وه‌رگێڕانی ماناكانی قورئانی پیرۆز - وەرگێڕاوی یابانی بۆ پوختەی تەفسیری قورئانی پیرۆز * - پێڕستی وه‌رگێڕاوه‌كان


وه‌رگێڕانی ماناكان سوره‌تی: سورەتی الكهف   ئایه‌تی:

洞窟章

لە مەبەستەکانی سورەتەکە:
بيان منهج التعامل مع الفتن.
試練に対する対処法の説明。

ٱلۡحَمۡدُ لِلَّهِ ٱلَّذِيٓ أَنزَلَ عَلَىٰ عَبۡدِهِ ٱلۡكِتَٰبَ وَلَمۡ يَجۡعَل لَّهُۥ عِوَجَاۜ
完全かつ偉大な属性、および外面的・内面的な恩恵のための賛美は、アッラーだけに属する。かれはその僕であり使徒であるムハンマドにクルアーンを下し、それに真理からの逸脱をもたらさなかった。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَيِّمٗا لِّيُنذِرَ بَأۡسٗا شَدِيدٗا مِّن لَّدُنۡهُ وَيُبَشِّرَ ٱلۡمُؤۡمِنِينَ ٱلَّذِينَ يَعۡمَلُونَ ٱلصَّٰلِحَٰتِ أَنَّ لَهُمۡ أَجۡرًا حَسَنٗا
そうではなく、それをいかなる矛盾もない真っ直ぐなものとした。かれはそれで、かれらを待ち受けるアッラーからの強力な罰により、不信仰者たちを恐れさせる。他方、善行を行う信徒たちには、いかなるものも比肩しないご褒美についての嬉しい知らせを伝える。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
مَّٰكِثِينَ فِيهِ أَبَدٗا
かれらは、途絶えることのないこのご褒美の中に、永遠に住まう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَيُنذِرَ ٱلَّذِينَ قَالُواْ ٱتَّخَذَ ٱللَّهُ وَلَدٗا
またかれは、「アッラーには子供がある」と言った、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ある種の多神教徒たちにも警告する。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• أنزل الله القرآن متضمنًا الحق والعدل والشريعة والحكم الأمثل .
●アッラーが啓示したクルアーンは、真理・公正・法規定・最善の英知を含んでいる。

• جواز البكاء في الصلاة من خوف الله تعالى.
●アッラーに対する恐れから、礼拝中に涙を流すことの合法性。

• الدعاء أو القراءة في الصلاة يكون بطريقة متوسطة بين الجهر والإسرار.
●礼拝中の祈願や読誦は、声を上げすぎもせず低めすぎもせず、その中間とすべきである。

• القرآن الكريم قد اشتمل على كل عمل صالح موصل لما تستبشر به النفوس وتفرح به الأرواح.
●クルアーンには、心と魂が喜びを感じるような、あらゆる善行が含まれている。

مَّا لَهُم بِهِۦ مِنۡ عِلۡمٖ وَلَا لِأٓبَآئِهِمۡۚ كَبُرَتۡ كَلِمَةٗ تَخۡرُجُ مِنۡ أَفۡوَٰهِهِمۡۚ إِن يَقُولُونَ إِلَّا كَذِبٗا
これらの嘘つきたちには、アッラーには子供があるという主張について、いかなる知識も証拠もないし、かれらが踏襲したかれらの先祖も同様である。考えもせず発せられる、かれらのこのような言葉は醜いこと極まりない。かれらの言葉はいかなる根拠もない嘘である。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَلَعَلَّكَ بَٰخِعٞ نَّفۡسَكَ عَلَىٰٓ ءَاثَٰرِهِمۡ إِن لَّمۡ يُؤۡمِنُواْ بِهَٰذَا ٱلۡحَدِيثِ أَسَفًا
使徒よ、かれらがこのクルアーンを信じなければ、あなたは悲しみと悔しさで自分自身を滅ぼすかのようだろう。だが、そうはするな。かれらを導くことはあなたの義務ではなく、あなたはただ伝達するだけなのだ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
إِنَّا جَعَلۡنَا مَا عَلَى ٱلۡأَرۡضِ زِينَةٗ لَّهَا لِنَبۡلُوَهُمۡ أَيُّهُمۡ أَحۡسَنُ عَمَلٗا
地上にある被造物を美しくしたのは、あなた方の誰が最もよい行いをしてアッラーを喜ばせるか、また誰が最悪の行いか、試練にかけるため。われらはいずれの者にも、相応の報いを与える。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَإِنَّا لَجَٰعِلُونَ مَا عَلَيۡهَا صَعِيدٗا جُرُزًا
またわれらは地上にある被造物を、その生命が終わった後に、植物のない砂地としてしまう。そのことを、よく教訓とせよ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
أَمۡ حَسِبۡتَ أَنَّ أَصۡحَٰبَ ٱلۡكَهۡفِ وَٱلرَّقِيمِ كَانُواْ مِنۡ ءَايَٰتِنَا عَجَبًا
使徒よ、洞窟の人々と、かれらの名が刻まれた碑板の話を、われらの驚くべき印だと思うのではない。天地の創造など、それよりも驚くべきことはあるのだ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
إِذۡ أَوَى ٱلۡفِتۡيَةُ إِلَى ٱلۡكَهۡفِ فَقَالُواْ رَبَّنَآ ءَاتِنَا مِن لَّدُنكَ رَحۡمَةٗ وَهَيِّئۡ لَنَا مِنۡ أَمۡرِنَا رَشَدٗا
使徒よ、信仰者の若者たちが、自分たちの宗教のために避難した時のことを思い出せ。かれらは主に祈って言った。「主よ、わたしたちにあなたからの慈悲を授け、わたしたちの罪を赦し、わたしたちを敵から救って下さい。不信仰者たちからの避難と信仰によって、わたしたちを真理の道へと導いて下さい。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَضَرَبۡنَا عَلَىٰٓ ءَاذَانِهِمۡ فِي ٱلۡكَهۡفِ سِنِينَ عَدَدٗا
かれらが洞窟に避難した後、われらはかれらの耳を音から遮断し、長年の間眠りにつかせた。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
ثُمَّ بَعَثۡنَٰهُمۡ لِنَعۡلَمَ أَيُّ ٱلۡحِزۡبَيۡنِ أَحۡصَىٰ لِمَا لَبِثُوٓاْ أَمَدٗا
それから長い眠りの後、われらはかれらを目覚めさせた。洞窟の中で眠っていた期間について議論し合う2派の内、いずれがその期間についてよく知っているか、判別するためであった。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
نَّحۡنُ نَقُصُّ عَلَيۡكَ نَبَأَهُم بِٱلۡحَقِّۚ إِنَّهُمۡ فِتۡيَةٌ ءَامَنُواْ بِرَبِّهِمۡ وَزِدۡنَٰهُمۡ هُدٗى
使徒よ、われらはあなたに、かれらについての疑念のない真実の話を知らせる。かれらは主を信じて服従した信仰者であり、われらが導いて真理の上に確固とさせた者たちである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَرَبَطۡنَا عَلَىٰ قُلُوبِهِمۡ إِذۡ قَامُواْ فَقَالُواْ رَبُّنَا رَبُّ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِ لَن نَّدۡعُوَاْ مِن دُونِهِۦٓ إِلَٰهٗاۖ لَّقَدۡ قُلۡنَآ إِذٗا شَطَطًا
かれらが不信仰の王の前で、アッラーだけを信仰することを宣言した時、われらはかれらの心を信仰心で強めて堅固にし、故郷を離れる忍耐心を授けた。かれらは(王の前で)言った。「わたしたちが信じ崇拝する主は、天地の主。わたしたちはかれ以外の偽の神々を崇拝したりはしない。もしそのようなことをすれば、わたしたちは真理から遠くかけ離れた不正な言葉を語ってしまうことになる。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
هَٰٓؤُلَآءِ قَوۡمُنَا ٱتَّخَذُواْ مِن دُونِهِۦٓ ءَالِهَةٗۖ لَّوۡلَا يَأۡتُونَ عَلَيۡهِم بِسُلۡطَٰنِۭ بَيِّنٖۖ فَمَنۡ أَظۡلَمُ مِمَّنِ ٱفۡتَرَىٰ عَلَى ٱللَّهِ كَذِبٗا
それからかれらは、お互いの方を見て言った。「わたしたちの民はアッラー以外のものを崇拝してしまった。かれらはそれらの崇拝において、いかなる明証も有してはいない。アッラーに同位者があるなどと嘘の主張をする者より、ひどい不正を行う者があろうか?」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• الداعي إلى الله عليه التبليغ والسعي بغاية ما يمكنه، مع التوكل على الله في ذلك، فإن اهتدوا فبها ونعمت، وإلا فلا يحزن ولا يأسف.
●アッラーへと招く者は伝道し、可能な限り努力しなければならないが、同時にアッラーに全てを任せる必要がある。それで人々が導かれれば素晴らしいが、そうならなくても悲しんだり悔んだりすべきではない。

