルアーン*という知識への愛着と熱意ゆえに、ジブリール*がそれを彼に読誦(どくしょう)して伝授する際、それを慌(あわ)てて受け取ろうとした(復活章16以降、およびその訳注も参照)。それでアッラー*は、彼が知識の増加を、アッラー*ご自身にこそ求めることを命じられた(アッ=サァディー514頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَقَدۡ عَهِدۡنَآ إِلَىٰٓ ءَادَمَ مِن قَبۡلُ فَنَسِيَ وَلَمۡ نَجِدۡ لَهُۥ عَزۡمٗا
われら*は確かに以前、アーダム*に(楽園の木の実を食べないよう)命じた[1]。そして彼は(そのことを)忘れてしまい、われらは彼に(命令を遵守するだけの)注意(の力)を見出すことがなかった。
[1] この出来事の詳細に関しては、雌牛章30-39、高壁章11-25、夜の旅章61-65、サード章71-83なども参照のこと。預言者*・使徒*の無謬(むびゅう)性については、雌牛章36の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَإِذۡ قُلۡنَا لِلۡمَلَٰٓئِكَةِ ٱسۡجُدُواْ لِأٓدَمَ فَسَجَدُوٓاْ إِلَّآ إِبۡلِيسَ أَبَىٰ
また、われら*が天使*たちに「アーダム*にサジダ[1]せよ」と言い、彼らが(全員)サジダ*した時のこと(を思い出せ)[2]。但しイブリース*だけは別で、(それを)拒んだ。[3]
[1] この「サジダ*」については、雌牛章34の訳注を参照。 [2] この出来事の詳細に関しては、雌牛章34-39、高壁章11-25、アル=ヒジュル章28-42、夜の旅章61-65、洞窟章50、サード章71-83なども参照。 [3] イブリース*がサジダ*を拒んだことについては、高壁章12とその訳注も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَقُلۡنَا يَٰٓـَٔادَمُ إِنَّ هَٰذَا عَدُوّٞ لَّكَ وَلِزَوۡجِكَ فَلَا يُخۡرِجَنَّكُمَا مِنَ ٱلۡجَنَّةِ فَتَشۡقَىٰٓ
われら*は言った。「アーダム*よ、本当にこれ(イブリース*)はあなたと、あなたの妻に対する敵である。ならば、彼に(従って)あなた方二人を楽園[1]から追い出させ、それであなた[2]が不幸になるようではならない。
[1] この「楽園」については、雌牛章35の訳注を参照。 [2] シャイターン*に従えば、アーダム*もその妻ハウワーゥ*も、不幸になることに変わりはない。一説に、ここでアーダム*のみが「不幸になる」と言及されているのは、ここでの「不幸」が「身体的労苦」のことであり、シャイターン*に従って楽園から出たら、それまでは保証されていた衣食住を獲得するために苦労するのは、男性であるアーダム*自身に外ならないため、とされる(アル=クルトゥビー11:253参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
إِنَّ لَكَ أَلَّا تَجُوعَ فِيهَا وَلَا تَعۡرَىٰ
本当にあなたはそこ(楽園)において、飢えることもなければ、裸になることもない。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَأَنَّكَ لَا تَظۡمَؤُاْ فِيهَا وَلَا تَضۡحَىٰ
また、そこで喉が渇くことも、太陽に晒されることもない。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَوَسۡوَسَ إِلَيۡهِ ٱلشَّيۡطَٰنُ قَالَ يَٰٓـَٔادَمُ هَلۡ أَدُلُّكَ عَلَىٰ شَجَرَةِ ٱلۡخُلۡدِ وَمُلۡكٖ لَّا يَبۡلَىٰ
すると、シャイターン*が彼に囁きかけて、言った。「アーダム*よ、永遠の(生を授けてくれる)木と、廃れることのない王権へと、あなたを案内してやろうか?」
