Қуръони Карим маъноларининг таржимаси - Японча таржима - Саид Сато * - Таржималар мундарижаси

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Маънолар таржимаси Сура: Юнус сураси   Оят:

ユーヌス章

الٓرۚ تِلۡكَ ءَايَٰتُ ٱلۡكِتَٰبِ ٱلۡحَكِيمِ
アリフ・ラーム・ラー[1]。それは、完全無欠な[2]啓典の御徴(アーヤ*)である。
[1] これらの文字については、頻出名・用語解説の「クルアーン*の冒頭に現れる文字群*」を参照。 [2] アッラー*はクルアーン*を、消失、欠損、変化、嘘、矛盾といったことから「完全無欠な」ものとされた。その他、「英知にあふれた」「裁決する」「(様々な教えが、その中に)定められた」といった解釈もある(アッ=ラーズィー6:184-185参照)。
Арабча тафсирлар:
أَكَانَ لِلنَّاسِ عَجَبًا أَنۡ أَوۡحَيۡنَآ إِلَىٰ رَجُلٖ مِّنۡهُمۡ أَنۡ أَنذِرِ ٱلنَّاسَ وَبَشِّرِ ٱلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ أَنَّ لَهُمۡ قَدَمَ صِدۡقٍ عِندَ رَبِّهِمۡۗ قَالَ ٱلۡكَٰفِرُونَ إِنَّ هَٰذَا لَسَٰحِرٞ مُّبِينٌ
一体、人々には驚きだったというのか?われら*が彼らの内のある男に、「人々に、(アッラー*の懲罰を)警告せよ。そして信仰する者たちには吉報を伝えよ、彼らには自分たちの主*の御許で、真の高み[1]があるということを」と啓示したことが?不信仰者*らは言った。「本当にこれはまさしく、紛れもない魔術師である」。
[1] 「真の高み」とは、(来世のために現世で)前もって行っていた善行ゆえの、善き褒美のこと(ムヤッサル208頁参照)。
Арабча тафсирлар:
إِنَّ رَبَّكُمُ ٱللَّهُ ٱلَّذِي خَلَقَ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضَ فِي سِتَّةِ أَيَّامٖ ثُمَّ ٱسۡتَوَىٰ عَلَى ٱلۡعَرۡشِۖ يُدَبِّرُ ٱلۡأَمۡرَۖ مَا مِن شَفِيعٍ إِلَّا مِنۢ بَعۡدِ إِذۡنِهِۦۚ ذَٰلِكُمُ ٱللَّهُ رَبُّكُمۡ فَٱعۡبُدُوهُۚ أَفَلَا تَذَكَّرُونَ
あなた方の主*は、諸天と大地を六日間で創造され[1]、それから御座[2]にお上がりになったアッラーである。かれは、万事を司られる。かれのお許しの後でなくしては(復活の日*)、いかなる執り成し手もいない。そのお方がアッラー*、あなたの主*。ゆえに、かれを崇拝*せよ。一体、あなた方は教訓を得ないのか?
[1] 「六日間での天地創造」については、詳細にされた9-12とその訳注も参照。 [2] 「御座にお上がりになる」については、高壁章54の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
إِلَيۡهِ مَرۡجِعُكُمۡ جَمِيعٗاۖ وَعۡدَ ٱللَّهِ حَقًّاۚ إِنَّهُۥ يَبۡدَؤُاْ ٱلۡخَلۡقَ ثُمَّ يُعِيدُهُۥ لِيَجۡزِيَ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ بِٱلۡقِسۡطِۚ وَٱلَّذِينَ كَفَرُواْ لَهُمۡ شَرَابٞ مِّنۡ حَمِيمٖ وَعَذَابٌ أَلِيمُۢ بِمَا كَانُواْ يَكۡفُرُونَ
かれの御許にこそ(復活の日*)、あなた方全員の帰り所はある。アッラー*の真なるお約束(を、お約束になった)。本当にかれは創造を始められ、それから(死後に)それをお戻しになるのだ。(それは)かれが、信仰して正しい行い*を行った者たちに、公正にお報いになるため。そして不信仰だった者*たちには、彼らが不信仰に陥っていたことゆえに、煮えたぎる湯の飲み物と痛烈な懲罰があるのだ。
Арабча тафсирлар:
هُوَ ٱلَّذِي جَعَلَ ٱلشَّمۡسَ ضِيَآءٗ وَٱلۡقَمَرَ نُورٗا وَقَدَّرَهُۥ مَنَازِلَ لِتَعۡلَمُواْ عَدَدَ ٱلسِّنِينَ وَٱلۡحِسَابَۚ مَا خَلَقَ ٱللَّهُ ذَٰلِكَ إِلَّا بِٱلۡحَقِّۚ يُفَصِّلُ ٱلۡأٓيَٰتِ لِقَوۡمٖ يَعۡلَمُونَ
かれは太陽を(燦然たる)光、月を明かりとされ、あなた方が年数と計算[1]を知るべく、それ[2]に諸々の宿り場を定められたお方。アッラー*がそれを創造されたのは、真実ゆえに外ならない[3]。かれは知識ある民に、御徴[4]を明らかにされるのだ。
[1] この「計算」は月日の数や、時間の計算のことであると言われている(アル=バガウィー2:411参照)。 [2] この「それ」は太陽と月、両方を指しているとも、月だけを指しているのだともいわれる(アル=クルトゥビー8:310参照)。 [3] イムラーン家章191「我らが主よ、・・・ありません」の訳注も参照 [4] この「御徴」とは、アッラー*の完全なる御力と知識を示す証拠のこと(ムヤッサル208頁参照)。
Арабча тафсирлар:
إِنَّ فِي ٱخۡتِلَٰفِ ٱلَّيۡلِ وَٱلنَّهَارِ وَمَا خَلَقَ ٱللَّهُ فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِ لَأٓيَٰتٖ لِّقَوۡمٖ يَتَّقُونَ
本当に夜と昼の交代と、アッラー*が諸天と大地に創造されたものの内にはまさに、敬虔なる*民への御徴[1]がある。
[1] この「御徴」については、アーヤ*5「御徴」の訳注を参照(アル=カースイミー9:3325参照)。
Арабча тафсирлар:
إِنَّ ٱلَّذِينَ لَا يَرۡجُونَ لِقَآءَنَا وَرَضُواْ بِٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا وَٱطۡمَأَنُّواْ بِهَا وَٱلَّذِينَ هُمۡ عَنۡ ءَايَٰتِنَا غَٰفِلُونَ
本当にわれら*との(来世における)拝謁を望まず[1]、現世の生活に満足して、それに安じる者たち、そして、われら*の御徴[2]をなおざりにしている者たち、
[1] この「望まず」は、原語では「ラジャーゥ」から派生した動詞。「望む」と「恐れる」という意味、いずれをも含む。つまり本来は、復活の日*の懲罰を恐れもしなければ、その日の褒美を望みもしない、という意味であるという(アル=バガウィー2:411参照)。 [2] この「御徴」の解釈には、「クルアーン*のアーヤ*」「アッラーの唯一性*、全能性を示す証拠」「アッラー*の法規定」といった説がある(アブー・ハイヤーン5:120参照)。
Арабча тафсирлар:
أُوْلَٰٓئِكَ مَأۡوَىٰهُمُ ٱلنَّارُ بِمَا كَانُواْ يَكۡسِبُونَ
そのような者たちの(来世での)住処は、彼らが(現世で)稼いでいたもの(罪)ゆえの業火。
Арабча тафсирлар:
إِنَّ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ يَهۡدِيهِمۡ رَبُّهُم بِإِيمَٰنِهِمۡۖ تَجۡرِي مِن تَحۡتِهِمُ ٱلۡأَنۡهَٰرُ فِي جَنَّٰتِ ٱلنَّعِيمِ
本当に、信仰し、正しい行い*を行った者たち、彼らの主*はその信仰心ゆえ、彼らをお導きになる[1]。安寧の楽園では、彼らの下から河川が流れている。
[1] 天国への道と、それにつながる正しい行いへと、「お導きになる」(ムヤッサル209頁参照)。
Арабча тафсирлар:
دَعۡوَىٰهُمۡ فِيهَا سُبۡحَٰنَكَ ٱللَّهُمَّ وَتَحِيَّتُهُمۡ فِيهَا سَلَٰمٞۚ وَءَاخِرُ دَعۡوَىٰهُمۡ أَنِ ٱلۡحَمۡدُ لِلَّهِ رَبِّ ٱلۡعَٰلَمِينَ
そこで彼らの祈願は、「あなたに称え*あれ、アッラー*よ」であり、そこでの彼らの挨拶は「(あなた方に)平安を[1]」。そして祈願の締めくくりは、「全創造物の主*、アッラー*に全ての称賛*あれ」。[2]
[1] 「あなた方に平安を」については、雷鳴章24の訳注を参照。 [2] 一説によれば、天国の住人は何か欲しい物があれば、「アッラー*よ、あなたに称え*あれ」と言いさえすれば、天使*がお望みの物を持ってやって来る。その際、彼らは「平安あれ」と挨拶を交わし、望みの物を頂いた後には主*を称賛するのだ、という(アッ=タバリー5:4182-4183参照)。
Арабча тафсирлар:
۞ وَلَوۡ يُعَجِّلُ ٱللَّهُ لِلنَّاسِ ٱلشَّرَّ ٱسۡتِعۡجَالَهُم بِٱلۡخَيۡرِ لَقُضِيَ إِلَيۡهِمۡ أَجَلُهُمۡۖ فَنَذَرُ ٱلَّذِينَ لَا يَرۡجُونَ لِقَآءَنَا فِي طُغۡيَٰنِهِمۡ يَعۡمَهُونَ
もし、アッラー*が人々に善きこと(の祈願を聞き入れること)を急がれるように、彼らに悪いこと(の祈願[1]を聞き入れ)を急がれるのであれば、彼らには自分たちの(滅亡の)期限(の到来)が決定されてしまったであろう。だが、われら*は(そうせず、)われら*との拝謁を望まない[2]者たちを彷徨うまま、そのひどい放埓さの中に放ったらかしにしておくのだ。
[1] 「悪いことの祈願」とは怒りゆえに、自分自身や子供、財産などに対し、実現したら困るような祈願の言葉を口にしてしまうこと。あるいは戦利品*章32にあるような類の、不信仰者*の祈願のことである、とも言われる(アル=バガウィー2:412参照)。 [2] この「望まない」については、アーヤ*7の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
وَإِذَا مَسَّ ٱلۡإِنسَٰنَ ٱلضُّرُّ دَعَانَا لِجَنۢبِهِۦٓ أَوۡ قَاعِدًا أَوۡ قَآئِمٗا فَلَمَّا كَشَفۡنَا عَنۡهُ ضُرَّهُۥ مَرَّ كَأَن لَّمۡ يَدۡعُنَآ إِلَىٰ ضُرّٖ مَّسَّهُۥۚ كَذَٰلِكَ زُيِّنَ لِلۡمُسۡرِفِينَ مَا كَانُواْ يَعۡمَلُونَ