• في العلم بمقدار لبث أصحاب الكهف، ضبط للحساب، ومعرفة لكمال قدرة الله تعالى وحكمته ورحمته.
●洞窟の人々が滞在した期間の知識には、計算の確かさ、アッラーの完全な御力と英知と慈悲がある。

• في الآيات دليل صريح على الفرار بالدين وهجرة الأهل والبنين والقرابات والأصدقاء والأوطان والأموال؛ خوف الفتنة.
●一連のアーヤには、宗教のために避難し、試練を恐れて家族・子供・親戚・友人・故郷・財産を置いて移住することの根拠がある。

• ضرورة الاهتمام بتربية الشباب؛ لأنهم أزكى قلوبًا، وأنقى أفئدة، وأكثر حماسة، وعليهم تقوم نهضة الأمم.
●若者の教育の重要性。若者は心が清純で、熱意にあふれており、社会の興隆がかかっているからである。

وَإِذِ ٱعۡتَزَلۡتُمُوهُمۡ وَمَا يَعۡبُدُونَ إِلَّا ٱللَّهَ فَأۡوُۥٓاْ إِلَى ٱلۡكَهۡفِ يَنشُرۡ لَكُمۡ رَبُّكُم مِّن رَّحۡمَتِهِۦ وَيُهَيِّئۡ لَكُم مِّنۡ أَمۡرِكُم مِّرۡفَقٗا
あなた方は民から逃れ、かれらがアッラーをよそに崇拝しているものを放棄したが、あなた方はそもそもアッラー以外のものを崇拝してはいなかった。宗教のために洞窟へと避難すれば、主はあなた方に慈悲を垂れ、敵から守ってくれよう。また民の中で生活することの代わりに、あなた方の利に適うことへと物事を容易にして下さろう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
۞ وَتَرَى ٱلشَّمۡسَ إِذَا طَلَعَت تَّزَٰوَرُ عَن كَهۡفِهِمۡ ذَاتَ ٱلۡيَمِينِ وَإِذَا غَرَبَت تَّقۡرِضُهُمۡ ذَاتَ ٱلشِّمَالِ وَهُمۡ فِي فَجۡوَةٖ مِّنۡهُۚ ذَٰلِكَ مِنۡ ءَايَٰتِ ٱللَّهِۗ مَن يَهۡدِ ٱللَّهُ فَهُوَ ٱلۡمُهۡتَدِۖ وَمَن يُضۡلِلۡ فَلَن تَجِدَ لَهُۥ وَلِيّٗا مُّرۡشِدٗا
かれらは命じられた通りにし、アッラーはかれらを眠らせ、敵から守った。かれらを目にした者は、太陽が東から昇れば洞窟内部の右側へと傾き、沈む時には左側へと傾くのを見たであろう。こうして太陽はかれらに当たることなく、かれらはその熱に晒されることなく、ずっと影の中にいたのだ。また洞窟は広く、必要な空気を得ることが出来た。洞窟への避難、眠り、太陽の傾き、場所の広さ、民からの救出といったことは、アッラーの御力を示す驚異的な采配である。アッラーが導きの道へと導いた者こそは、真に導かれた者。かれに見捨てられ、迷わされた者には、その道へと援助し導いてくれる者はいない。導きはアッラーだけに属するのだ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَتَحۡسَبُهُمۡ أَيۡقَاظٗا وَهُمۡ رُقُودٞۚ وَنُقَلِّبُهُمۡ ذَاتَ ٱلۡيَمِينِ وَذَاتَ ٱلشِّمَالِۖ وَكَلۡبُهُم بَٰسِطٞ ذِرَاعَيۡهِ بِٱلۡوَصِيدِۚ لَوِ ٱطَّلَعۡتَ عَلَيۡهِمۡ لَوَلَّيۡتَ مِنۡهُمۡ فِرَارٗا وَلَمُلِئۡتَ مِنۡهُمۡ رُعۡبٗا
かれらを見る者よ、かれらは眠っているにも関わらず目を開いていたため、あなたはかれらが起きていると思っただろう。かれらが寝ている間、われらはかれらを右に左に転がしたが、それはかれらの体が地面に侵食されないようにするためだった。かれらに同行していた犬は、洞窟の入り口で前足を伸ばしていた。かれらを目にしたなら、あなたはかれらへの恐怖のために背を向けて逃げ出しただろう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَكَذَٰلِكَ بَعَثۡنَٰهُمۡ لِيَتَسَآءَلُواْ بَيۡنَهُمۡۚ قَالَ قَآئِلٞ مِّنۡهُمۡ كَمۡ لَبِثۡتُمۡۖ قَالُواْ لَبِثۡنَا يَوۡمًا أَوۡ بَعۡضَ يَوۡمٖۚ قَالُواْ رَبُّكُمۡ أَعۡلَمُ بِمَا لَبِثۡتُمۡ فَٱبۡعَثُوٓاْ أَحَدَكُم بِوَرِقِكُمۡ هَٰذِهِۦٓ إِلَى ٱلۡمَدِينَةِ فَلۡيَنظُرۡ أَيُّهَآ أَزۡكَىٰ طَعَامٗا فَلۡيَأۡتِكُم بِرِزۡقٖ مِّنۡهُ وَلۡيَتَلَطَّفۡ وَلَا يُشۡعِرَنَّ بِكُمۡ أَحَدًا
かれらに対してわれらの驚異的な力を示したのと同様、われらは長い時間が過ぎた後にかれらを目覚めさせた。かれらは互いにどれ位眠っていたのか尋ね合い、ある者たちは言った。「一日か、一日の一部だけ眠っていたのだ。」また別の者たちはその時間が分からず、言った。「あなた方が寝て過ごした期間については、主が最もよくご存じである。だからそのことはかれに任せて、自分たちにとって重要なことをせよ。あなた方の誰かをこの銀貨を持ってわたしたちの町に行かせ、最もよい食べ物と衣服を持っている者を探させ、そこから糧を持ってこさせ、注意深く出入りややり取りをさせよ。誰にもあなた方の場所を知らせてはならない。そうすれば大きな害悪が生じよう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
إِنَّهُمۡ إِن يَظۡهَرُواْ عَلَيۡكُمۡ يَرۡجُمُوكُمۡ أَوۡ يُعِيدُوكُمۡ فِي مِلَّتِهِمۡ وَلَن تُفۡلِحُوٓاْ إِذًا أَبَدٗا
もしあなた方の民があなた方の場所を知ったら、石を投げてあなた方を殺すか、またはかれらの逸脱した宗教へと引き戻してしまうだろう。あなた方は以前その宗教にあったが、アッラーがお恵みをかけて真理の宗教へと導いてくれたのだ。もしその宗教へと戻ってしまえば、あなた方は現世でも来世でも絶対に成功することはない。それどころか、アッラーによって導かれた真理の宗教を棄てて間違った宗教へと戻ることにより、現世と来世において大きな損失を被るだろう。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• من حكمة الله وقدرته أن قَلَّبهم على جنوبهم يمينًا وشمالًا بقدر ما لا تفسد الأرض أجسامهم، وهذا تعليم من الله لعباده.
●地面に体が侵食されない程度に、アッラーがかれらを左右に転がしたのは、かれの御力と英知によるものであり、アッラーからの僕たちに対する教訓である。

