የቅዱስ ቁርዓን ይዘት ትርጉም - ጃፓንኛ ትርጉም - በሰዒድ ሳቶ * - የትርጉሞች ማዉጫ

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የይዘት ትርጉም አንቀጽ: (161) ምዕራፍ: ሱረቱ ኣሊ-ኢምራን
وَمَا كَانَ لِنَبِيٍّ أَن يَغُلَّۚ وَمَن يَغۡلُلۡ يَأۡتِ بِمَا غَلَّ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِۚ ثُمَّ تُوَفَّىٰ كُلُّ نَفۡسٖ مَّا كَسَبَتۡ وَهُمۡ لَا يُظۡلَمُونَ
預言者*がごまかすなどということは、あり得ない[1]。そしてごまかす者は誰であろうと、復活の日*にその着服したものを携えてやって来る[2]のだ。それから各人は不正*を受けることなく、自らが稼いだもの(の報い)を全うされる。
[1] このアーヤ*は、「バドルの戦い*で、預言者*が戦利品*の一つをせしめた、という噂(うわさ)を立てられたこと」に関して下ったとも、「偽信者*たちが、ある紛失(ふんしつ)物について、彼に濡(ぬ)れ衣をかけたこと」に関して下った、とも言われる。いずれにせよ、託された物事の遂行、戦利品*の分配など全てのことにおいて、預言者*がごまかしをすることはない(イブン・カスィール2:150-151参照)。 [2] 戦利品*などを着服した者は、復活の日*にそれを首の周りに巻き付けた状態で現れる。そしてアッラー*の使徒*のもとに赴(おもむ)いてその苦しみを訴えるが、それは却下(きゃっか)される(アル=ブハーリー3073参照)。
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የይዘት ትርጉም አንቀጽ: (161) ምዕራፍ: ሱረቱ ኣሊ-ኢምራን
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የተከበረው ቁርአን ጃፓንኛ መልዕክተ ትርጉም - በሰዒድ ሳቶ 1440 ዓ.ል ዕትም

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