また(不信仰な)人間は、有害が降りかかれば、横になって、または座りつつ、あるいは立ちながら、われら*に祈る。そして、われら*が彼からその害悪を取り除いてやれば、彼は自分に降りかかった害悪(からの救い)について、われら*に祈りなどしなかったかのように(以前の不信仰な状態を)続ける。同様に、(アッラー*とその使徒*に対する嘘において)度を越した者たちには、自分たちが行っていたこと[1]が目映く見えたのだ。
[1] つまり試練の時にだけ(アッラー*に)祈願し、殉教の時には感謝を忘れること(アル=バガウィー2:413参照)。
Арабча тафсирлар:
وَلَقَدۡ أَهۡلَكۡنَا ٱلۡقُرُونَ مِن قَبۡلِكُمۡ لَمَّا ظَلَمُواْ وَجَآءَتۡهُمۡ رُسُلُهُم بِٱلۡبَيِّنَٰتِ وَمَا كَانُواْ لِيُؤۡمِنُواْۚ كَذَٰلِكَ نَجۡزِي ٱلۡقَوۡمَ ٱلۡمُجۡرِمِينَ
また、われら*は確かにあなた方以前の幾つもの世代を、滅ぼした。使徒*たちが明証[1]を携えて彼らのもとに到来したにも関わらず、彼らが不正*を働き、信仰すべくもない状態にあった時のことであった。同様に、われら*は罪深い民に報いるのだ。
[1] この「明証」は、彼らの言うことの正しさを証明する明らかな奇跡や、根拠のこと(ムヤッサル209頁参照)。
Арабча тафсирлар:
ثُمَّ جَعَلۡنَٰكُمۡ خَلَٰٓئِفَ فِي ٱلۡأَرۡضِ مِنۢ بَعۡدِهِمۡ لِنَنظُرَ كَيۡفَ تَعۡمَلُونَ
それから(人々よ)、われら*は彼らの(滅亡の)後、あなた方を地上の継承者[1]とした。あなた方がどのような行いをするか、見届けるために。
[1] 「地上の継承者」については、家畜章165の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
وَإِذَا تُتۡلَىٰ عَلَيۡهِمۡ ءَايَاتُنَا بَيِّنَٰتٖ قَالَ ٱلَّذِينَ لَا يَرۡجُونَ لِقَآءَنَا ٱئۡتِ بِقُرۡءَانٍ غَيۡرِ هَٰذَآ أَوۡ بَدِّلۡهُۚ قُلۡ مَا يَكُونُ لِيٓ أَنۡ أُبَدِّلَهُۥ مِن تِلۡقَآيِٕ نَفۡسِيٓۖ إِنۡ أَتَّبِعُ إِلَّا مَا يُوحَىٰٓ إِلَيَّۖ إِنِّيٓ أَخَافُ إِنۡ عَصَيۡتُ رَبِّي عَذَابَ يَوۡمٍ عَظِيمٖ
また、彼ら(シルク*の徒)にわれら*の明白な御徴(アーヤ*)が読誦された時、われらとの拝謁を望まない[1]者たちは(、こう)言った「これではないクルアーン*を披露してみよ。あるいは、それを変えよ[2]」。(使徒*よ、)言ってやるがいい。「私には、それを自分勝手に変更する権利などない。ただ私は、自分に啓示されたものに従うだけなのだから。本当に私は、もし我が主*に逆らったりしたら、偉大なる(復活の*)日の懲罰(が降りかかること)を怖れている」。
[1] この「望まない」については、アーヤ*7の訳注を参照。 [2] 「これではないクルアーン*」とは、不信仰者*らの崇めていた偶像などを批判し、禁じるようなものではないもののこと(アル=バガウィー2:414参照)。また「(クルアーン*を)変える」こととは、不信仰者*らの意向に沿って、警告のアーヤ*を吉報のアーヤ*に変えたり、何かを非合法とするアーヤ*を合法とするアーヤ*に変えたり、またその逆にしたりすること(アッ=タバリー5:4188参照)。
Арабча тафсирлар:
قُل لَّوۡ شَآءَ ٱللَّهُ مَا تَلَوۡتُهُۥ عَلَيۡكُمۡ وَلَآ أَدۡرَىٰكُم بِهِۦۖ فَقَدۡ لَبِثۡتُ فِيكُمۡ عُمُرٗا مِّن قَبۡلِهِۦٓۚ أَفَلَا تَعۡقِلُونَ
(使徒*よ、)言ってやれ。「もしアッラー*がお望みになったのなら、私はそれ(クルアーン*)をあなた方に対して読誦しなかったし、また(アッラー*は)それをあなた方にお教えにもならなかったのだ。(それがアッラー*からの真実だと知れ、)私は確かに、それ(長い)年月[1]を過ごしたのだから。一体、あなた方は分別しないのか?」
[1] 「年月」とは具体的に、啓示が下るまでの四十年間のこと。その間、預言者*ムハンマド*は嘘をついたことなどもなく、正直さで知られていた(イブン・カスィール4:253-254参照)。
Арабча тафсирлар:
فَمَنۡ أَظۡلَمُ مِمَّنِ ٱفۡتَرَىٰ عَلَى ٱللَّهِ كَذِبًا أَوۡ كَذَّبَ بِـَٔايَٰتِهِۦٓۚ إِنَّهُۥ لَا يُفۡلِحُ ٱلۡمُجۡرِمُونَ
アッラー*に対して嘘を捏造し、あるいはその御徴を嘘呼ばわりする[1]者よりも、ひどい不正*を働く者がいようか?本当に罪悪者たちは、成功しないのである。
[1] 「嘘の捏造」とは、アッラー*に共同者や子供がある、という主張。「御徴を嘘呼ばわりする」とは、預言者*やクルアーン*を嘘呼ばわりすること(アル=バガウィー4:414参照)。
Арабча тафсирлар:
وَيَعۡبُدُونَ مِن دُونِ ٱللَّهِ مَا لَا يَضُرُّهُمۡ وَلَا يَنفَعُهُمۡ وَيَقُولُونَ هَٰٓؤُلَآءِ شُفَعَٰٓؤُنَا عِندَ ٱللَّهِۚ قُلۡ أَتُنَبِّـُٔونَ ٱللَّهَ بِمَا لَا يَعۡلَمُ فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَلَا فِي ٱلۡأَرۡضِۚ سُبۡحَٰنَهُۥ وَتَعَٰلَىٰ عَمَّا يُشۡرِكُونَ
彼ら(シルク*の徒)はアッラー*を差しおいて、彼らを害しなければ、益もしないようなものを崇めている。そして(彼らは、)言うのだ。「この者たちはアッラー*の御許での、私たちの執り成し手なのである」。(使徒*よ、)言ってやるがいい。「アッラー*に対し、かれが諸天においても大地においても関知されないことを、申し上げるというのか?」かれに称え*あれ、かれは彼らがシルクを犯しているものから(無縁で)、遥かに高遠なお方。
Арабча тафсирлар:
وَمَا كَانَ ٱلنَّاسُ إِلَّآ أُمَّةٗ وَٰحِدَةٗ فَٱخۡتَلَفُواْۚ وَلَوۡلَا كَلِمَةٞ سَبَقَتۡ مِن رَّبِّكَ لَقُضِيَ بَيۡنَهُمۡ فِيمَا فِيهِ يَخۡتَلِفُونَ
人々はかつて、(イスラーム*という一つの宗教に基づいた、)ただ一つの民に外ならなかったのであり、その後に意見を異にしたのである[1]。そして、もしあなたの主からの先んじた御言葉[2](による懲罰の猶予)がなかったならば、彼らの間には、彼らが意見を異にしていたことにおいて、(早期での)裁決[3]が下されていただろう。
[1] つまり、ある者たちは不信仰に陥り、またある者たちは真理を固守した(ムヤッサル210頁参照)。雌牛章214、相談章14とその訳注も参照。 [2] この「御言葉」とは、復活の日*まで、彼ら不信仰者*たちの懲罰が猶予される、というアッラー*の定めのこと(前掲書、同頁参照)。 [3] 真理を固守した者たちが救われ、不信仰の民*が滅ぼされるという「裁決」のこと(前掲書、同頁参照)。
Арабча тафсирлар:
وَيَقُولُونَ لَوۡلَآ أُنزِلَ عَلَيۡهِ ءَايَةٞ مِّن رَّبِّهِۦۖ فَقُلۡ إِنَّمَا ٱلۡغَيۡبُ لِلَّهِ فَٱنتَظِرُوٓاْ إِنِّي مَعَكُم مِّنَ ٱلۡمُنتَظِرِينَ
また、彼ら(頑迷な不信仰者*たち)は言う。「どうして彼(ムハンマド*)には、彼の主*から御徴[1]が下らないのか?」では(使徒*よ、)言ってやるがいい。「本当にアッラー*にこそ、不可視の世界*は属するのだ。ならば、(私たちへのアッラー*のご裁決を)待つがよい。実に私も、あなた方と共に待つ者となるから」。
[1] この「御徴」は、奇跡のこと(アル=クルトゥビー8:323参照)。同様のアーヤ*として、雌牛章108、家畜章109-110、夜の旅章90-93、ター・ハー章133、預言者*たち章5、識別章7-8、創成者*章42も参照。
Арабча тафсирлар:
وَإِذَآ أَذَقۡنَا ٱلنَّاسَ رَحۡمَةٗ مِّنۢ بَعۡدِ ضَرَّآءَ مَسَّتۡهُمۡ إِذَا لَهُم مَّكۡرٞ فِيٓ ءَايَاتِنَاۚ قُلِ ٱللَّهُ أَسۡرَعُ مَكۡرًاۚ إِنَّ رُسُلَنَا يَكۡتُبُونَ مَا تَمۡكُرُونَ
また、われら*が(シルク*を犯している)人々に、彼らに降りかかった災難の後、慈悲[1]を味わわせたならば、どうであろう、彼らはわれら*の御徴に対して策謀[2]する。(使徒*よ、)言ってやれ。「アッラー*は、より早く策謀されるお方[3]」。本当にわれら*の使い(天使*)たちは、あなた方の策謀を書き留めているのだから[4]
[1] この「慈悲」とは、殉教、平安、豊かさのこと(ムヤッサル211頁参照)。 [2] この「策謀」とは、アッラー*の御徴を嘘よばわりし、嘲笑すること(前掲書、同頁参照)。 [3] つまり彼らの策謀は、彼らに不利な方に働く。天使*たちは彼らの行いを記録し、アッラー*はそれを子細(しさい)に渡って数え上げられ、それに十分な報いを与えられるのだから(アッ=サァディー361頁参照)。「アッラー*が策謀する」という表現については、雌牛章15の同様の表現についての訳注も参照。 [4] この天使*たちについては、雷鳴章11とその訳注も参照。
Арабча тафсирлар:
هُوَ ٱلَّذِي يُسَيِّرُكُمۡ فِي ٱلۡبَرِّ وَٱلۡبَحۡرِۖ حَتَّىٰٓ إِذَا كُنتُمۡ فِي ٱلۡفُلۡكِ وَجَرَيۡنَ بِهِم بِرِيحٖ طَيِّبَةٖ وَفَرِحُواْ بِهَا جَآءَتۡهَا رِيحٌ عَاصِفٞ وَجَآءَهُمُ ٱلۡمَوۡجُ مِن كُلِّ مَكَانٖ وَظَنُّوٓاْ أَنَّهُمۡ أُحِيطَ بِهِمۡ دَعَوُاْ ٱللَّهَ مُخۡلِصِينَ لَهُ ٱلدِّينَ لَئِنۡ أَنجَيۡتَنَا مِنۡ هَٰذِهِۦ لَنَكُونَنَّ مِنَ ٱلشَّٰكِرِينَ