• جواز اتخاذ الكلاب للحاجة والصيد والحراسة.
●必要性・狩猟・番犬といった理由で犬を飼うことの合法性。

• انتفاع الإنسان بصحبة الأخيار ومخالطة الصالحين حتى لو كان أقل منهم منزلة، فقد حفظ ذكر الكلب لأنه صاحَبَ أهل الفضل.
●自分自身がその位階にまで達してはいなくても、善良な人々や正しい者たちと共にあることの有益さ。ここで犬が言及されているのは、優れた人々と同伴していたためである。

• دلت الآيات على مشروعية الوكالة، وعلى حسن السياسة والتلطف في التعامل مع الناس.
●一連のアーヤは委任の合法性、よい采配、人々とよい付き合いをすることを示している。

وَكَذَٰلِكَ أَعۡثَرۡنَا عَلَيۡهِمۡ لِيَعۡلَمُوٓاْ أَنَّ وَعۡدَ ٱللَّهِ حَقّٞ وَأَنَّ ٱلسَّاعَةَ لَا رَيۡبَ فِيهَآ إِذۡ يَتَنَٰزَعُونَ بَيۡنَهُمۡ أَمۡرَهُمۡۖ فَقَالُواْ ٱبۡنُواْ عَلَيۡهِم بُنۡيَٰنٗاۖ رَّبُّهُمۡ أَعۡلَمُ بِهِمۡۚ قَالَ ٱلَّذِينَ غَلَبُواْ عَلَىٰٓ أَمۡرِهِمۡ لَنَتَّخِذَنَّ عَلَيۡهِم مَّسۡجِدٗا
かれらを長年の眠りの後に目覚めさせるといった、われらの威力を示す驚異的なことを行ったのと同様、われらは町の人々にかれらを発見させた。それは信徒に対するアッラーの援助と復活の約束、審判の日の到来が真実であることを、町の人々が知るためだった。そして洞窟の人々が発見された後に死んでしまった時、かれらの発見者たちはかれらをどうするかで意見を異ならせた。ある者たちは言った。「洞窟の入り口のところに建物を建て、かれらを隔離し、守るのだ。主はかれらの状態をよくご存知であり、かれらの状態はかれのもとで特別な地位に値する。」他方、知識も正しい呼びかけもない権力者たちは、言った。「わたしたちはかれらの場所に、崇拝のためのマスジドを建てよう。それはかれらへの称賛と記念のためである。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سَيَقُولُونَ ثَلَٰثَةٞ رَّابِعُهُمۡ كَلۡبُهُمۡ وَيَقُولُونَ خَمۡسَةٞ سَادِسُهُمۡ كَلۡبُهُمۡ رَجۡمَۢا بِٱلۡغَيۡبِۖ وَيَقُولُونَ سَبۡعَةٞ وَثَامِنُهُمۡ كَلۡبُهُمۡۚ قُل رَّبِّيٓ أَعۡلَمُ بِعِدَّتِهِم مَّا يَعۡلَمُهُمۡ إِلَّا قَلِيلٞۗ فَلَا تُمَارِ فِيهِمۡ إِلَّا مِرَآءٗ ظَٰهِرٗا وَلَا تَسۡتَفۡتِ فِيهِم مِّنۡهُمۡ أَحَدٗا
かれらの数について首を突っ込む者たちは、言うだろう。「かれらは3人で、犬が4人目だった。」また別の者たちは言う。「かれらは5人で、犬が6人目だった。」いずれの者たちも、証拠もなく憶測によってそう言うのだ。そして別の者たちは言う。「かれらは7人で、犬が8人目だった。」使徒よ、言え。「主が、かれらの数をよくご存知。アッラーからそれについて知識を授かった僅かな者たちしか、かれらの数を知らない。だからかれらの数や状況について、啓典の民やその他の者たちと議論するのではない。」ただし、かれらのことに関してあなたに下された啓示内のことに留め、深く立ち入らずに表面上の議論をするのは別である。また、かれらの詳細について、かれらに尋ねてもならない。かれらは知らないのだから。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَلَا تَقُولَنَّ لِشَاْيۡءٍ إِنِّي فَاعِلٞ ذَٰلِكَ غَدًا
預言者よ、明日行おうとすることに関して、「わたしは明日これを行う」と言ってはならない。なぜなら、あなたは明日そうすることが出来るか出来ないか、分からないからだ。これは全てのムスリムに対する指示である。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
إِلَّآ أَن يَشَآءَ ٱللَّهُۚ وَٱذۡكُر رَّبَّكَ إِذَا نَسِيتَ وَقُلۡ عَسَىٰٓ أَن يَهۡدِيَنِ رَبِّي لِأَقۡرَبَ مِنۡ هَٰذَا رَشَدٗا
ただし、「わたしは明日これを行う、インシャーアッラー(アッラーがお望みなら)」と、アッラーのご意思を条件づけるなら別である。それを言うのを忘れてしまったら、「インシャーアッラー」という言葉で主を思い出し、言え。「主がこれよりも、わたしを導きに近づけてくれることを望む。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَلَبِثُواْ فِي كَهۡفِهِمۡ ثَلَٰثَ مِاْئَةٖ سِنِينَ وَٱزۡدَادُواْ تِسۡعٗا
洞窟の人々は洞窟の中で、309年過ごした。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قُلِ ٱللَّهُ أَعۡلَمُ بِمَا لَبِثُواْۖ لَهُۥ غَيۡبُ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۖ أَبۡصِرۡ بِهِۦ وَأَسۡمِعۡۚ مَا لَهُم مِّن دُونِهِۦ مِن وَلِيّٖ وَلَا يُشۡرِكُ فِي حُكۡمِهِۦٓ أَحَدٗا
使徒よ、言え。「かれらが洞窟で過ごしたことについては、アッラーがよくご存知。かれがわたしたちに、その期間を教えてくれた。かれの言葉の後に、誰も何も言うことは出来ない。かれのみにこそ、創造であれ知識であれ、天地の秘密は属する。かれは何とよくご覧になり、よくお聞きになることか。かれの他にはかれらの物事を司る保護者はなく、かれの裁定に参与する者もいない。かれは裁定における唯一者である。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَٱتۡلُ مَآ أُوحِيَ إِلَيۡكَ مِن كِتَابِ رَبِّكَۖ لَا مُبَدِّلَ لِكَلِمَٰتِهِۦ وَلَن تَجِدَ مِن دُونِهِۦ مُلۡتَحَدٗا
使徒よ、アッラーがあなたに啓示したクルアーンを読み、それに従って行え。かれの言葉は全て真実で、全て公正であり、変更はない。あなたにはかれの他に、いかなる避難所も保護者もない。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• اتخاذ المساجد على القبور، والصلاة فيها، والبناء عليها؛ غير جائز في شرعنا.
●墓の上にマスジドその他を建設したり、そこで礼拝したりすることは許されない。

• في القصة إقامة الحجة على قدرة الله على الحشر وبعث الأجساد من القبور والحساب.
●この逸話の中には、アッラーにとって墓場からの復活・召集・清算が可能であることの証明がある。

• دلَّت الآيات على أن المراء والجدال المحمود هو الجدال بالتي هي أحسن.
●一連のアーヤは、称賛される議論とは、よい形によって行われる議論であることが示されている。

• السُّنَّة والأدب الشرعيان يقتضيان تعليق الأمور المستقبلية بمشيئة الله تعالى.
●未来の出来事をアッラーの意思に委ねておくことが、スンナと礼儀作法に則ったことである。