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَأَكَلَا مِنۡهَا فَبَدَتۡ لَهُمَا سَوۡءَٰتُهُمَا وَطَفِقَا يَخۡصِفَانِ عَلَيۡهِمَا مِن وَرَقِ ٱلۡجَنَّةِۚ وَعَصَىٰٓ ءَادَمُ رَبَّهُۥ فَغَوَىٰ
こうして二人はそこから食べ、二人の恥部(アウラ*)は彼ら自身に露わになってしまい、二人は楽園の葉でそれら(アウラ*)を隠し始めた[1]。アーダム*は彼の主*に逆らい、誤った[2]のである。
[1] 高壁章22とその訳注も参照。 [2] クルアーン*がスンナ*の中にある描写を読むのでない限り、人がアーダム*を「主*に逆らった」などと描写することは、預言者*・人類の祖に対する礼儀上、許されない(イブン・アル=アラビー3:259参照)。預言者*の無謬(むびゅう)性については、雌牛章36の訳注を参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
ثُمَّ ٱجۡتَبَٰهُ رَبُّهُۥ فَتَابَ عَلَيۡهِ وَهَدَىٰ
それから、かれの主*は彼(アーダム*)をお選びになり、彼の悔悟をお受け入れになり、お導きになった。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ ٱهۡبِطَا مِنۡهَا جَمِيعَۢاۖ بَعۡضُكُمۡ لِبَعۡضٍ عَدُوّٞۖ فَإِمَّا يَأۡتِيَنَّكُم مِّنِّي هُدٗى فَمَنِ ٱتَّبَعَ هُدَايَ فَلَا يَضِلُّ وَلَا يَشۡقَىٰ
かれは仰せられた。「二人とも共に、(イブリース*と)互いに敵となって、そこ(楽園)から落ちて行け。そして、あなた方にわれら*の御許からの導きが到来した時、わが導き(使徒*と啓典)に従う者は誰でも、(現世で)迷うことはなく、(来世で)不幸になることもない。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَمَنۡ أَعۡرَضَ عَن ذِكۡرِي فَإِنَّ لَهُۥ مَعِيشَةٗ ضَنكٗا وَنَحۡشُرُهُۥ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ أَعۡمَىٰ
また、わが教訓に背を向ける者、本当に彼には苦しい生活[1]がある。そしてわれら*は復活の日*、彼を盲目にして集める[2]のだ」。
[1] ある種の解釈学者らは、この「苦しい生活」を、現世・復活の日*が来るまでの死後の世界・来世におけるもの、という広い意味で理解している(アッ=サァディー515頁参照)。 [2] 現世で、アッラー*の教訓において盲目であったように、来世ではその視覚を奪われる(アル=カースィミー 11:4230参照)。夜の旅章97の訳注も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ رَبِّ لِمَ حَشَرۡتَنِيٓ أَعۡمَىٰ وَقَدۡ كُنتُ بَصِيرٗا
彼は言う。「我が主*よ、どうして私を盲目にしてお集めになったのですか?私は(現世では、)目が見えていましたのに?」
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قَالَ كَذَٰلِكَ أَتَتۡكَ ءَايَٰتُنَا فَنَسِيتَهَاۖ وَكَذَٰلِكَ ٱلۡيَوۡمَ تُنسَىٰ
かれは仰せられる。「(あなたがしたことと、)同様(にしたの)である。われらの御徴はあなたに到来し、そしてあなたはそれを(故意に)忘れたのだから。それで同じようにこの日、あなたは(地獄に)忘れ去られよう」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَكَذَٰلِكَ نَجۡزِي مَنۡ أَسۡرَفَ وَلَمۡ يُؤۡمِنۢ بِـَٔايَٰتِ رَبِّهِۦۚ وَلَعَذَابُ ٱلۡأٓخِرَةِ أَشَدُّ وَأَبۡقَىٰٓ