(人々よ、)かれ(アッラー*)は、あなた方を海に陸に移動させられるお方。やがて、あなた方が船上の人となり、それらがよき風と共に彼ら[1]を乗せて進み、彼らがそれ(よき風)に有頂天になると、そこに強風が到来し、あらゆる場所から波が彼らを襲い、彼らは(八方ふさがりになって)自分たちの一巻の終わりを悟る。彼らはアッラー*だけに真摯に崇拝*行為を捧げつつ、(こう言って)かれに祈るのである[2]。「もしも、あなたが私たちをこれからお救い下さったなら、私たちは必ずや(あなたの恩恵を)感謝する者となりますのに」。
[1] ここで突然「あなた方」から「彼ら」に人称が変わる独特の修辞(しゅうじ)法については、食卓章12の訳注を参照。一説に、ここで「彼ら」と切り替わるのは、アッラー*からのお怒りや、かれから遠ざけられることを示しているのだという(アッ=ラーズィー6:234参照)。 [2] つまり、それまで拝していたアッラー*以外のものを放棄し、アッラー*だけに真摯に祈りすがる(ムヤッサル211頁参照)。婦人章146の「その崇拝*行為をアッラー*だけに真摯に捧げる」に関する訳注も参照。
Арабча тафсирлар:
فَلَمَّآ أَنجَىٰهُمۡ إِذَا هُمۡ يَبۡغُونَ فِي ٱلۡأَرۡضِ بِغَيۡرِ ٱلۡحَقِّۗ يَٰٓأَيُّهَا ٱلنَّاسُ إِنَّمَا بَغۡيُكُمۡ عَلَىٰٓ أَنفُسِكُمۖ مَّتَٰعَ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَاۖ ثُمَّ إِلَيۡنَا مَرۡجِعُكُمۡ فَنُنَبِّئُكُم بِمَا كُنتُمۡ تَعۡمَلُونَ
それで、かれ(アッラー*)が彼らを(その苦境と恐怖から)お救いになれば、どうであろう、彼らは不当にも地上で(腐敗*や罪によって)侵犯するのだ。人々よ、あなた方の侵犯は、自分自身に対するもの[1]に外ならないのだぞ。現世の生活の楽しみ(を、あなた方は楽しんでいるだけ)。やがて、われら*こそがあなた方の帰り所となり、われら*はあなた方が行っていたことを、あなた方に告げ聞かせ(、それに報い)るのである。
[1] その罰は自分自身に帰って来る、ということ(ムヤッサル211頁参照)。
Арабча тафсирлар:
إِنَّمَا مَثَلُ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا كَمَآءٍ أَنزَلۡنَٰهُ مِنَ ٱلسَّمَآءِ فَٱخۡتَلَطَ بِهِۦ نَبَاتُ ٱلۡأَرۡضِ مِمَّا يَأۡكُلُ ٱلنَّاسُ وَٱلۡأَنۡعَٰمُ حَتَّىٰٓ إِذَآ أَخَذَتِ ٱلۡأَرۡضُ زُخۡرُفَهَا وَٱزَّيَّنَتۡ وَظَنَّ أَهۡلُهَآ أَنَّهُمۡ قَٰدِرُونَ عَلَيۡهَآ أَتَىٰهَآ أَمۡرُنَا لَيۡلًا أَوۡ نَهَارٗا فَجَعَلۡنَٰهَا حَصِيدٗا كَأَن لَّمۡ تَغۡنَ بِٱلۡأَمۡسِۚ كَذَٰلِكَ نُفَصِّلُ ٱلۡأٓيَٰتِ لِقَوۡمٖ يَتَفَكَّرُونَ
本当に現世の生活の様子は、(雨)水のようなもの。われら*は天からそれを降らし、人々と家畜が食する大地の(様々な)植物が、それと混合(し、茂って互いに混生)する。やがて大地がその装飾品を身にまとい、(種子や果実が花々で)自らを飾り立て、その住民がそれら(の収穫)を手にすることが出来ると思ったところで、(それらを壊滅させるという)われら*の命令が夜中に、あるいは昼間に、それらを襲う。そしてわれら*は、まるでそれらが昨日までは存在しなかったかのように、根こそぎにしてしまうのだ。このようにわれら*は、熟考する民に御徴(アーヤ*)を明らかにする。
Арабча тафсирлар:
وَٱللَّهُ يَدۡعُوٓاْ إِلَىٰ دَارِ ٱلسَّلَٰمِ وَيَهۡدِي مَن يَشَآءُ إِلَىٰ صِرَٰطٖ مُّسۡتَقِيمٖ
アッラー*は平安の地へとお招きになり、かれがお望みになる者をまっすぐな道[1]へとお導きになる。
[1] 「平安の地」は天国で、「まっすぐな道」はイスラーム*のこととされる(前掲書、同頁参照)。
Арабча тафсирлар:
۞ لِّلَّذِينَ أَحۡسَنُواْ ٱلۡحُسۡنَىٰ وَزِيَادَةٞۖ وَلَا يَرۡهَقُ وُجُوهَهُمۡ قَتَرٞ وَلَا ذِلَّةٌۚ أُوْلَٰٓئِكَ أَصۡحَٰبُ ٱلۡجَنَّةِۖ هُمۡ فِيهَا خَٰلِدُونَ
善を尽くした者[1]たちには、最善のものと、(更なる)上乗せ[2]がある、そして彼らの顔を、埃や屈辱が覆うことはない。それらの者たちは天国の民であり、彼らはそこに永遠に留まる。
[1] 蜜蜂章128「最善を尽くす者」の訳注も参照 [2] 「最善のもの」とは天国で、「上乗せ」とは、天国でアッラー*の御顔を拝(おが)むことや、罪のお赦し、アッラー*のお喜びのこととされる(ムヤッサル212頁参照)。
Арабча тафсирлар:
وَٱلَّذِينَ كَسَبُواْ ٱلسَّيِّـَٔاتِ جَزَآءُ سَيِّئَةِۭ بِمِثۡلِهَا وَتَرۡهَقُهُمۡ ذِلَّةٞۖ مَّا لَهُم مِّنَ ٱللَّهِ مِنۡ عَاصِمٖۖ كَأَنَّمَآ أُغۡشِيَتۡ وُجُوهُهُمۡ قِطَعٗا مِّنَ ٱلَّيۡلِ مُظۡلِمًاۚ أُوْلَٰٓئِكَ أَصۡحَٰبُ ٱلنَّارِۖ هُمۡ فِيهَا خَٰلِدُونَ
そして悪行を稼いでいた者たちには、それと同様の悪い報いがあり、屈辱が彼らを覆う。彼らには、アッラー*(の懲罰)から守ってくれる者など、誰もいない。彼らの顔は、あたかも真っ暗な夜の断片に覆われてしまったかのよう。それらの者たちは業火の民であり、彼らはそこに永遠に留まるのだ。
Арабча тафсирлар:
وَيَوۡمَ نَحۡشُرُهُمۡ جَمِيعٗا ثُمَّ نَقُولُ لِلَّذِينَ أَشۡرَكُواْ مَكَانَكُمۡ أَنتُمۡ وَشُرَكَآؤُكُمۡۚ فَزَيَّلۡنَا بَيۡنَهُمۡۖ وَقَالَ شُرَكَآؤُهُم مَّا كُنتُمۡ إِيَّانَا تَعۡبُدُونَ
われら*が彼らを皆召集し、それからシルク*を犯していた者たちに、(こう)言う(復活の)日*のこと(を思い起こさせよ)。「あなた方と、あなた方(がアッラー*)の同位者(としていたもの)たちは、自分たちの場所に(控えていよ)[1]」。われら*は彼らを別々にし、彼らの(アッラーに対する)同位者たちは、(自分たちを崇めていた者たちに向かって、こう)言う。「あなた方が崇めていたのは、私たちではなかった。
[1] 彼らシルク*の徒は復活の日*、信仰者たちとは別の場所に区別される(イブン・カスィール4:264参照)。ビザンチン章14、ヤー・スィーン章59も参照。
Арабча тафсирлар:
فَكَفَىٰ بِٱللَّهِ شَهِيدَۢا بَيۡنَنَا وَبَيۡنَكُمۡ إِن كُنَّا عَنۡ عِبَادَتِكُمۡ لَغَٰفِلِينَ
アッラー*だけで、私たちとあなた方の間の証人は十分。本当に私たちは、あなた方の(私たちに対する)崇拝*について、無頓着だったのだから」。[1]
[1] 同様の情景の描写として、雌牛章166-167、マルヤム*章82、物語章63、蜘蛛章25、創成者*章13-14、砂丘章6なども参照。
Арабча тафсирлар:
هُنَالِكَ تَبۡلُواْ كُلُّ نَفۡسٖ مَّآ أَسۡلَفَتۡۚ وَرُدُّوٓاْ إِلَى ٱللَّهِ مَوۡلَىٰهُمُ ٱلۡحَقِّۖ وَضَلَّ عَنۡهُم مَّا كَانُواْ يَفۡتَرُونَ
そこにおいて全ての者は、自分が(現世で)既に行ったことを検証する[1]。そしてアッラー*へと、彼らの真の庇護者*の御許へと戻されるのであり、彼らが捏造して(アッラー*と並べて崇めて)いたものは彼らから消え失せてしまうのだ。
[1] つまり自らの状態と成果を検証し、善く有益なものを知り、醜(みにく)く有害なものを知ることになる(イブン・アーシュール11:153参照)。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ مَن يَرۡزُقُكُم مِّنَ ٱلسَّمَآءِ وَٱلۡأَرۡضِ أَمَّن يَمۡلِكُ ٱلسَّمۡعَ وَٱلۡأَبۡصَٰرَ وَمَن يُخۡرِجُ ٱلۡحَيَّ مِنَ ٱلۡمَيِّتِ وَيُخۡرِجُ ٱلۡمَيِّتَ مِنَ ٱلۡحَيِّ وَمَن يُدَبِّرُ ٱلۡأَمۡرَۚ فَسَيَقُولُونَ ٱللَّهُۚ فَقُلۡ أَفَلَا تَتَّقُونَ
(使徒*よ、彼らシルク*の徒に)言ってやれ。「天と地から、あなた方に糧を与えられる[1]お方は誰か?いや、(あなた方の)聴覚と視覚を所有されるお方[2]は、誰なのか?また、死から生を取り出され、生から死を取り出される[3]お方は誰か?そして(全ての)物事を司られるお方は、誰なのか?」そうしたら、彼らは言うだろう、「アッラー*である」と。言ってやれ。「一体、あなた方は(かれを)畏れ*ないのか?」
[1] 食卓章66「頭上から足元からも・・・」の訳注を参照。 [2] アッラー*こそは人間に聴覚や視覚をお授けになり(王権章23など参照)、またお望みになれば、それを奪うことのできる御力をお持ち(家畜章46など参照)のお方である(イブン・カスィール4:266参照)。 [3] 「死から生を取り出され・・・」については、イムラーン家章27の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
فَذَٰلِكُمُ ٱللَّهُ رَبُّكُمُ ٱلۡحَقُّۖ فَمَاذَا بَعۡدَ ٱلۡحَقِّ إِلَّا ٱلضَّلَٰلُۖ فَأَنَّىٰ تُصۡرَفُونَ
そのお方がアッラー*、あなた方の真の主*である。そして真理の外には、迷妄があるのみなのではないか?[1]一体、どうしてあなた方は(、アッラー*の崇拝*から別のものの崇拝*へと)逸らされるのか?