وَٱصۡبِرۡ نَفۡسَكَ مَعَ ٱلَّذِينَ يَدۡعُونَ رَبَّهُم بِٱلۡغَدَوٰةِ وَٱلۡعَشِيِّ يُرِيدُونَ وَجۡهَهُۥۖ وَلَا تَعۡدُ عَيۡنَاكَ عَنۡهُمۡ تُرِيدُ زِينَةَ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَاۖ وَلَا تُطِعۡ مَنۡ أَغۡفَلۡنَا قَلۡبَهُۥ عَن ذِكۡرِنَا وَٱتَّبَعَ هَوَىٰهُ وَكَانَ أَمۡرُهُۥ فُرُطٗا
昼の始まりと終わりに、主に対して祈りと崇拝行為を真摯に捧げる者たちと、共にあれ。富や名声ある人々との同席を望み、あなたの目をかれらから離してはならない。また、われらから心を封印されて、われらを念じることをおろそかにし、貧者たちをあなたとの同席から遠ざけるよう命じ、主の服従より自分の欲望の追求を優先させた者に従ってはならない。かれの行いは無駄になるのだから。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَقُلِ ٱلۡحَقُّ مِن رَّبِّكُمۡۖ فَمَن شَآءَ فَلۡيُؤۡمِن وَمَن شَآءَ فَلۡيَكۡفُرۡۚ إِنَّآ أَعۡتَدۡنَا لِلظَّٰلِمِينَ نَارًا أَحَاطَ بِهِمۡ سُرَادِقُهَاۚ وَإِن يَسۡتَغِيثُواْ يُغَاثُواْ بِمَآءٖ كَٱلۡمُهۡلِ يَشۡوِي ٱلۡوُجُوهَۚ بِئۡسَ ٱلشَّرَابُ وَسَآءَتۡ مُرۡتَفَقًا
使徒よ、アッラーを念じることをおろそかにする、それらの者たちに言え。「わたしがもたらしたものは真実。それはわたしではなく、アッラーからのもの。わたしはあなた方の要望に応じて、信徒を追い出したりはしない。この真理を信じたい者には信じさせ、否定したい者には否定させよ。かれ(否定者)は、待ち受ける罰で苦しむことになろう。不信仰を選ぶことで自らに不正を働く者たちに対し、われらは地獄の罰を準備した。その火は壁となってかれらを取り囲む。ひどい渇きによって水を求めても、かれらが得るのは煮えたぎる汚れた油のような水だけ。かれらが与えられる飲み物の、忌々しいこと。それは渇きを癒すどころか増すばかりで、かれらの肌を焼く炎が消えることはない。地獄はかれらの住処と定着地として最悪である。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
إِنَّ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ إِنَّا لَا نُضِيعُ أَجۡرَ مَنۡ أَحۡسَنَ عَمَلًا
アッラーを信じ、善行を行った者たちには、偉大なご褒美がある。われらはよい行いをした者の行いを無駄にはしない。それどころか報いを減らすことなく、完全に与える。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
أُوْلَٰٓئِكَ لَهُمۡ جَنَّٰتُ عَدۡنٖ تَجۡرِي مِن تَحۡتِهِمُ ٱلۡأَنۡهَٰرُ يُحَلَّوۡنَ فِيهَا مِنۡ أَسَاوِرَ مِن ذَهَبٖ وَيَلۡبَسُونَ ثِيَابًا خُضۡرٗا مِّن سُندُسٖ وَإِسۡتَبۡرَقٖ مُّتَّكِـِٔينَ فِيهَا عَلَى ٱلۡأَرَآئِكِۚ نِعۡمَ ٱلثَّوَابُ وَحَسُنَتۡ مُرۡتَفَقٗا
信仰と善行に特徴づけられたそれらの者たちには、永遠の天国がある。かれらの住まいの下からは美味なる河川が流れる。かれらは黄金の腕輪で飾られ、きめ細かい絹やきめの粗い絹で作られた緑色の衣装を着て、美しい垂れ布で装飾された寝台に寄りかかる。かれらの衣服は美しく、天国はかれらの住まいと定着地として最良である。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
۞ وَٱضۡرِبۡ لَهُم مَّثَلٗا رَّجُلَيۡنِ جَعَلۡنَا لِأَحَدِهِمَا جَنَّتَيۡنِ مِنۡ أَعۡنَٰبٖ وَحَفَفۡنَٰهُمَا بِنَخۡلٖ وَجَعَلۡنَا بَيۡنَهُمَا زَرۡعٗا
使徒よ、2人の男の例を挙げよ。一方は不信仰者、もう一方は信仰者。われらは不信仰者の方に2つのブドウ農園を与え、その周りをナツメヤシの木で囲み、そこに隙間なく農作物を生育させた。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
كِلۡتَا ٱلۡجَنَّتَيۡنِ ءَاتَتۡ أُكُلَهَا وَلَمۡ تَظۡلِم مِّنۡهُ شَيۡـٔٗاۚ وَفَجَّرۡنَا خِلَٰلَهُمَا نَهَرٗا
いずれの農園も、ナツメヤシ、ブドウ、農作物を実らせた。何の不足もなく、完全なものをもたらした。またわれらはその間に河川を流し、容易に給水がなされるようにした。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَكَانَ لَهُۥ ثَمَرٞ فَقَالَ لِصَٰحِبِهِۦ وَهُوَ يُحَاوِرُهُۥٓ أَنَا۠ أَكۡثَرُ مِنكَ مَالٗا وَأَعَزُّ نَفَرٗا
2つの農園の主には他の財産と果実もあった。かれは、信仰者である連れ合いに対して、得意げに言った。「わたしはあなたより財産も力もあるし、親族も強い。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• فضيلة صحبة الأخيار، ومجاهدة النفس على صحبتهم ومخالطتهم وإن كانوا فقراء؛ فإن في صحبتهم من الفوائد ما لا يُحْصَى.
●たとえ貧しくても、善良な者たちと共にあること、そのための努力の徳。そこには数え切れないほどの利益がある。

• كثرة الذكر مع حضور القلب سبب للبركة في الأعمار والأوقات.
●心を込めてアッラーを頻繁に念じることは、年齢と時間に祝福をもたらす。

• قاعدتا الثواب وأساس النجاة: الإيمان مع العمل الصالح؛ لأن الله رتب عليهما الثواب في الدنيا والآخرة.
●ご褒美と救いの基本は、信仰と善行である。アッラーはその2つに対し、現世と来世でのご褒美を授ける。