そのように、われら*は自分の主*の御徴を信じず、(主*への反抗に)度を越していた者に応報を与える。来世の懲罰こそは、より厳しく、より永いのである。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
أَفَلَمۡ يَهۡدِ لَهُمۡ كَمۡ أَهۡلَكۡنَا قَبۡلَهُم مِّنَ ٱلۡقُرُونِ يَمۡشُونَ فِي مَسَٰكِنِهِمۡۚ إِنَّ فِي ذَٰلِكَ لَأٓيَٰتٖ لِّأُوْلِي ٱلنُّهَىٰ
一体、われら*が彼ら以前に、どれほど多くの(不信仰な)民*を滅ぼしたかが、彼らにはまだ明らかになってはいないのか?彼らはその者たちの住居の中を、(その滅亡の跡を目にして)歩いているというのに?本当にそこ[1]にはまさしく、まともな理性の持ち主への御徴があるのだ。
[1] つまり、多くの不信仰な民が罰を受けて滅亡し、その痕跡が残っていること(ムヤッサル321頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَوۡلَا كَلِمَةٞ سَبَقَتۡ مِن رَّبِّكَ لَكَانَ لِزَامٗا وَأَجَلٞ مُّسَمّٗى
(彼ら不信仰者*の懲罰を先送りにするという)あなたの主*からの先んじた御言葉と、定められた期限[1]さえなければ、(彼らの早期での滅亡は)必然だったのである。
[1] この「定められた期限」には具体的に、「彼らの寿命や懲罰に関して定められた期限」「復活の日*」「バドルの戦い*」といった解釈がある(アル=バイダーウィー4:76参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
فَٱصۡبِرۡ عَلَىٰ مَا يَقُولُونَ وَسَبِّحۡ بِحَمۡدِ رَبِّكَ قَبۡلَ طُلُوعِ ٱلشَّمۡسِ وَقَبۡلَ غُرُوبِهَاۖ وَمِنۡ ءَانَآيِٕ ٱلَّيۡلِ فَسَبِّحۡ وَأَطۡرَافَ ٱلنَّهَارِ لَعَلَّكَ تَرۡضَىٰ
ならば(使徒*よ、)彼らの言うことに忍耐*せよ。また、太陽が昇る前とそれが沈む前、そして夜の一部[1]において、あなたの主*の称賛*と共に(かれを)称える*のだ。また、昼の端々[2]に(アッラー*を)称えよ。(それは、)あなたが(その褒美で)満足するようになるためである。
[1] この三つの時間は、それぞれファジュル*、アスル*、イシャーゥ*の礼拝時間を指しているのだという(ムヤッサル321頁参照) 。カーフ章39-40とその訳注も参照。 [2] これは一説に、昼の前半の終わりであるズフル*と、昼の後半の終わりであるマグリブ*の礼拝時間のこと(前掲書、同頁参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَا تَمُدَّنَّ عَيۡنَيۡكَ إِلَىٰ مَا مَتَّعۡنَا بِهِۦٓ أَزۡوَٰجٗا مِّنۡهُمۡ زَهۡرَةَ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا لِنَفۡتِنَهُمۡ فِيهِۚ وَرِزۡقُ رَبِّكَ خَيۡرٞ وَأَبۡقَىٰ
また、われら*が彼ら(不信仰者*))の内の様々な者たちを楽しませているものに、決してあなたの(羨望の)視線を釘付けにするのではない。(それは、)われら*がそれで彼らを試練にかけるための、現世の生活の飾りなのである。あなたの主*の糧[1]は、(彼らが味わっている享楽)より善く、より永く続くものなのだ。