[1] アッラー*以外のものを主都市、崇拝*することは、例外なく「迷妄」であること(アッ=タバリー5:4209参照)。
Арабча тафсирлар:
كَذَٰلِكَ حَقَّتۡ كَلِمَتُ رَبِّكَ عَلَى ٱلَّذِينَ فَسَقُوٓاْ أَنَّهُمۡ لَا يُؤۡمِنُونَ
(彼らシルク*の徒と)同様に、放逸だった者たちには、彼らは信仰しないという、あなたの主*の御言葉が確定したのである。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ هَلۡ مِن شُرَكَآئِكُم مَّن يَبۡدَؤُاْ ٱلۡخَلۡقَ ثُمَّ يُعِيدُهُۥۚ قُلِ ٱللَّهُ يَبۡدَؤُاْ ٱلۡخَلۡقَ ثُمَّ يُعِيدُهُۥۖ فَأَنَّىٰ تُؤۡفَكُونَ
(使徒*よ、)言ってやれ。「あなた方(がアッラー*)の同位者(としているもの)たちの内、(無から)創造を始め、その(消滅)後、それを(元通りに)戻すものはあるのか?」言ってやるのだ。「アッラー*(のみ)が創造を始められ、その後にそれをお戻しになる。一体、どうしてあなた方は(、アッラー*の崇拝*から別のものの崇拝*へと)背かされるのか?」
Арабча тафсирлар:
قُلۡ هَلۡ مِن شُرَكَآئِكُم مَّن يَهۡدِيٓ إِلَى ٱلۡحَقِّۚ قُلِ ٱللَّهُ يَهۡدِي لِلۡحَقِّۗ أَفَمَن يَهۡدِيٓ إِلَى ٱلۡحَقِّ أَحَقُّ أَن يُتَّبَعَ أَمَّن لَّا يَهِدِّيٓ إِلَّآ أَن يُهۡدَىٰۖ فَمَا لَكُمۡ كَيۡفَ تَحۡكُمُونَ
(使徒*よ、)言ってやるがいい。「あなた方(がアッラー*)の同位者(としているもの)たちの内、真理へと導くものはあるのか?」言ってやれ。「アッラー*(のみ)が真理へとお導き下さるのである。それで一体、真理へとお導き下さるお方が、従われるにより相応しいのか?それとも導かれなければ、自ら導きを得ることはない[1]もの(が従われるに相応しいの)か?一体、あなた方はどうしたことか?あなた方は何という、(誤った)判断[2]をしているのか?
[1] これが偶像のような非生命体である場合、その意味は「誰かに運ばれない限りは、自分自身で移動することも出来ない」といったものに解釈されるという(アル=バガウィー2:419参照)。 [2] アッラー*とその創造物を並べ(て崇め)る、という「判断」のこと(ムヤッサル213頁参照)。
Арабча тафсирлар:
وَمَا يَتَّبِعُ أَكۡثَرُهُمۡ إِلَّا ظَنًّاۚ إِنَّ ٱلظَّنَّ لَا يُغۡنِي مِنَ ٱلۡحَقِّ شَيۡـًٔاۚ إِنَّ ٱللَّهَ عَلِيمُۢ بِمَا يَفۡعَلُونَ
彼らの大半が従っているのは、憶測に外ならない。実に憶測は真理に対して、少しも役立つことなどないのに[1]。本当にアッラー*は、彼らがなすことをご存知のお方。
[1] この「憶測」とは、偶像が神であり、それらが来世で彼らの執り成しをしてくれる、という考えのこと。「真理」とは、一説には「懲罰」、あるいは「知識」のこと(アル=バガウィー2:420参照)。
Арабча тафсирлар:
وَمَا كَانَ هَٰذَا ٱلۡقُرۡءَانُ أَن يُفۡتَرَىٰ مِن دُونِ ٱللَّهِ وَلَٰكِن تَصۡدِيقَ ٱلَّذِي بَيۡنَ يَدَيۡهِ وَتَفۡصِيلَ ٱلۡكِتَٰبِ لَا رَيۡبَ فِيهِ مِن رَّبِّ ٱلۡعَٰلَمِينَ
このクルアーン*が、アッラー*以外(の誰か)によって捏造されることなど、あり得ない。だが(それは、)それ以前のもの(諸啓典)への確証であり、全創造物の主*からの、疑惑の余地のない啓典(法)の解明なのである。
Арабча тафсирлар:
أَمۡ يَقُولُونَ ٱفۡتَرَىٰهُۖ قُلۡ فَأۡتُواْ بِسُورَةٖ مِّثۡلِهِۦ وَٱدۡعُواْ مَنِ ٱسۡتَطَعۡتُم مِّن دُونِ ٱللَّهِ إِن كُنتُمۡ صَٰدِقِينَ
いや、一体、彼らは(こう)言うのか?「彼(ムハンマド)がそれ(クルアーン*)を捏造したのだ」。(使徒*よ、)言ってやれ。「では、それと同様のスーラ*を一つ、持って来てみよ[1]。そして、あなた方がアッラー*以外に(それを頼むことが)出来る(あらゆる)者を、呼んで、(手伝わせて)みるがよい。もし、あなた方が本当のことを言っているのなら」。
[1] 雌牛章23の訳注も参照。
Арабча тафсирлар:
بَلۡ كَذَّبُواْ بِمَا لَمۡ يُحِيطُواْ بِعِلۡمِهِۦ وَلَمَّا يَأۡتِهِمۡ تَأۡوِيلُهُۥۚ كَذَٰلِكَ كَذَّبَ ٱلَّذِينَ مِن قَبۡلِهِمۡۖ فَٱنظُرۡ كَيۡفَ كَانَ عَٰقِبَةُ ٱلظَّٰلِمِينَ
いや、彼らは、まだその知識[1]を把握してもいなかったものを、(早合点して)嘘よばわりしたのだ。そしてその結末は、まだ彼らのもとに到来してはいないというのに[2]。同様に、彼ら以前の(不信仰)者*たちも、嘘よばわりしたのだ。そして見るがよい、不正*者たちの結果がいかなるものであったかを。
[1] 復活や、現世での行いへの応報、天国、地獄などについての「知識」のこと(ムヤッサル213頁参照)。 [2] このアーヤ*の解釈には、「アッラー*が彼らに約束されている懲罰は、まだ到来していない」(アッ=サァディー364頁参照)。「彼らの理解が、まだその意味に追いついていない」「不可視の世界*についての知らせは、まだ結果として実現していない。ゆえに彼らは、それらが真実か嘘か、まだ分からない」(アル=バイダーウィー3:199参照)といった諸説がある。
Арабча тафсирлар:
وَمِنۡهُم مَّن يُؤۡمِنُ بِهِۦ وَمِنۡهُم مَّن لَّا يُؤۡمِنُ بِهِۦۚ وَرَبُّكَ أَعۡلَمُ بِٱلۡمُفۡسِدِينَ
(使徒*よ、)彼ら(あなたの民)の内には、それ(クルアーン*)を信じる者がおり、また彼らの内には、それを信じない者もいる。あなたの主*は、腐敗*を働く者たちのことを最もよくご存知である。
Арабча тафсирлар:
وَإِن كَذَّبُوكَ فَقُل لِّي عَمَلِي وَلَكُمۡ عَمَلُكُمۡۖ أَنتُم بَرِيٓـُٔونَ مِمَّآ أَعۡمَلُ وَأَنَا۠ بَرِيٓءٞ مِّمَّا تَعۡمَلُونَ
また(使徒*よ)、もし彼ら(シルク*の徒)があなたを嘘つき呼ばわりしたなら、言ってやるのだ。「私には自分の行い(とその報い)があり、あなた方には自分たちの行い(とその報い)がある。あなた方は私が行うことから無関係であり、私もあなた方が行うこととは無関係なのだ」。
Арабча тафсирлар:
وَمِنۡهُم مَّن يَسۡتَمِعُونَ إِلَيۡكَۚ أَفَأَنتَ تُسۡمِعُ ٱلصُّمَّ وَلَوۡ كَانُواْ لَا يَعۡقِلُونَ
また彼ら(不信仰者*たち)の中には、あなたに(表面的にのみ)耳を傾ける者たちがいる。一体あなたは、分別することもない聾に聞かせるというのか?[1]
[1] 預言者*が語る言葉に何も感化されない者が、「分別することもない聾」に譬(たと)えられている。次アーヤ*でも同様に、預言者*のい行いや人となりを目にしつつも導かれない者が、「眼識もない盲人」に譬(たと)えられている(イブン・アーシュール11:177-178参照)。
Арабча тафсирлар:
وَمِنۡهُم مَّن يَنظُرُ إِلَيۡكَۚ أَفَأَنتَ تَهۡدِي ٱلۡعُمۡيَ وَلَوۡ كَانُواْ لَا يُبۡصِرُونَ
また、彼ら(不信仰者*たち)の中には、あなた(の正しさの証明)に(表面的にのみ)目を向ける者たちがいる。一体あなたは、眼識もない盲人を導くというのか?
Арабча тафсирлар:
إِنَّ ٱللَّهَ لَا يَظۡلِمُ ٱلنَّاسَ شَيۡـٔٗا وَلَٰكِنَّ ٱلنَّاسَ أَنفُسَهُمۡ يَظۡلِمُونَ
本当にアッラー*は、人々に対して少しの不正*も行われない。しかし人々が、自らに不正*を働いているのである。
Арабча тафсирлар:
وَيَوۡمَ يَحۡشُرُهُمۡ كَأَن لَّمۡ يَلۡبَثُوٓاْ إِلَّا سَاعَةٗ مِّنَ ٱلنَّهَارِ يَتَعَارَفُونَ بَيۡنَهُمۡۚ قَدۡ خَسِرَ ٱلَّذِينَ كَذَّبُواْ بِلِقَآءِ ٱللَّهِ وَمَا كَانُواْ مُهۡتَدِينَ
かれ(アッラー*)が彼らを、あたかも昼の一時しか過ごさなかったかのような状態[1]で召集される(復活の)日*、(そこで)彼らは、お互いを認め合う[2]。アッラー*との拝謁を嘘呼ばわりした者たちは確かに損失したのであり、彼らは導かれた者たちではなかったのだ。
[1] ここでそれ以前に「昼の一時」しか留まっていなかったと感じるのは、その日の余りの恐ろしさゆえである。(アル=クルトゥビー8:347参照)。ター・ハー章103、信仰者たち章113-114、ビザンチン章55、砂丘章35、引き離すもの章46も参照。 [2] 現世で知り合いだった者どうしは、復活の場でも互いの存在を認め合う。だが余りの恐怖ゆえに、お互いの安否(あんぴ)を尋ね合うことなどもない(イブン・カスィール4:271-272参照)。信仰者たち章101、階段章10-11なども参照。
Арабча тафсирлар:
وَإِمَّا نُرِيَنَّكَ بَعۡضَ ٱلَّذِي نَعِدُهُمۡ أَوۡ نَتَوَفَّيَنَّكَ فَإِلَيۡنَا مَرۡجِعُهُمۡ ثُمَّ ٱللَّهُ شَهِيدٌ عَلَىٰ مَا يَفۡعَلُونَ
そして(使徒*よ)、もしわれら*が(あなたの存命中)、彼らに約束したものの一部[1]をあなたに見せてやるにせよ、あるいは(その前に)あなたを召すにせよ、われら*にこそ彼らの帰り所はある。それからアッラー*は、彼らがすることの証人なの(であり、彼らに相応の報いを与えられるの)だ。
[1] 不信仰者*たちに拘束され、警告された、現世での懲罰のこと(ムヤッサル214頁参照)。
Арабча тафсирлар:
وَلِكُلِّ أُمَّةٖ رَّسُولٞۖ فَإِذَا جَآءَ رَسُولُهُمۡ قُضِيَ بَيۡنَهُم بِٱلۡقِسۡطِ وَهُمۡ لَا يُظۡلَمُونَ
また、(過去の)全ての民には、使徒*が(遣わされて)いる。それで彼らの使徒*が(来世において)到来する時、彼らの間は公正に、不正*を被ることなく、裁かれるのだ。
Арабча тафсирлар:
وَيَقُولُونَ مَتَىٰ هَٰذَا ٱلۡوَعۡدُ إِن كُنتُمۡ صَٰدِقِينَ
また、彼ら(シルク*の徒)は言う。「その約束(復活の日*)は、いつなのか?もし、あなた方が本当のことを言っているのならば」。
Арабча тафсирлар:
قُل لَّآ أَمۡلِكُ لِنَفۡسِي ضَرّٗا وَلَا نَفۡعًا إِلَّا مَا شَآءَ ٱللَّهُۗ لِكُلِّ أُمَّةٍ أَجَلٌۚ إِذَا جَآءَ أَجَلُهُمۡ فَلَا يَسۡتَـٔۡخِرُونَ سَاعَةٗ وَلَا يَسۡتَقۡدِمُونَ
(使徒*よ、)言ってやれ。「私は自分自身に対し、アッラー*がお望みになったものの外、害(する力)も益(する力)も有してはいない。いかなる民にも、(定められた滅亡の)期限があるのだ。その期限が来れば、(彼らはそれを)一刻たりとも遅らせたり、早めたりすることはない」。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ أَرَءَيۡتُمۡ إِنۡ أَتَىٰكُمۡ عَذَابُهُۥ بَيَٰتًا أَوۡ نَهَارٗا مَّاذَا يَسۡتَعۡجِلُ مِنۡهُ ٱلۡمُجۡرِمُونَ
(使徒*よ、)言ってやるがいい。「言ってみよ、もし夜、あるいは昼に、かれ(アッラー*)の懲罰があなた方に到来したら?一体罪悪者たちは、その(懲罰の)内の何を、性急に求めている[1]のか?