وَدَخَلَ جَنَّتَهُۥ وَهُوَ ظَالِمٞ لِّنَفۡسِهِۦ قَالَ مَآ أَظُنُّ أَن تَبِيدَ هَٰذِهِۦٓ أَبَدٗا
不信仰者は信仰者と共に自分の農園に入り、それを見せた。かれは不信仰と自惚れにより、自分自身に不正を犯していた。不信仰者は言った。「あなたが見ているこの農園がなくなるとは思えない。わたしはそれが存続するための処置を施しているのだ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَمَآ أَظُنُّ ٱلسَّاعَةَ قَآئِمَةٗ وَلَئِن رُّدِدتُّ إِلَىٰ رَبِّي لَأَجِدَنَّ خَيۡرٗا مِّنۡهَا مُنقَلَبٗا
わたしは審判の日が起こるとも思わない。人生は続くのだ。もしそれが起こって復活し、主のところへ戻らされたとしても、わたしにはこの農園よりもよいものがあるだろう。現世でも豊かな者は復活後も豊かなのだ。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ لَهُۥ صَاحِبُهُۥ وَهُوَ يُحَاوِرُهُۥٓ أَكَفَرۡتَ بِٱلَّذِي خَلَقَكَ مِن تُرَابٖ ثُمَّ مِن نُّطۡفَةٖ ثُمَّ سَوَّىٰكَ رَجُلٗا
連れ合いの信仰者は、繰り返して言った。「あなたの父祖アーダムを土から創造し、そしてあなたを精液から創造して人間の男性とし、各部位を整えて完全な形としたお方を否定するのか?それがお出来のお方は、あなたを蘇らせることもお出来なのに。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
لَّٰكِنَّا۠ هُوَ ٱللَّهُ رَبِّي وَلَآ أُشۡرِكُ بِرَبِّيٓ أَحَدٗا
わたしはあなたの言うようなことは言わない。しかしこう言うのだ。『わたしたちに恩恵を授けてくれるアッラーこそ、わが主。わたしは崇拝において、かれに誰も並べない。』
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَلَوۡلَآ إِذۡ دَخَلۡتَ جَنَّتَكَ قُلۡتَ مَا شَآءَ ٱللَّهُ لَا قُوَّةَ إِلَّا بِٱللَّهِۚ إِن تَرَنِ أَنَا۠ أَقَلَّ مِنكَ مَالٗا وَوَلَدٗا
そして農園に入った時、あなたはこう言わないのか?『マーシャー・アッラー(これはアッラーが望んだこと)。アッラーの他にはいかなる力も属さない。』かれこそはお望みのことを行う、強いお方なのだ。たとえ、あなたがわたしをあなたより貧しく、子供も少ない者だと見なしたとしても。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَعَسَىٰ رَبِّيٓ أَن يُؤۡتِيَنِ خَيۡرٗا مِّن جَنَّتِكَ وَيُرۡسِلَ عَلَيۡهَا حُسۡبَانٗا مِّنَ ٱلسَّمَآءِ فَتُصۡبِحَ صَعِيدٗا زَلَقًا
わたしは、アッラーがあなたの農園よりもよいものをわたしに授け、あなたの農園には天からの罰を送ると思う。そしてそれは植物もなく、つるつるで足が滑るほどの地面となってしまうだろう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
أَوۡ يُصۡبِحَ مَآؤُهَا غَوۡرٗا فَلَن تَسۡتَطِيعَ لَهُۥ طَلَبٗا
あるいは、その水が地上にあふれ、あなたはそこへ行けなくなってしまうだろう。水があふれれば、農園も終わりなのだ。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَأُحِيطَ بِثَمَرِهِۦ فَأَصۡبَحَ يُقَلِّبُ كَفَّيۡهِ عَلَىٰ مَآ أَنفَقَ فِيهَا وَهِيَ خَاوِيَةٌ عَلَىٰ عُرُوشِهَا وَيَقُولُ يَٰلَيۡتَنِي لَمۡ أُشۡرِكۡ بِرَبِّيٓ أَحَدٗا
こうして信仰者が予想したことが実現し、不信仰者の農園の果実を破滅が包囲した。不信仰者は手のひらを上げて、農園の設営と整備に費やした財産をひどく悔やんだ。農園はぶどうの木の枝が伸びる棚もろとも、崩れ落ちた。かれは言った。「主だけを信じ、誰のことも並べずに崇拝していればよかった。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَلَمۡ تَكُن لَّهُۥ فِئَةٞ يَنصُرُونَهُۥ مِن دُونِ ٱللَّهِ وَمَا كَانَ مُنتَصِرًا
この不信仰者は自分の集団を自慢にしていたが、かれにはかれを襲った罰から守ってくれる集団もなかった。かれ自身、アッラーによる農園の破滅を阻むことは出来なかった。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
هُنَالِكَ ٱلۡوَلَٰيَةُ لِلَّهِ ٱلۡحَقِّۚ هُوَ خَيۡرٞ ثَوَابٗا وَخَيۡرٌ عُقۡبٗا
この状況において、助けはアッラーにのみ属する。かれは信徒に対してご褒美を何倍にもする、最善のご褒美を授けるお方であり、最善の結果を与えてくれるお方。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَٱضۡرِبۡ لَهُم مَّثَلَ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا كَمَآءٍ أَنزَلۡنَٰهُ مِنَ ٱلسَّمَآءِ فَٱخۡتَلَطَ بِهِۦ نَبَاتُ ٱلۡأَرۡضِ فَأَصۡبَحَ هَشِيمٗا تَذۡرُوهُ ٱلرِّيَٰحُۗ وَكَانَ ٱللَّهُ عَلَىٰ كُلِّ شَيۡءٖ مُّقۡتَدِرًا
使徒よ、現世に惑わされている者たちに、例を挙げよ。現世は消滅し、すぐに終わってしまうものであり、われらが天から降らせる雨のようなもの。雨によって地面に植物が生えて成長するが、それはやがて朽ち果て、風によって方々に散らかされてしまい、地面は元通りになる。アッラーは全てのことがお出来であり、不可能なことなどない。お望みの者を生かし、お望みの者を消滅させる。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• على المؤمن ألا يستكين أمام عزة الغني الكافر، وعليه نصحه وإرشاده إلى الإيمان بالله، والإقرار بوحدانيته، وشكر نعمه وأفضاله عليه.
●信仰者は富裕な不信仰者の権勢の前に、惨めであるべきではない。むしろ助言し、アッラーへの信仰、その唯一性の承認、その恩恵の感謝へと導かなければならない。

• ينبغي لكل من أعجبه شيء من ماله أو ولده أن يضيف النعمة إلى مُولِيها ومُسْدِيها بأن يقول: ﴿ما شاءَ اللهُ لا قُوَّةَ إلَّا بِاللهِ﴾.
●ムスリムは、財産や子供など何か気に入るものがあったら、「マーシャー・アッラー(これはアッラーが望んだこと)。アッラーの他にはいかなる力も属さない」と言って、その恩恵を恩恵の主に結びつけるべきである。

• إذا أراد الله بعبد خيرًا عجل له العقوبة في الدنيا.
●アッラーが僕によいものを望む時、現世での罰を早めることがある。

• جواز الدعاء بتلف مال من كان ماله سبب طغيانه وكفره وخسرانه.
●財産が反抗や不信仰の原因となっている時、その財産の消滅を祈ることは合法である。