[1] この「糧」は、来世での褒美のこと(アッ=タバリー7:5661参照)。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَأۡمُرۡ أَهۡلَكَ بِٱلصَّلَوٰةِ وَٱصۡطَبِرۡ عَلَيۡهَاۖ لَا نَسۡـَٔلُكَ رِزۡقٗاۖ نَّحۡنُ نَرۡزُقُكَۗ وَٱلۡعَٰقِبَةُ لِلتَّقۡوَىٰ
また(使徒*よ)、あなたの家族[1]に礼拝を命じ、それ(を行うこと)において忍耐*を重ねよ。われら*があなたに糧を求めるのではなく[2]、われら*があなたに糧を与えるのだから。そして(現世と来世における、善き)結末は、敬虔*さ(を纏った者たち)にあるのだ。
[1] この「家族」は、彼の家族以外はもちろんのこと、彼のムスリム*共同体全員をも指している(アル=クルトゥビー11:263参照)。 [2] つまり、アッラー*こそが「あなた自身と彼らの糧」を保障されるのだから、生活の糧を求めるがために、礼拝をおろそかにしてはならない、ということ(前掲書、同頁参照)。撒き散らすもの章56-58、離婚章2-3も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَقَالُواْ لَوۡلَا يَأۡتِينَا بِـَٔايَةٖ مِّن رَّبِّهِۦٓۚ أَوَلَمۡ تَأۡتِهِم بَيِّنَةُ مَا فِي ٱلصُّحُفِ ٱلۡأُولَىٰ
彼らは言う。「どうして彼(使徒*)は自分の主*の御許から、私たちに御徴[1]を持って来ないのか?」一体、以前の書巻の中にあるものに対する明証[2]は、彼らに到来しなかったのか?
[1] この「御徴」とは、奇跡のこと(アッ=サァディー517頁参照)。 しかし、たとえ奇跡を目にしても、彼らは信じることがない。家畜章109-110、ユーヌス*章97、創成者*章42なども参照。 [2] 過去の啓典に含まれた真理を確証する、クルアーン*のこと(ムヤッサル321頁参照)。食卓章48も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
وَلَوۡ أَنَّآ أَهۡلَكۡنَٰهُم بِعَذَابٖ مِّن قَبۡلِهِۦ لَقَالُواْ رَبَّنَا لَوۡلَآ أَرۡسَلۡتَ إِلَيۡنَا رَسُولٗا فَنَتَّبِعَ ءَايَٰتِكَ مِن قَبۡلِ أَن نَّذِلَّ وَنَخۡزَىٰ
もしわれら*が懲罰によって、それ以前[1]に彼らを滅亡させていたら、彼らは(こう)言ったであろう。「我らが主*よ、どうしてあなたは私たちに、使徒*を遣わしてくれなかったのですか?そうすれば私たちは、(あなたの懲罰によって)卑しめられ、辱められる前に、あなたの御徴に従いましたのに」。[2]
[1] 使徒*を遣わし、啓典を下す以前、ということ(前掲書、同頁参照)。 [2] 関連するアーヤ*として、婦人章165、家畜章131、155-157、夜の旅章15とその訳注、詩人たち章208、創成者*章24も参照。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
قُلۡ كُلّٞ مُّتَرَبِّصٞ فَتَرَبَّصُواْۖ فَسَتَعۡلَمُونَ مَنۡ أَصۡحَٰبُ ٱلصِّرَٰطِ ٱلسَّوِيِّ وَمَنِ ٱهۡتَدَىٰ
(使徒*よ、)言ってやるのだ。「(私たちの(いずれも、(誰に勝利があるか)待ち望む身にある。ならば、待ち望むがいい。あなた方は、誰が真っ当な道の徒であり、誰が導かれていたかを知ることになるのだから」。
ئەرەپچە تەپسىرلەر:
 
مەنالار تەرجىمىسى سۈرە: سۈرە تاھا
سۈرە مۇندەرىجىسى بەت نومۇرى
 
قۇرئان كەرىم مەنىلىرىنىڭ تەرجىمىسى - الترجمة اليابانية - سعيد ساتو - تەرجىمىلەر مۇندەرىجىسى

ترجمة معاني القرآن الكريم إلى اللغة اليابانية، ترجمها سعيد ساتو، طبعة عام 1440هـ.

تاقاش