[1] 同様のアーヤとして、家畜章57-58、戦利品章32、フード*章8、雷鳴章6、夜の旅章92、巡礼*章47、蜘蛛章53-54、サード章16、相談章18、階段章1-2も参照。
Арабча тафсирлар:
أَثُمَّ إِذَا مَا وَقَعَ ءَامَنتُم بِهِۦٓۚ ءَآلۡـَٰٔنَ وَقَدۡ كُنتُم بِهِۦ تَسۡتَعۡجِلُونَ
それから一体、あなた方(シルク*の徒)は、それ(アッラー*の懲罰)が起こる時になって、それを信じるというのか?(その時、あなた方にはこう言われる、)『一体、今頃になって(信じるのか)?あなた方は確かに、それを性急に求めていたくせに』」。[1]
[1] アッラー*の最終的な懲罰が訪れたら、私たちは今信仰しました、などと言っても手遅れである(ムヤッサル214頁参照)。家畜章158とその訳注も参照。
Арабча тафсирлар:
ثُمَّ قِيلَ لِلَّذِينَ ظَلَمُواْ ذُوقُواْ عَذَابَ ٱلۡخُلۡدِ هَلۡ تُجۡزَوۡنَ إِلَّا بِمَا كُنتُمۡ تَكۡسِبُونَ
それから不正*(シルク*)を働いていた者たちに、(こう)言われる。「永遠の懲罰を味わえ。一体、あなた方が報われているのは、自分たちが(現世で)稼いでいたことゆえ以外の、何ものでもないのではないか?」
Арабча тафсирлар:
۞ وَيَسۡتَنۢبِـُٔونَكَ أَحَقٌّ هُوَۖ قُلۡ إِي وَرَبِّيٓ إِنَّهُۥ لَحَقّٞۖ وَمَآ أَنتُم بِمُعۡجِزِينَ
(使徒*よ、)彼ら(シルク*の徒)は、あなたに尋ねる。「一体、それ[1]は真実なのか?」言ってやるのだ。「然り、我が主*にかけて、本当にそれはまさしく真実である。そしてあなた方は、(それから)、逃れられる者ではない」。
[1] 彼らに約束された、復活の日*の懲罰のこと(前掲書、同頁参照)。
Арабча тафсирлар:
وَلَوۡ أَنَّ لِكُلِّ نَفۡسٖ ظَلَمَتۡ مَا فِي ٱلۡأَرۡضِ لَٱفۡتَدَتۡ بِهِۦۗ وَأَسَرُّواْ ٱلنَّدَامَةَ لَمَّا رَأَوُاْ ٱلۡعَذَابَۖ وَقُضِيَ بَيۡنَهُم بِٱلۡقِسۡطِ وَهُمۡ لَا يُظۡلَمُونَ
もし、不正*(シルク*)を働いたあらゆる者に、地上にあるもの(全て)があったなら、(そして、それを懲罰を免れるための代償とすることが出来たのならば、)それで償ったであろう。そして懲罰を目の当たりにする時、彼らは(余りの恐怖ゆえ)後悔の念を露わに出来ない[1]。彼らは不正*を受けることなく、自分たちの間を公正に裁かれるのだ。
[1] 「露わに出来ない」と訳した動詞「アラッサ」には、「露わにする」という全く逆の意味もある(アル=バガウィー2:423参照)。
Арабча тафсирлар:
أَلَآ إِنَّ لِلَّهِ مَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۗ أَلَآ إِنَّ وَعۡدَ ٱللَّهِ حَقّٞ وَلَٰكِنَّ أَكۡثَرَهُمۡ لَا يَعۡلَمُونَ
本当にアッラー*にこそ、諸天と大地にあるもの(全て)が属するのではないか。本当にアッラー*のお約束[1]は、真実ではないか。だが、彼らの大半は知らないのだ。
[1] 褒美と懲罰という「お約束」のこと(アル=バイダーウィー3:203参照)。
Арабча тафсирлар:
هُوَ يُحۡيِۦ وَيُمِيتُ وَإِلَيۡهِ تُرۡجَعُونَ
かれは生をもたらされ、死をもたらせせられる。そしてかれ(の御許)にこそ、あなた方は戻らされるのである。
Арабча тафсирлар:
يَٰٓأَيُّهَا ٱلنَّاسُ قَدۡ جَآءَتۡكُم مَّوۡعِظَةٞ مِّن رَّبِّكُمۡ وَشِفَآءٞ لِّمَا فِي ٱلصُّدُورِ وَهُدٗى وَرَحۡمَةٞ لِّلۡمُؤۡمِنِينَ
人々よ、あなた方のもとには確かに、あなた方の主*からの訓戒と、胸の内にあるものへの癒し[1]、導きと、信仰者たちへの慈悲(である、クルアーン*)が到来した。
[1] クルアーン*は間際(まぎわ)らしい間違いや、疑念への癒しであり、心の中の汚れを除去してくれるものである(イブン・カスィール4:274参照)。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ بِفَضۡلِ ٱللَّهِ وَبِرَحۡمَتِهِۦ فَبِذَٰلِكَ فَلۡيَفۡرَحُواْ هُوَ خَيۡرٞ مِّمَّا يَجۡمَعُونَ
(使徒*よ、)言うのだ。「アッラー*のご恩寵とそのご慈悲[1]ゆえに(喜べ)、それゆえにこそ喜ぶがよい。それは彼らが(現世で)集めている(つまらなく儚い)ものより、善いのだから」。
[1] ここでの「ご恩寵とご慈悲」とは、アッラー*のお導きと、イスラーム*のこと(ムヤッサル215頁参照)。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ أَرَءَيۡتُم مَّآ أَنزَلَ ٱللَّهُ لَكُم مِّن رِّزۡقٖ فَجَعَلۡتُم مِّنۡهُ حَرَامٗا وَحَلَٰلٗا قُلۡ ءَآللَّهُ أَذِنَ لَكُمۡۖ أَمۡ عَلَى ٱللَّهِ تَفۡتَرُونَ
(使徒*よ、彼ら不信仰者*たちに)言ってやるがいい。「言ってみよ、アッラー*があなた方のために下された糧のもの(について)。あなた方は(自分たちに)、その一部を非合法とし、(別の一部を)合法とした[1]」。言ってやれ。「一体アッラー*が、あなた方に(それを)許可されたのか?いや、あなた方はアッラー*に対して(嘘を)捏造しているのだ」。
[1] 具体例として、食卓章103、家畜章136、138-139も参照。
Арабча тафсирлар:
وَمَا ظَنُّ ٱلَّذِينَ يَفۡتَرُونَ عَلَى ٱللَّهِ ٱلۡكَذِبَ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِۗ إِنَّ ٱللَّهَ لَذُو فَضۡلٍ عَلَى ٱلنَّاسِ وَلَٰكِنَّ أَكۡثَرَهُمۡ لَا يَشۡكُرُونَ
復活の日*、アッラー*に対して嘘を捏造する者たちの(、自分たちの結末に対する)予測は、いかなるものであろう?アッラー*こそはまさしく、人々への恩寵の主であられるが、彼らの大半は感謝しない。
Арабча тафсирлар:
وَمَا تَكُونُ فِي شَأۡنٖ وَمَا تَتۡلُواْ مِنۡهُ مِن قُرۡءَانٖ وَلَا تَعۡمَلُونَ مِنۡ عَمَلٍ إِلَّا كُنَّا عَلَيۡكُمۡ شُهُودًا إِذۡ تُفِيضُونَ فِيهِۚ وَمَا يَعۡزُبُ عَن رَّبِّكَ مِن مِّثۡقَالِ ذَرَّةٖ فِي ٱلۡأَرۡضِ وَلَا فِي ٱلسَّمَآءِ وَلَآ أَصۡغَرَ مِن ذَٰلِكَ وَلَآ أَكۡبَرَ إِلَّا فِي كِتَٰبٖ مُّبِينٍ
(使徒*よ、)あなたが何らかの用事中でも、まさにクルアーン*から読誦する時でも、あなた方がいかなる行為を行っている時でも、あなた方がそれに取りかかっている時、われら*はもとより、あなた方を見守る者なのである。そして僅かな重みでも、大地にあろうが天にあろうが、あなたの主*(の知識)から免れることはない。また、それより小さいものでも、大きなものでも、明白な書[1]に(予め記されてい)ないものはないのだ。[2]
[1] この「明白な書」とは、守られし碑板*のことである、とされる(アル=バガウィー2:424参照)。 [2] 同様のアーヤ*として、婦人章40、家畜章59、サバア章3も参照。
Арабча тафсирлар:
أَلَآ إِنَّ أَوۡلِيَآءَ ٱللَّهِ لَا خَوۡفٌ عَلَيۡهِمۡ وَلَا هُمۡ يَحۡزَنُونَ
本当にアッラー*と親密な者[1]たち、彼らには怖れもなければ、悲しむこともない[2]のではないか。
[1] 服従行為によってアッラー*とお近づきになり、アッラー*からの厚遇を受ける者たち(アル=カースイミー9:3364-3365参照)。 [2] 「怖れもなければ・・・」については、雌牛章38の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَكَانُواْ يَتَّقُونَ
(彼らは)信仰し、(アッラー*を)畏れ*ていた者たち。
Арабча тафсирлар:
لَهُمُ ٱلۡبُشۡرَىٰ فِي ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا وَفِي ٱلۡأٓخِرَةِۚ لَا تَبۡدِيلَ لِكَلِمَٰتِ ٱللَّهِۚ ذَٰلِكَ هُوَ ٱلۡفَوۡزُ ٱلۡعَظِيمُ
彼らには現世の生活と来世において、吉報がある[1]。アッラー*の(お約束という)御言葉に、変更はない。それこそは、偉大なる勝利なのである。
[1] 預言者*は、こう仰(おっしゃ)ったと伝えられている。「現世における彼らの吉報とは、ムスリム*が見る、あるいは見せられる正夢であり、来世における彼らの吉報は天国である」(アフマド27526参照)。
Арабча тафсирлар:
وَلَا يَحۡزُنكَ قَوۡلُهُمۡۘ إِنَّ ٱلۡعِزَّةَ لِلَّهِ جَمِيعًاۚ هُوَ ٱلسَّمِيعُ ٱلۡعَلِيمُ
(使徒*よ、)彼ら(シルク*の徒)の言葉が、あなたを悲しませるようであってはならない。本当に偉力は全て、アッラー*に属するのだから。かれはよくお聴きになるお方、全知者であられる。
Арабча тафсирлар:
أَلَآ إِنَّ لِلَّهِ مَن فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَمَن فِي ٱلۡأَرۡضِۗ وَمَا يَتَّبِعُ ٱلَّذِينَ يَدۡعُونَ مِن دُونِ ٱللَّهِ شُرَكَآءَۚ إِن يَتَّبِعُونَ إِلَّا ٱلظَّنَّ وَإِنۡ هُمۡ إِلَّا يَخۡرُصُونَ
本当にアッラー*にこそ、諸天にある者と、大地にある者(全て)が属するのではないか。そしてアッラー*を差しおいて(、かれの)同位者(と自分たちが見なしているもの)たちに祈っている者たちは、何に従っているのか?彼らは憶測に従っているに過ぎないのであり、彼らは決めつけているだけなのだ。
Арабча тафсирлар:
هُوَ ٱلَّذِي جَعَلَ لَكُمُ ٱلَّيۡلَ لِتَسۡكُنُواْ فِيهِ وَٱلنَّهَارَ مُبۡصِرًاۚ إِنَّ فِي ذَٰلِكَ لَأٓيَٰتٖ لِّقَوۡمٖ يَسۡمَعُونَ
(人々よ、)かれ(アッラー*)は、あなた方がそこで安らぐように夜をお創りになり、昼を(生活のために)視界が利くものとされたお方。本当にそこにはまさしく、耳を傾ける民にとっての御徴[1]がある。
[1] この「御徴」とは、アッラーの唯一性*の証拠のこと(ムヤッサル216頁参照)。
Арабча тафсирлар:
قَالُواْ ٱتَّخَذَ ٱللَّهُ وَلَدٗاۗ سُبۡحَٰنَهُۥۖ هُوَ ٱلۡغَنِيُّۖ لَهُۥ مَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَمَا فِي ٱلۡأَرۡضِۚ إِنۡ عِندَكُم مِّن سُلۡطَٰنِۭ بِهَٰذَآۚ أَتَقُولُونَ عَلَى ٱللَّهِ مَا لَا تَعۡلَمُونَ
彼ら(シルク*の徒)は、言った。「アッラー*は御子をもうけられた」ーーかれ(アッラー*)に称え*あれ[1]--。かれは、満ち足りておられる*お方であるのに。かれにこそ、諸天にあるものと大地にあるもの(全て)は属する。あなた方には、これ[2]についての根拠などないのだ。一体あなた方は、アッラー*について知りもしないことを言うのか?