ٱلۡمَالُ وَٱلۡبَنُونَ زِينَةُ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَاۖ وَٱلۡبَٰقِيَٰتُ ٱلصَّٰلِحَٰتُ خَيۡرٌ عِندَ رَبِّكَ ثَوَابٗا وَخَيۡرٌ أَمَلٗا
財産と子供は現世を美しく飾るものだが、来世で役立つ財産は、アッラーが望む形で費やされたもののみ。しかしアッラーに喜ばれる言動こそは、現世での全ての飾りに優るご褒美であり、人間が望む最良のものである。現世の飾りは消失するが、アッラーに喜ばれる言動は永遠のものだからだ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَيَوۡمَ نُسَيِّرُ ٱلۡجِبَالَ وَتَرَى ٱلۡأَرۡضَ بَارِزَةٗ وَحَشَرۡنَٰهُمۡ فَلَمۡ نُغَادِرۡ مِنۡهُمۡ أَحَدٗا
われらが山々をその場所から移動させ、山々・草木・建築物が消失したことで地面が露わになる日のことを思い出せ。われらは全ての被造物を召集し、誰も復活を免れる者はいない。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَعُرِضُواْ عَلَىٰ رَبِّكَ صَفّٗا لَّقَدۡ جِئۡتُمُونَا كَمَا خَلَقۡنَٰكُمۡ أَوَّلَ مَرَّةِۭۚ بَلۡ زَعَمۡتُمۡ أَلَّن نَّجۡعَلَ لَكُم مَّوۡعِدٗا
人々は主の前に列をなして並ばされ、清算を受ける。そして言われる。「あなた方はわれらが最初に創造した時のように、裸足で、裸で、割礼されていない状態で、一人ずつわれらのところにやって来た。あなた方は復活することなどなく、われらがあなた方の行いに報いる時間と場所を設けることなどもない、と考えていたのだ。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَوُضِعَ ٱلۡكِتَٰبُ فَتَرَى ٱلۡمُجۡرِمِينَ مُشۡفِقِينَ مِمَّا فِيهِ وَيَقُولُونَ يَٰوَيۡلَتَنَا مَالِ هَٰذَا ٱلۡكِتَٰبِ لَا يُغَادِرُ صَغِيرَةٗ وَلَا كَبِيرَةً إِلَّآ أَحۡصَىٰهَاۚ وَوَجَدُواْ مَا عَمِلُواْ حَاضِرٗاۗ وَلَا يَظۡلِمُ رَبُّكَ أَحَدٗا
そして行いの帳簿が置かれる。それを右手で受け取る者もいれば、左手で受け取る者もいる。人間よ、あなたは不信仰者たちが、そこに記されていることを恐れるのを見る。かれらは不信仰や罪などの行いをしたことを知っているからである。かれらは言う。「わたしたちの災難よ!大きな行いも小さな行いも、全て記録されているこの帳簿は、何ということだろう?」かれらは、現世で自分たちが行った罪がはっきりと記されているのを見る。使徒よ、主は誰にも不正を行わない。罪もないのに罰したり、服従行為を行った者のご褒美を減らしたりすることもないのだ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَإِذۡ قُلۡنَا لِلۡمَلَٰٓئِكَةِ ٱسۡجُدُواْ لِأٓدَمَ فَسَجَدُوٓاْ إِلَّآ إِبۡلِيسَ كَانَ مِنَ ٱلۡجِنِّ فَفَسَقَ عَنۡ أَمۡرِ رَبِّهِۦٓۗ أَفَتَتَّخِذُونَهُۥ وَذُرِّيَّتَهُۥٓ أَوۡلِيَآءَ مِن دُونِي وَهُمۡ لَكُمۡ عَدُوُّۢۚ بِئۡسَ لِلظَّٰلِمِينَ بَدَلٗا
使徒よ、思い出せ。われらが天使たちに「アーダムに挨拶のサジダ(平伏)せよ」と言った時のこと。かれらは主の命令に従い、全員サジダしたが、イブリースだけは別だった。かれは天使ではなくジンであり、高慢にもサジダを拒んで、主の服従から脱した。人々よ、それなのにあなた方はわれをよそに、敵であるかれとその子孫たちを保護者とするのか?敵を守護者とするとは、どういうことか?アッラーの代わりに、悪魔を守護者とする不正者たちの行いの、醜さよ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
۞ مَّآ أَشۡهَدتُّهُمۡ خَلۡقَ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِ وَلَا خَلۡقَ أَنفُسِهِمۡ وَمَا كُنتُ مُتَّخِذَ ٱلۡمُضِلِّينَ عَضُدٗا
われをよそにかれらが保護者とした者たちは、あなた方と同様の僕である。われはかれらを、天の創造にも地の創造にも立ち合わせはしなかった。いや、それらの創造の際、かれらはそもそも存在してはいなかったのだ。また、われはかれらの創造にも、お互いを立ち合わせなかった。われは創造と采配において唯一なのであり、人間とジンからなる、(人々を)迷わせる悪魔を助力者とはしなかった。われは助力者を必要としない。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَيَوۡمَ يَقُولُ نَادُواْ شُرَكَآءِيَ ٱلَّذِينَ زَعَمۡتُمۡ فَدَعَوۡهُمۡ فَلَمۡ يَسۡتَجِيبُواْ لَهُمۡ وَجَعَلۡنَا بَيۡنَهُم مَّوۡبِقٗا
使徒よ、審判の日のことをかれらに思い出させよ。その時アッラーは、現世で多神を行っていた者たちに言う。「あなた方を助けてくれるよう、あなた方がわれの共同者だと主張していた、わが共同者たちを呼んでみよ。」かれらは呼ぶが、それらが呼びかけに応じることも、助けてくれることもない。われらは崇拝者たちにも、崇拝されていた者たちにも、同様に破滅を与える。それが地獄である。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَرَءَا ٱلۡمُجۡرِمُونَ ٱلنَّارَ فَظَنُّوٓاْ أَنَّهُم مُّوَاقِعُوهَا وَلَمۡ يَجِدُواْ عَنۡهَا مَصۡرِفٗا
多神教徒たちは地獄を目にし、自分たちがそこに入り、そこからの逃げ場所がないことを確信する。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• على العبد الإكثار من الباقيات الصالحات، وهي كل عمل صالح من قول أو فعل يبقى للآخرة.
●僕は永遠に残る善行を多く行うべきである。それは来世まで残る、言動によるあらゆる善行のことである。

• على العبد تذكر أهوال القيامة، والعمل لهذا اليوم حتى ينجو من أهواله، وينعم بجنة الله ورضوانه.
●僕は審判の日の恐怖を思い出し、その日のために行わなければならない。それはその恐怖から逃れ、天国とアッラーのお喜びを勝ち取るためである。

• كَرَّم الله تعالى أبانا آدم عليه السلام والجنس البشري بأجمعه بأمره الملائكة أن تسجد له في بدء الخليقة سجود تحية وتكريم.
●アッラーは、創造の始めにおいて天使たちにアーダムに対する挨拶と栄誉のサジダを命じることで、アーダムと人類全般に栄誉を与えた。