[1] 雌牛章116の訳注も参照。 [2] 「アッラー*は御子をもうけられた」などといった、シルク*の徒の嘘の数々を指す(前掲書、同頁参照)。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ إِنَّ ٱلَّذِينَ يَفۡتَرُونَ عَلَى ٱللَّهِ ٱلۡكَذِبَ لَا يُفۡلِحُونَ
言ってやれ。「本当にアッラー*に対して嘘を捏造する者たちは成功しない」。
Арабча тафсирлар:
مَتَٰعٞ فِي ٱلدُّنۡيَا ثُمَّ إِلَيۡنَا مَرۡجِعُهُمۡ ثُمَّ نُذِيقُهُمُ ٱلۡعَذَابَ ٱلشَّدِيدَ بِمَا كَانُواْ يَكۡفُرُونَ
(それは)現世における享楽[1]。その後、われら*(の御許)こそが、彼らの帰り所となる。それからわれら*は、彼らが不信仰を犯していたことゆえに、彼らに厳しい懲罰を味わわせるのだ。
[1] シルク*の徒らの一部は、現世で享楽や幸福を味わっており、あたかも成功しているかのようである。しかしそれは現世での束の間の享楽であり、真の成功ではない(アブー・アッ=スウード4:163参照)。
Арабча тафсирлар:
۞ وَٱتۡلُ عَلَيۡهِمۡ نَبَأَ نُوحٍ إِذۡ قَالَ لِقَوۡمِهِۦ يَٰقَوۡمِ إِن كَانَ كَبُرَ عَلَيۡكُم مَّقَامِي وَتَذۡكِيرِي بِـَٔايَٰتِ ٱللَّهِ فَعَلَى ٱللَّهِ تَوَكَّلۡتُ فَأَجۡمِعُوٓاْ أَمۡرَكُمۡ وَشُرَكَآءَكُمۡ ثُمَّ لَا يَكُنۡ أَمۡرُكُمۡ عَلَيۡكُمۡ غُمَّةٗ ثُمَّ ٱقۡضُوٓاْ إِلَيَّ وَلَا تُنظِرُونِ
(使徒*よ、)彼ら(不信仰者*たち)に、ヌーフ*の話を読唱して聞かせよ。彼(ヌーフ)がその民に、(こう)言った時のこと。「我が民よ、もし(あなた方のもとでの)私の滞留と、アッラーの御徴[1]による(あなた方に対しての)私の訓戒が、あなた方にとって苦痛となったとしても、私はアッラーにこそ全てを委ねた*のだ。ならば、あなた方は自分たちの事を、あなた方(がアッラー)の同位者(としているもの)たちと共に決定し、その後はあなた方の(決定した)事を包み隠すことなく(公にし)、それから私に対してやり遂げてみよ[2]。私を猶予してくれなくてもよい。
[1] この「御徴」については、アッラーの唯一性を示し、彼らが犯していたシルクの虚妄(きょもう)性を暴(あば)く根拠のこと(アル=アルースィー11:157参照)。 [2] 出来る限りの懲罰や迫害によって、ヌーフを始末するということ(ムヤッサル217頁参照)。
Арабча тафсирлар:
فَإِن تَوَلَّيۡتُمۡ فَمَا سَأَلۡتُكُم مِّنۡ أَجۡرٍۖ إِنۡ أَجۡرِيَ إِلَّا عَلَى ٱللَّهِۖ وَأُمِرۡتُ أَنۡ أَكُونَ مِنَ ٱلۡمُسۡلِمِينَ
それで、もしあなた方が(私の呼びかけから)背き去ったとしても、私はあなた方に見返り[1]を要求していたわけではない。私の見返りは、全創造物の主*から以外の何ものでもないのであり、私は服従する者(ムスリム*)となるように命じられたのだから」。
[1] 「見返りの要求」については、家畜章90の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
فَكَذَّبُوهُ فَنَجَّيۡنَٰهُ وَمَن مَّعَهُۥ فِي ٱلۡفُلۡكِ وَجَعَلۡنَٰهُمۡ خَلَٰٓئِفَ وَأَغۡرَقۡنَا ٱلَّذِينَ كَذَّبُواْ بِـَٔايَٰتِنَاۖ فَٱنظُرۡ كَيۡفَ كَانَ عَٰقِبَةُ ٱلۡمُنذَرِينَ
そして彼らは、彼(ヌーフ*)を嘘つき呼ばわりした。それで、われら*は彼と、彼と共にあった者を船で救って、彼らを継承者[1]とし、われら*の御徴[2]を嘘とした者たちを、溺れ(死に)させた[3]。ならば、警告を受けた者たちの結末がいかなるものだったかを、見てみるがよい。
[1] 「継承者」については、家畜章165の訳注を参照。 [2] この「御徴」は、アッラーの唯一性*と、使徒*の正しさを示す証拠のこと(アッ=タバリー5:4240参照)。 [3] この時の様子は、フード*章42-48に詳しい。
Арабча тафсирлар:
ثُمَّ بَعَثۡنَا مِنۢ بَعۡدِهِۦ رُسُلًا إِلَىٰ قَوۡمِهِمۡ فَجَآءُوهُم بِٱلۡبَيِّنَٰتِ فَمَا كَانُواْ لِيُؤۡمِنُواْ بِمَا كَذَّبُواْ بِهِۦ مِن قَبۡلُۚ كَذَٰلِكَ نَطۡبَعُ عَلَىٰ قُلُوبِ ٱلۡمُعۡتَدِينَ
それから彼(ヌーフ*)の後、われら*は(その他の)使徒*たちを、彼らの民に遣わした。それで彼ら(使徒*たち)は、明証[1]と共に彼ら(その民)のもとに到来したものの、彼ら以前にそれを嘘呼ばわりしていたことゆえ、(使徒*たちのもたらしたものを)信じるべくもなかった[2]。同様にわれら*は、(アッラー*の法と使徒たちの教えに対する)侵犯者たちの心を、閉じてしまうのである[3]
[1] この「明証」については、アーヤ*13「明証」の訳注を参照。 [2] 同様のアーヤ*として、家畜章110とその訳注も参照。(イブン・カスィール4:284参照)。 [3] 雌牛章7「・・・塞がれた」の訳注も参照。
Арабча тафсирлар:
ثُمَّ بَعَثۡنَا مِنۢ بَعۡدِهِم مُّوسَىٰ وَهَٰرُونَ إِلَىٰ فِرۡعَوۡنَ وَمَلَإِيْهِۦ بِـَٔايَٰتِنَا فَٱسۡتَكۡبَرُواْ وَكَانُواْ قَوۡمٗا مُّجۡرِمِينَ
それから彼らの後、われら*はムーサー*とハールーン*をわれら*の御徴[1]と共に、フィルアウン*とその(民の)有力者たちに遣わした。そして彼らは、(真実を受け入れることに)高慢であり、罪悪者である民であった。
[1] この「御徴」は、アッラーの唯一性*と、使徒*の正しさを示す証拠のこと(アッ=タバリー5:4240参照)。
Арабча тафсирлар:
فَلَمَّا جَآءَهُمُ ٱلۡحَقُّ مِنۡ عِندِنَا قَالُوٓاْ إِنَّ هَٰذَا لَسِحۡرٞ مُّبِينٞ
そして、彼らのもとにわれら*の御許からの真実が訪れると、彼らは言った。「本当にこれはまさしく、紛れもない魔術だ」。
Арабча тафсирлар:
قَالَ مُوسَىٰٓ أَتَقُولُونَ لِلۡحَقِّ لَمَّا جَآءَكُمۡۖ أَسِحۡرٌ هَٰذَا وَلَا يُفۡلِحُ ٱلسَّٰحِرُونَ
ムーサーは言った。「一体あなた方は真実があなた方のもとを訪れた時、それに対して(そのようなことを)言うのか?これが魔術だというのか?魔術師たちは、成功しないというのに」。
Арабча тафсирлар:
قَالُوٓاْ أَجِئۡتَنَا لِتَلۡفِتَنَا عَمَّا وَجَدۡنَا عَلَيۡهِ ءَابَآءَنَا وَتَكُونَ لَكُمَا ٱلۡكِبۡرِيَآءُ فِي ٱلۡأَرۡضِ وَمَا نَحۡنُ لَكُمَا بِمُؤۡمِنِينَ
彼らは、(ムーサー*に)言った。「一体あなたは、私たちが見出した自分たちのご先祖様のやり方[1]から、私たちを背かせるために来たのか?そして地上での権威が、あなた方両人(ムーサー*とハールーン*)のものとなるために?私たちはあなた方のことなど、信じる者ではないというのに」。
[1] 「ご先祖様のやり方」については、雌牛章170の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
وَقَالَ فِرۡعَوۡنُ ٱئۡتُونِي بِكُلِّ سَٰحِرٍ عَلِيمٖ
フィルアウン*は、(有力者たちに)言った。「あらゆる習熟した魔術師を、私のもとに連れて来い」。
Арабча тафсирлар:
فَلَمَّا جَآءَ ٱلسَّحَرَةُ قَالَ لَهُم مُّوسَىٰٓ أَلۡقُواْ مَآ أَنتُم مُّلۡقُونَ
そして魔術師たちがやって来ると、ムーサー*は彼らに言った。「あなた方が投げる物(紐や杖など)を、「投げるがよい」。[1]
[1] 話の流れとしては、この前に高壁章115、ター・ハー章65のような状況がある。尚ムーサー*が魔術師らに先手を取らせたのは、彼らが既に列を作って準備を整えていたのと、先に人々に魔術師らの行いを見せることで、ムーサー*によるアッラー*の奇跡の真実性と魔術の嘘を明らかにするためであった、とされる(イブン・カスィール4:286参照)。
Арабча тафсирлар:
فَلَمَّآ أَلۡقَوۡاْ قَالَ مُوسَىٰ مَا جِئۡتُم بِهِ ٱلسِّحۡرُۖ إِنَّ ٱللَّهَ سَيُبۡطِلُهُۥٓ إِنَّ ٱللَّهَ لَا يُصۡلِحُ عَمَلَ ٱلۡمُفۡسِدِينَ
それで彼らが(それらを)投げた時、ムーサー*は言った[1]。「あなた方が披露したものは、魔術である。本当にアッラー*は、それを無効にして下さろう。実にアッラー*は、腐敗*を働く者たちの行い[2]を、容認されないのだから。
[1] ムーサー*のこの言葉の前には、高壁章116、ター・ハー章67-69に描かれているような状況がある(前掲書4:286-287参照)。 [2] これは一説に、腐敗*を及ぼすあらゆる物事のこと。そして魔術や魔術師は、この内の最たるものである(アッ=シャウカーニ2:672参照)。
Арабча тафсирлар:
وَيُحِقُّ ٱللَّهُ ٱلۡحَقَّ بِكَلِمَٰتِهِۦ وَلَوۡ كَرِهَ ٱلۡمُجۡرِمُونَ
そしてアッラー*は、その御言葉によって真理を確立される。たとえ、罪悪者たちが嫌がろうとも」。
Арабча тафсирлар:
فَمَآ ءَامَنَ لِمُوسَىٰٓ إِلَّا ذُرِّيَّةٞ مِّن قَوۡمِهِۦ عَلَىٰ خَوۡفٖ مِّن فِرۡعَوۡنَ وَمَلَإِيْهِمۡ أَن يَفۡتِنَهُمۡۚ وَإِنَّ فِرۡعَوۡنَ لَعَالٖ فِي ٱلۡأَرۡضِ وَإِنَّهُۥ لَمِنَ ٱلۡمُسۡرِفِينَ
そしてムーサーを信じたのは、その民の子孫だけだった。彼らは、フィルアウン*とその有力者たち[1]が、自分たちを試練にかけることを怖がっていたーー本当にフィルアウンは地上で驕り高ぶり、本当にまさしく、彼は度を越した者たちの類いであったーー。
[1] 「その民」「その有力者たち」いずいれも、「その」が「ムーサーの」あるいは「フィルアウンの」を指す、という異なる解釈がある(アル=バガウィー2:430参照)。
Арабча тафсирлар:
وَقَالَ مُوسَىٰ يَٰقَوۡمِ إِن كُنتُمۡ ءَامَنتُم بِٱللَّهِ فَعَلَيۡهِ تَوَكَّلُوٓاْ إِن كُنتُم مُّسۡلِمِينَ
また、ムーサー*は言った。「我が民よ、もしアッラー*を信じたというのなら、かれにこそ全てを委ねよ*。もしあなた方が、服従する者(ムスリム*)であるならば」。
Арабча тафсирлар:
فَقَالُواْ عَلَى ٱللَّهِ تَوَكَّلۡنَا رَبَّنَا لَا تَجۡعَلۡنَا فِتۡنَةٗ لِّلۡقَوۡمِ ٱلظَّٰلِمِينَ
それで彼ら(ムーサー*の民)は、言った。「私たちは、アッラー*にこそ全てを委ねました。我らが主*よ、私たちを不正*者である民への試練とはしないで下さい[1]
[1] 「不信仰者*たちが私たちに勝利し、その結果、私たちが宗教から遠ざけられないようにして下さい」という意味。あるいは、「不信仰者*たちが私たちに 勝利することにより、そのことが彼らに、彼らの方が正しかったのだと誤解(ごかい)させないように して下さい」ということ(ムヤッサル218頁参照)。
Арабча тафсирлар:
وَنَجِّنَا بِرَحۡمَتِكَ مِنَ ٱلۡقَوۡمِ ٱلۡكَٰفِرِينَ
また、あなたのご慈悲によって、私たちを不信仰の民*からお救いください」。
Арабча тафсирлар:
وَأَوۡحَيۡنَآ إِلَىٰ مُوسَىٰ وَأَخِيهِ أَن تَبَوَّءَا لِقَوۡمِكُمَا بِمِصۡرَ بُيُوتٗا وَٱجۡعَلُواْ بُيُوتَكُمۡ قِبۡلَةٗ وَأَقِيمُواْ ٱلصَّلَوٰةَۗ وَبَشِّرِ ٱلۡمُؤۡمِنِينَ
われら*は、ムーサー*とその兄(ハールーン*)に(、こう)啓示した。「あなた方二人の民のためにエジプトで家々を拠り所とし、あなた方の家々をキブラ*とし、礼拝を遵守*せよ[1]。そして信仰者たちには、吉報を伝えるのだ」。
[1] 大半の解釈学者によれば、イスラーイールの子ら*はムーサー*たちの到来後、彼らの礼拝所を破壊(はかい)され、礼拝を禁じられた。それで彼らは家をマスジド*とし、彼らのキブラ*であるエルサレムの方に向けるように命じられた(アル=バガウィー4:431参照)。
Арабча тафсирлар:
وَقَالَ مُوسَىٰ رَبَّنَآ إِنَّكَ ءَاتَيۡتَ فِرۡعَوۡنَ وَمَلَأَهُۥ زِينَةٗ وَأَمۡوَٰلٗا فِي ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا رَبَّنَا لِيُضِلُّواْ عَن سَبِيلِكَۖ رَبَّنَا ٱطۡمِسۡ عَلَىٰٓ أَمۡوَٰلِهِمۡ وَٱشۡدُدۡ عَلَىٰ قُلُوبِهِمۡ فَلَا يُؤۡمِنُواْ حَتَّىٰ يَرَوُاْ ٱلۡعَذَابَ ٱلۡأَلِيمَ
また、ムーサー*は言った。「我らが主*よ、実にあなたはフィルアウン*とその(民の)有力者に、現世の生活において、飾りと財産をお与えになりました。我らが主*よ、(その結果、)彼らは(それらの恩恵に感謝せず、)あなたの道から(自分たちと人々を)迷わせたのです。我らが主*よ、彼らの財産を変容させ[1]、彼らの心をきつく狭め、それで痛烈な懲罰を目の当たりにするまでは、彼らが信仰しないようにして下さい」。
[1] 貨幣や農産物などが、価値のない石に変り果てること。あるいは、朽(く)ち果ててしまうこと(アッ=タバリー5:4254-4256参照)。
Арабча тафсирлар:
قَالَ قَدۡ أُجِيبَت دَّعۡوَتُكُمَا فَٱسۡتَقِيمَا وَلَا تَتَّبِعَآنِّ سَبِيلَ ٱلَّذِينَ لَا يَعۡلَمُونَ
かれ(アッラー*)は仰せられた。「あなた方二人の祈願は、確かに聞き入れられた。ゆえに確固としてあれ[1]。そして(われら*の約束と警告について)知識のない者たちの道には、断じて従ってはならない」。
[1] 自分たちの宗教の遵守(じゅんしゅ)と、フィルアウン*とその民を正しい教えへと招き続けることにおいて、確固としてあること(ムヤッサル219頁参照)。
Арабча тафсирлар:
۞ وَجَٰوَزۡنَا بِبَنِيٓ إِسۡرَٰٓءِيلَ ٱلۡبَحۡرَ فَأَتۡبَعَهُمۡ فِرۡعَوۡنُ وَجُنُودُهُۥ بَغۡيٗا وَعَدۡوًاۖ حَتَّىٰٓ إِذَآ أَدۡرَكَهُ ٱلۡغَرَقُ قَالَ ءَامَنتُ أَنَّهُۥ لَآ إِلَٰهَ إِلَّا ٱلَّذِيٓ ءَامَنَتۡ بِهِۦ بَنُوٓاْ إِسۡرَٰٓءِيلَ وَأَنَا۠ مِنَ ٱلۡمُسۡلِمِينَ
われら*は、イスラーイールの子ら*に海を渡らせた[1]。そしてフィルアウン*とその軍勢は不当にも敵対して、彼らを追った。やがて溺死が彼(フィルアウン*)に襲いかかった時、彼は言った。「私は、イスラーイールの子ら*が信じたお方(アッラー*)の外、崇拝*すべき何ものもないことを信じました。そして私は、服従する者(ムスリム*)の一人なのです」。
[1] この出来事については、ター・ハー章77-78、詩人たち章61-66、煙霧章23-24も参照。
Арабча тафсирлар:
ءَآلۡـَٰٔنَ وَقَدۡ عَصَيۡتَ قَبۡلُ وَكُنتَ مِنَ ٱلۡمُفۡسِدِينَ
「(フィルアウン*よ、)今頃(信仰するの)か?[1]あなたは以前、確かに反抗していたし、腐敗*を働く者たちの類いだったのに。
[1] 死が訪れれば、悔悟をしても受け入れられない(ムヤッサル219頁参照)。家畜章158とその訳注も参照。
Арабча тафсирлар:
فَٱلۡيَوۡمَ نُنَجِّيكَ بِبَدَنِكَ لِتَكُونَ لِمَنۡ خَلۡفَكَ ءَايَةٗۚ وَإِنَّ كَثِيرٗا مِّنَ ٱلنَّاسِ عَنۡ ءَايَٰتِنَا لَغَٰفِلُونَ
それでわれら*はこの日、あなたがあなたの後(世)の者たちへの(訓戒すべき)御徴となるべく、あなたをその肉体のみ[1]、高台にうち上げてやるとしよう。本当に多くの人々は、われら*の御徴に無頓着なのである[2]」。[3]
[1] 魂のない肉体、あるいは彼が着ていた鎧(よろい)のこと(アル=バガウィー2:433参照)。 [2] 一説によれば、ムーサー*と共にエジプトを脱出したイスラーイールの子ら*の一部は、フィルアウン*が溺れ死んだのを信じない、と主張した。それでアッラー*は、彼の死が明白になるよう、このようにされたのだという(イブン・カスィール4:294参照)。 [3] これが誰の言葉であるか、という点については、「アッラー*」「ジブリール*」「ミーカーイール*」「その他の天使*」といった諸説がある(アル=クルトゥビー8:379参照)。
Арабча тафсирлар:
وَلَقَدۡ بَوَّأۡنَا بَنِيٓ إِسۡرَٰٓءِيلَ مُبَوَّأَ صِدۡقٖ وَرَزَقۡنَٰهُم مِّنَ ٱلطَّيِّبَٰتِ فَمَا ٱخۡتَلَفُواْ حَتَّىٰ جَآءَهُمُ ٱلۡعِلۡمُۚ إِنَّ رَبَّكَ يَقۡضِي بَيۡنَهُمۡ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ فِيمَا كَانُواْ فِيهِ يَخۡتَلِفُونَ
われら*は確かに、イスラーイールの子ら*を善い土地に住まわせ、善きものの内から、彼らに糧を授けた。そして彼らが意見を異にしたのは、彼らのもとに知識が到来した後のことだったのだ[1]。本当にあなたの主*は復活の日*、彼らが意見を異にしていたことについて、彼らの間に裁決をお下しになる。
[1] このアーヤ*の意味については、雌牛章213、相談章14とその訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
فَإِن كُنتَ فِي شَكّٖ مِّمَّآ أَنزَلۡنَآ إِلَيۡكَ فَسۡـَٔلِ ٱلَّذِينَ يَقۡرَءُونَ ٱلۡكِتَٰبَ مِن قَبۡلِكَۚ لَقَدۡ جَآءَكَ ٱلۡحَقُّ مِن رَّبِّكَ فَلَا تَكُونَنَّ مِنَ ٱلۡمُمۡتَرِينَ
もし(使徒*よ)、われら*があなた[1]に下したもの(の真実性)について疑念を抱いているのなら、(確証と証言を得るため、)あなた以前に啓典を読んでいる者たちに尋ねるがよい。真理は確かにあなたの主*から、あなたのもとに到来したのである。ならば絶対に、(そのことを)疑わしく思う者たちの類いになってはならない。
[1] このアーヤ*と、後続のアーヤ*の「あなた」については、雌牛章120の訳注を参照(前掲書8:383参照)。
Арабча тафсирлар:
وَلَا تَكُونَنَّ مِنَ ٱلَّذِينَ كَذَّبُواْ بِـَٔايَٰتِ ٱللَّهِ فَتَكُونَ مِنَ ٱلۡخَٰسِرِينَ
また(使徒*よ、)あなたは絶対に、アッラー*の御徴を嘘呼ばわりした者たちの一人となり、それによって損失者の類いとなってはならない。
Арабча тафсирлар:
إِنَّ ٱلَّذِينَ حَقَّتۡ عَلَيۡهِمۡ كَلِمَتُ رَبِّكَ لَا يُؤۡمِنُونَ
本当に、(懲罰という)あなたの主*の御言葉が自分たちに確定した者たちは、信じないのである。
Арабча тафсирлар:
وَلَوۡ جَآءَتۡهُمۡ كُلُّ ءَايَةٍ حَتَّىٰ يَرَوُاْ ٱلۡعَذَابَ ٱلۡأَلِيمَ