• في الآيات الحث على اتخاذ الشيطان عدوًّا.
●悪魔を敵としなければならない。

وَلَقَدۡ صَرَّفۡنَا فِي هَٰذَا ٱلۡقُرۡءَانِ لِلنَّاسِ مِن كُلِّ مَثَلٖۚ وَكَانَ ٱلۡإِنسَٰنُ أَكۡثَرَ شَيۡءٖ جَدَلٗا
われらはムハンマドに下したこのクルアーンで、教訓を得られるよう数多くのたとえを明らかにした。だが、人間(特に不信者)は、不当な議論をけしかけようとするばかりである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَمَا مَنَعَ ٱلنَّاسَ أَن يُؤۡمِنُوٓاْ إِذۡ جَآءَهُمُ ٱلۡهُدَىٰ وَيَسۡتَغۡفِرُواْ رَبَّهُمۡ إِلَّآ أَن تَأۡتِيَهُمۡ سُنَّةُ ٱلۡأَوَّلِينَ أَوۡ يَأۡتِيَهُمُ ٱلۡعَذَابُ قُبُلٗا
反抗的な不信者とムハンマドがもたらしたものを信じるのを分け隔て、彼ら自身と自分たちの罪をアッラーに赦し乞いするのを分け隔てるのは、説明が足りなかったからだった。だがクルアーンではいくつものたとえが挙げられ、明らかな証がもたらされた。そのうえで彼らをかたくなに乞わせなかったのは、彼ら以前の民へ懲罰が下されたことや彼らが約束された懲罰への反抗だったのである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَمَا نُرۡسِلُ ٱلۡمُرۡسَلِينَ إِلَّا مُبَشِّرِينَ وَمُنذِرِينَۚ وَيُجَٰدِلُ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ بِٱلۡبَٰطِلِ لِيُدۡحِضُواْ بِهِ ٱلۡحَقَّۖ وَٱتَّخَذُوٓاْ ءَايَٰتِي وَمَآ أُنذِرُواْ هُزُوٗا
われらが使徒を遣わすのは、信仰と忠誠の民へ吉報をもたらす者として、不信仰と違反の民をおびやかす者としてのみである。彼らに人々を導きへと向かわせられるような心を左右する力があるわけではない。明らかな証拠を前にアッラーとその使徒たちを拒む者は反抗し、ムハンマドに下された真理を虚偽で覆そうとし、クルアーンや恐ろしい警告を馬鹿にして嘲るのである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَمَنۡ أَظۡلَمُ مِمَّن ذُكِّرَ بِـَٔايَٰتِ رَبِّهِۦ فَأَعۡرَضَ عَنۡهَا وَنَسِيَ مَا قَدَّمَتۡ يَدَاهُۚ إِنَّا جَعَلۡنَا عَلَىٰ قُلُوبِهِمۡ أَكِنَّةً أَن يَفۡقَهُوهُ وَفِيٓ ءَاذَانِهِمۡ وَقۡرٗاۖ وَإِن تَدۡعُهُمۡ إِلَى ٱلۡهُدَىٰ فَلَن يَهۡتَدُوٓاْ إِذًا أَبَدٗا
主の様々な印を思い起こさせられながらも、懲罰の警告を意に止めて振り返ることなく背を向け、不信仰や違反行為を重ねながらも悔い改めることなく自分の行いを忘れてしまう者以上に、ひどい不義をなす者はいない。こうした者たちの心には、われらはクルアーンの理解を妨げる覆いをかけ、耳を塞いでしまうだろう。そうなれば、もはや彼らは受け入れの聴き方で聴くことはできず、心が覆われ、耳が塞がれてしまっているかぎり、あなたが彼らを信仰へといざないかけても、それに応えることは決してないだろう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَرَبُّكَ ٱلۡغَفُورُ ذُو ٱلرَّحۡمَةِۖ لَوۡ يُؤَاخِذُهُم بِمَا كَسَبُواْ لَعَجَّلَ لَهُمُ ٱلۡعَذَابَۚ بَل لَّهُم مَّوۡعِدٞ لَّن يَجِدُواْ مِن دُونِهِۦ مَوۡئِلٗا
預言者が彼を嘘つき呼ばわりする者たちに懲罰が降りかかるのを急かさないように、アッラーは彼に言われた。「使徒よ、あなたの主は悔い改めた僕たちの罪をよく赦してくださる御方であり、すべてに広がるお慈悲の持ち主である。そのお慈悲から、違反者がひょっとすると悔い改めるかもしれないと猶予を与えられる。もし万が一、至高なるかれがそうした反抗者を罰せられるなら、この世での彼らへの懲罰を急かしただろう。だがかれは寛容で慈悲深い御方であり、彼らが悔い改められるよう懲罰を遅らせる。むしろ彼らには、悔い改めないならそれはそれで不信仰と拒絶が許される時と場所が与えられるが、かれの他には逃げどころはどこにもないのである。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَتِلۡكَ ٱلۡقُرَىٰٓ أَهۡلَكۡنَٰهُمۡ لَمَّا ظَلَمُواْ وَجَعَلۡنَا لِمَهۡلِكِهِم مَّوۡعِدٗا
あなたたちから近いところにあるその村は、フードやサーリフ、シュアイブの村のようであり、われらは彼らが不信仰と違反で己をあざむいた時に彼らを滅ぼし、その殲滅には特定の時間を設けたのである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَإِذۡ قَالَ مُوسَىٰ لِفَتَىٰهُ لَآ أَبۡرَحُ حَتَّىٰٓ أَبۡلُغَ مَجۡمَعَ ٱلۡبَحۡرَيۡنِ أَوۡ أَمۡضِيَ حُقُبٗا
使徒よ、ムーサーが召使のユーシャウ・ビン・ヌーンに言った時のことを思い起こせ。「二つの海が交わるところまで、あるいは教えを乞う敬虔な信者と会えるまで長い間歩き続けよう。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَلَمَّا بَلَغَا مَجۡمَعَ بَيۡنِهِمَا نَسِيَا حُوتَهُمَا فَٱتَّخَذَ سَبِيلَهُۥ فِي ٱلۡبَحۡرِ سَرَبٗا
そうして二人は歩き続け、二つの海が交わるところまで来ると、糧としていた魚のことを忘れてしまった。だがアッラーはその魚を蘇らせられ、それは水の届かない海底トンネルを行ったのである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• عظمة القرآن وجلالته وعمومه؛ لأن فيه كل طريق موصل إلى العلوم النافعة، والسعادة الأبدية، وكل طريق يعصم من الشر.
●クルアーンは偉大かつ荘厳で包括的である。そこには、役立つ知識や永遠の幸せ、悪いことから守ってくれるすべての道へと通じる道しるべがある。

• من حكمة الله ورحمته أن تقييضه المبطلين المجادلين الحق بالباطل من أعظم الأسباب إلى وضوح الحق، وتبيُّن الباطل وفساده.
●真理を否定して議論する者の存在を真理の明瞭さと虚偽・退廃の明確さを示す最大のきっかけとされたのは、アッラーの英知と慈悲である。

• في الآيات من التخويف لمن ترك الحق بعد علمه أن يحال بينه وبين الحق، ولا يتمكن منه بعد ذلك، ما هو أعظم مُرَهِّب وزاجر عن ذلك.
本諸節には、真理を知った後でそれを離れる者がその後真理と引き離されてしまい、二度と導かれなくなってしまうという脅しの意味が込められており、その戒めとしての意義は大きい。

• فضيلة العلم والرحلة في طلبه، واغتنام لقاء الفضلاء والعلماء وإن بعدت أقطارهم.
●知識の徳とそれを求めて旅することの徳。たとえ遠方にまで出向くことになったとしても、徳高い人や知者と会うのを生かそうとすることの徳。

• الحوت يطلق على السمكة الصغيرة والكبيرة ولم يرد في القرآن لفظ السمك، وإنما ورد الحوت والنون واللحم الطري.
●フートとは大小の魚を意味する。クルアーンの中に「魚」という言葉は出てこないが、登場するのは「フート」や「ヌーン」「ラハム・タリー(新鮮な肉)」という語である。

فَلَمَّا جَاوَزَا قَالَ لِفَتَىٰهُ ءَاتِنَا غَدَآءَنَا لَقَدۡ لَقِينَا مِن سَفَرِنَا هَٰذَا نَصَبٗا
その場所を越えると、ムーサーは召使に言った。「昼食にしてくれ。長旅で疲れ果ててしまった。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ أَرَءَيۡتَ إِذۡ أَوَيۡنَآ إِلَى ٱلصَّخۡرَةِ فَإِنِّي نَسِيتُ ٱلۡحُوتَ وَمَآ أَنسَىٰنِيهُ إِلَّا ٱلشَّيۡطَٰنُ أَنۡ أَذۡكُرَهُۥۚ وَٱتَّخَذَ سَبِيلَهُۥ فِي ٱلۡبَحۡرِ عَجَبٗا
少年は言った。「私たちが岩に救いを求めたときに何が起きたと思いますか?魚のことをお伝えするのを忘れてしまいましたが、悪魔がそれを忘れさせたのです。魚は生きていて、海への道を驚かれながら行ったのでした。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ ذَٰلِكَ مَا كُنَّا نَبۡغِۚ فَٱرۡتَدَّا عَلَىٰٓ ءَاثَارِهِمَا قَصَصٗا
ムーサーは召使に言った。「それこそ私たちが願ったこと。それこそ敬虔な僕の地位の印だ。」そうして二人は、迷子にならないように自分たちの足跡を辿りながら岩のところまで戻り、そこから魚の入り口にたどり着いた。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَوَجَدَا عَبۡدٗا مِّنۡ عِبَادِنَآ ءَاتَيۡنَٰهُ رَحۡمَةٗ مِّنۡ عِندِنَا وَعَلَّمۡنَٰهُ مِن لَّدُنَّا عِلۡمٗا
二人が魚を見失ったところまで来ると、われらの僕たちの中のある僕に出くわした。(それがハディルである)われらは彼に慈悲を与え、われらのもとより、この物語が示唆するような人間が知ることのない知識を授けた。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ لَهُۥ مُوسَىٰ هَلۡ أَتَّبِعُكَ عَلَىٰٓ أَن تُعَلِّمَنِ مِمَّا عُلِّمۡتَ رُشۡدٗا
ムーサーは彼に愛想よく謙虚に言った。「お供しますので、真理への正しいお導きである、アッラーがあなたにお授けになった知識を教えていただけますでしょうか。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ إِنَّكَ لَن تَسۡتَطِيعَ مَعِيَ صَبۡرٗا
ハディルは言った。「あなたは私の知識に基づいて行うことに耐えられないでしょう。あなたが知ることには合わないからです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَكَيۡفَ تَصۡبِرُ عَلَىٰ مَا لَمۡ تُحِطۡ بِهِۦ خُبۡرٗا
「あなたは自分の知る範囲で判断するのですから、何が正しいかがわからない行いを見て、どうやって耐えられましょうか。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ سَتَجِدُنِيٓ إِن شَآءَ ٱللَّهُ صَابِرٗا وَلَآ أَعۡصِي لَكَ أَمۡرٗا
ムーサーは言った。「アッラーがお望みなら、きっとあなたは私があなたのする行いを見てもあなたに忠実に従い続け、あなたの命じることに背くことなく辛抱強いことがわかるでしょう。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ فَإِنِ ٱتَّبَعۡتَنِي فَلَا تَسۡـَٔلۡنِي عَن شَيۡءٍ حَتَّىٰٓ أُحۡدِثَ لَكَ مِنۡهُ ذِكۡرٗا
ハディルがムーサーに言った。「もしあなたが私に付いて来るなら、私が事の解説を始めるまでは、私のすることについて尋ねないこと。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَٱنطَلَقَا حَتَّىٰٓ إِذَا رَكِبَا فِي ٱلسَّفِينَةِ خَرَقَهَاۖ قَالَ أَخَرَقۡتَهَا لِتُغۡرِقَ أَهۡلَهَا لَقَدۡ جِئۡتَ شَيۡـًٔا إِمۡرٗا
そうして二人は同意して海辺に行くと、舟を見つけた。ハディルを歓迎して船賃なしに乗せてもらうと、ハディルが舟の板を取り剥がして舟を沈めてしまった。ムーサーは言った。「船賃なしに乗せてくれた人たちの舟を沈めようとするなんて、なんということをするのですか!?」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ أَلَمۡ أَقُلۡ إِنَّكَ لَن تَسۡتَطِيعَ مَعِيَ صَبۡرٗا
ハディルがムーサーに言った。「あなたは私がすることに耐えられないと言いませんでしたか?」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ لَا تُؤَاخِذۡنِي بِمَا نَسِيتُ وَلَا تُرۡهِقۡنِي مِنۡ أَمۡرِي عُسۡرٗا
ムーサーはハディルに言った。「うっかり約束を破ってしまったのをお許しください。お手柔らかにお願いいたします。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَٱنطَلَقَا حَتَّىٰٓ إِذَا لَقِيَا غُلَٰمٗا فَقَتَلَهُۥ قَالَ أَقَتَلۡتَ نَفۡسٗا زَكِيَّةَۢ بِغَيۡرِ نَفۡسٖ لَّقَدۡ جِئۡتَ شَيۡـٔٗا نُّكۡرٗا
そうして二人が舟から降りると、海辺を歩いているうちにまだ成人を迎えていない少年が別の子どもと遊んでいた。ハディルがその少年を殺してしまったので、ムーサーは言った。「未成年の子供という清らかな命を何の罪もなしに殺めるだなんて、なんと酷いことをするのですか!?」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• استحباب كون خادم الإنسان ذكيًّا فطنًا كَيِّسًا ليتم له أمره الذي يريده.
●目的遂行のためにも、使用人は賢く利発で臨機応変に対応できる人が好ましい。