たとえ、彼らのもとに(訓戒と教訓としての)あらゆる御徴が訪れても。痛烈な懲罰を目の当たりにするまで(、信じないのだ)。[1]
[1] アーヤ*91の訳注も参照。
Арабча тафсирлар:
فَلَوۡلَا كَانَتۡ قَرۡيَةٌ ءَامَنَتۡ فَنَفَعَهَآ إِيمَٰنُهَآ إِلَّا قَوۡمَ يُونُسَ لَمَّآ ءَامَنُواْ كَشَفۡنَا عَنۡهُمۡ عَذَابَ ٱلۡخِزۡيِ فِي ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا وَمَتَّعۡنَٰهُمۡ إِلَىٰ حِينٖ
どうして町(の住民)は(、懲罰を目の当たりにする前に)信仰し、その信仰で自らを益しなかったのか?[1] 但しユーヌス*の民だけは別で、彼らが信仰した時(、懲罰はまさに下ろうとしていたが)、われら*は彼らから現世の生活における屈辱の懲罰を取り除いてやり、暫しの間、彼ら(の余命)を楽しませておいたのである。[2]
[1] この件(くだり)には、懲罰が下るまで信仰しなかった過去の不信仰の民*に対する非難と、懲罰が到来した時に信仰しても彼らは救われなかったのだという、否定の意味が含まれているという(イブン・ジュザイ1:388)。また当時のマッカ*の民に対する警告と、信仰への奨励(しょうれい)も多分含まれている(イブン・アーシュール11:289参照)。家畜章158とその訳注も参照。 [2] ユーヌス*はその民に懲罰の警告をして立ち去った(詳しくは預言者*たち章87、整列者章139-148とその訳注を参照)が、懲罰の兆候(ちょうこう)を目の当たりにした民は信仰に入り、必死になってアッラー*に救いを求めた。その結果、アッラー*は彼らにご慈悲をおかけになったのである(イブン・カスィール4:297参照)。
Арабча тафсирлар:
وَلَوۡ شَآءَ رَبُّكَ لَأٓمَنَ مَن فِي ٱلۡأَرۡضِ كُلُّهُمۡ جَمِيعًاۚ أَفَأَنتَ تُكۡرِهُ ٱلنَّاسَ حَتَّىٰ يَكُونُواْ مُؤۡمِنِينَ
(使徒*よ、)あなたの主*がお望みになったなら、地上の全ての者が揃って、信仰に入ったであろう。一体あなたは、人々が信仰者となるように強制するというのか?[1]
[1] 強制された信仰については、家畜章158、詩人たち章4とその訳注も参照。最終的な導きは、アッラーのみに委ねられていることに関しては、雌牛章272、蜜蜂章37、蟻章80、物語章56、相談章52とその訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
وَمَا كَانَ لِنَفۡسٍ أَن تُؤۡمِنَ إِلَّا بِإِذۡنِ ٱللَّهِۚ وَيَجۡعَلُ ٱلرِّجۡسَ عَلَى ٱلَّذِينَ لَا يَعۡقِلُونَ
また、アッラー*のお許しなくしては、誰も信仰することなど叶わない。そして、かれ(アッラー*)は(、そのご命令を)弁えない者たちに対して、穢れ[1]をお与えになるのだ。
[1] この「穢れ」は、懲罰と屈辱のこと(ムヤッサル220頁参照)。
Арабча тафсирлар:
قُلِ ٱنظُرُواْ مَاذَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۚ وَمَا تُغۡنِي ٱلۡأٓيَٰتُ وَٱلنُّذُرُ عَن قَوۡمٖ لَّا يُؤۡمِنُونَ
(使徒*よ、)言ってやれ。「諸天にあるものと、大地にあるものを考えてみよーー御徴も警告も、信仰しない民には無益なのだがーー」。
Арабча тафсирлар:
فَهَلۡ يَنتَظِرُونَ إِلَّا مِثۡلَ أَيَّامِ ٱلَّذِينَ خَلَوۡاْ مِن قَبۡلِهِمۡۚ قُلۡ فَٱنتَظِرُوٓاْ إِنِّي مَعَكُم مِّنَ ٱلۡمُنتَظِرِينَ
彼らは一体、彼ら以前に過ぎ去って行った(不信仰)者*たちの日々[1]のようなものを、待つというのか?(使徒*よ、)言ってやるがいい。「では、待つがよい。本当に私も、あなた方と共に(あなた方への懲罰を、)待つ者となるから」。
[1] 過去の不信仰者*たちが、アッラー*からの懲罰を目の当たりにした「日々」のこと(ムヤッサル220頁参照)。
Арабча тафсирлар:
ثُمَّ نُنَجِّي رُسُلَنَا وَٱلَّذِينَ ءَامَنُواْۚ كَذَٰلِكَ حَقًّا عَلَيۡنَا نُنجِ ٱلۡمُؤۡمِنِينَ
それからわれら*は、われらの使徒たちと、信仰した者たちを、救い出す。そのようにーー(それは)われらにとって必須なのだーー、われらは信仰者たちを救う。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ يَٰٓأَيُّهَا ٱلنَّاسُ إِن كُنتُمۡ فِي شَكّٖ مِّن دِينِي فَلَآ أَعۡبُدُ ٱلَّذِينَ تَعۡبُدُونَ مِن دُونِ ٱللَّهِ وَلَٰكِنۡ أَعۡبُدُ ٱللَّهَ ٱلَّذِي يَتَوَفَّىٰكُمۡۖ وَأُمِرۡتُ أَنۡ أَكُونَ مِنَ ٱلۡمُؤۡمِنِينَ
(使徒*よ、)言うのだ。「人々よ、もしあなた方が私の宗教(イスラーム*)に疑念を抱いていたとしても、私はあなた方がアッラー*を差しおいて崇めているものを、崇拝*しない。だが私は、あなた方(の魂)をお召しになるアッラー*を崇拝*するのであり、信仰者の一人となることを命じられたのである。
Арабча тафсирлар:
وَأَنۡ أَقِمۡ وَجۡهَكَ لِلدِّينِ حَنِيفٗا وَلَا تَكُونَنَّ مِنَ ٱلۡمُشۡرِكِينَ
そして、『(使徒*よ、)あなた[1]の顔をその純正[2]な宗教(イスラーム*)へと正すのだ。断じて、シルク*の徒の類いとなってはならない。
[1] この「あなた」は預言者*だけでなく、彼の共同体の全員にも向けられている(ムヤッサル220頁参照)。 [2] 雌牛章135「純正な」についての訳注を参照。また「顔」についても、同省112の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
وَلَا تَدۡعُ مِن دُونِ ٱللَّهِ مَا لَا يَنفَعُكَ وَلَا يَضُرُّكَۖ فَإِن فَعَلۡتَ فَإِنَّكَ إِذٗا مِّنَ ٱلظَّٰلِمِينَ
また、あなたを益することもなければ害することもないもの[1]を、アッラー*を差しおいて祈ってはならない。もし(そのようなことを)したならば、そうしたら、本当にあなたは不正*者の類いとなってしまうだろう』と(命じられたのだ)」。
[1] つまり、それらを崇拝*しても、それらがあなたを益することはない。そして、もしそれらに敵対しても、それらがあなたを害することもない(アル=バガウィー2:437参照)。
Арабча тафсирлар:
وَإِن يَمۡسَسۡكَ ٱللَّهُ بِضُرّٖ فَلَا كَاشِفَ لَهُۥٓ إِلَّا هُوَۖ وَإِن يُرِدۡكَ بِخَيۡرٖ فَلَا رَآدَّ لِفَضۡلِهِۦۚ يُصِيبُ بِهِۦ مَن يَشَآءُ مِنۡ عِبَادِهِۦۚ وَهُوَ ٱلۡغَفُورُ ٱلرَّحِيمُ
(使徒*よ、)もしアッラー*があなたに害悪をお与えになれば、かれ以外には誰一人、それを取り除いてくれる者はいない。また、かれがあなたに何らかの善をお望みになれば誰一人として、その恩寵を突き返す(ことの出来る)者はいない[1]。かれはその僕の内から、かれがお望みになる者に、それ(有害あるいは善)をお与えになるのであり、かれは赦し深いお方、慈愛深い*お方なのだ。
[1] この「害悪」と「善」については、家畜章17の訳注を参照。
Арабча тафсирлар:
قُلۡ يَٰٓأَيُّهَا ٱلنَّاسُ قَدۡ جَآءَكُمُ ٱلۡحَقُّ مِن رَّبِّكُمۡۖ فَمَنِ ٱهۡتَدَىٰ فَإِنَّمَا يَهۡتَدِي لِنَفۡسِهِۦۖ وَمَن ضَلَّ فَإِنَّمَا يَضِلُّ عَلَيۡهَاۖ وَمَآ أَنَا۠ عَلَيۡكُم بِوَكِيلٖ
(使徒*よ、)言ってやれ。「人々よ、あなた方の主*から、あなた方のもとに真理が到来した。それで(それにより)導かれた者があれば、本当に彼は自分を益するために導かれるだけであり、また迷う者があれば、自分を害するために迷うだけ。そして私は(あなた方の信仰を委任された)、あなた方に対する代理人などではない」。
Арабча тафсирлар:
وَٱتَّبِعۡ مَا يُوحَىٰٓ إِلَيۡكَ وَٱصۡبِرۡ حَتَّىٰ يَحۡكُمَ ٱللَّهُۚ وَهُوَ خَيۡرُ ٱلۡحَٰكِمِينَ
そして(使徒*よ、)あなたに啓示されるものに従い、アッラー*が裁決[1]を下されるまで忍耐せよ。かれは、裁決者の内でも最善のお方であられる。
[1] アッラー*はバドルの戦い*の日、彼らを征伐(せいばつ)するという「裁決」をお下しになり、その残存者たちについては、彼らと同様の目にあわせるか、あるいはアッラー*に悔悟するかのいずれかとなるよう、命じられた(アッ=タバリー5:4277参照)。
Арабча тафсирлар:
 
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Суралар мундарижаси Бет рақами
 
Қуръони Карим маъноларининг таржимаси - Японча таржима - Саид Сато - Таржималар мундарижаси

Қуръон Карим маъноларининг японча таржимаси, мутаржим: Саид Сату, 1440 ҳ. йилда нашр қилинган. Уни Рувводут таржама маркази томонидан тузатилган. Доимий ривожлантириш, баҳолаш ва фикру мулоҳаза билдириш учун асил таржимага мурожаат қилиш мумкин.

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