• أن المعونة تنزل على العبد على حسب قيامه بالمأمور به، وأن الموافق لأمر الله يُعان ما لا يُعان غيره.
●支援は命じられたことを実践するその度合いに応じて与えられ、唯一の神のご命令に従う人が得られるお助けは、そうでない人とは異なる。

• التأدب مع المعلم، وخطاب المتعلم إياه ألطف خطاب.
●教えを乞う人の教師への礼節。教えを乞う人は、その話し方においても教師に対してより丁寧であるべきである。

• النسيان لا يقتضي المؤاخذة، ولا يدخل تحت التكليف، ولا يتعلق به حكم.
●失念は咎めの対象にはならず、責任を追及されることにもならず、規定にも当てはまらない。

• تعلم العالم الفاضل للعلم الذي لم يَتَمَهَّر فيه ممن مهر فيه، وإن كان دونه في العلم بدرجات كثيرة.
●知識人が自分の得意としない分野について、たとえ全体的には自分より優れた実力を有さない人であれ、その道の専門家に学ぶことの意義。

• إضافة العلم وغيره من الفضائل لله تعالى، والإقرار بذلك، وشكر الله عليها.
●知識やその他の恵みを至高のアッラーからの恩恵として認識し、感謝すること。

۞ قَالَ أَلَمۡ أَقُل لَّكَ إِنَّكَ لَن تَسۡتَطِيعَ مَعِيَ صَبۡرٗا
ハディルがムーサーに言った。「私はあなたに言ったでしょう。ムーサーよ、あなたは私がすることに耐えられないと。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ إِن سَأَلۡتُكَ عَن شَيۡءِۭ بَعۡدَهَا فَلَا تُصَٰحِبۡنِيۖ قَدۡ بَلَغۡتَ مِن لَّدُنِّي عُذۡرٗا
ムーサー(平安あれ)は言った。「もし私がこの後また何かを尋ねたときは、私のもとを立ち去ってください。私はすでに二回あなたに背いてしまいましたので、それ以上言い逃れはできませんから。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَٱنطَلَقَا حَتَّىٰٓ إِذَآ أَتَيَآ أَهۡلَ قَرۡيَةٍ ٱسۡتَطۡعَمَآ أَهۡلَهَا فَأَبَوۡاْ أَن يُضَيِّفُوهُمَا فَوَجَدَا فِيهَا جِدَارٗا يُرِيدُ أَن يَنقَضَّ فَأَقَامَهُۥۖ قَالَ لَوۡ شِئۡتَ لَتَّخَذۡتَ عَلَيۡهِ أَجۡرٗا
そうして二人は村人のもとへ歩いて行き、食べ物をお願いしたが、村人は食べ物を与えるのを拒み、二人をもてなすのを拒んだ。二人が村に今にも崩れ落ちそうな壁があるのを見つけると、ハディルはそれをまっすぐに直した。ムーサー(平安あれ)はそこでハディルに言った。「お望みとあらば、修理代を請求しましょうか。もてなしを拒まれては必要になりますから。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ هَٰذَا فِرَاقُ بَيۡنِي وَبَيۡنِكَۚ سَأُنَبِّئُكَ بِتَأۡوِيلِ مَا لَمۡ تَسۡتَطِع عَّلَيۡهِ صَبۡرًا
ハディルはムーサーに言った。「私が修理代を取らないのに異を唱えましたね。これでもうお別れです。あなたがこれまでに見てきた、堪えきれなかった私の行いについてお伝えしましょう。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
أَمَّا ٱلسَّفِينَةُ فَكَانَتۡ لِمَسَٰكِينَ يَعۡمَلُونَ فِي ٱلۡبَحۡرِ فَأَرَدتُّ أَنۡ أَعِيبَهَا وَكَانَ وَرَآءَهُم مَّلِكٞ يَأۡخُذُ كُلَّ سَفِينَةٍ غَصۡبٗا
「私が沈めたのをあなたが咎めた船についてですが、あれは海で働きながらも船賃を払えないような困窮者のためにあったのです。ところがすぐ近くで壊れた船以外は船という船を強奪する王がいたので、船を奪われないように故障させたのです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَأَمَّا ٱلۡغُلَٰمُ فَكَانَ أَبَوَاهُ مُؤۡمِنَيۡنِ فَخَشِينَآ أَن يُرۡهِقَهُمَا طُغۡيَٰنٗا وَكُفۡرٗا
一方、私が殺したのをあなたが咎めた少年についてですが、彼の両親は信仰者でした。ところがあの少年はアッラーの(時を超えた)知では不信仰者だったのです。だから彼の両親が彼への溺愛や必要から、彼が成人して不信仰に感化されてしまうのではないかと危惧したのです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَأَرَدۡنَآ أَن يُبۡدِلَهُمَا رَبُّهُمَا خَيۡرٗا مِّنۡهُ زَكَوٰةٗ وَأَقۡرَبَ رُحۡمٗا
むしろアッラーが彼の代わりにより敬虔で親孝行かつ清純、より両親にとって思いやり深い子を与えてくださるのを望んだわけです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَأَمَّا ٱلۡجِدَارُ فَكَانَ لِغُلَٰمَيۡنِ يَتِيمَيۡنِ فِي ٱلۡمَدِينَةِ وَكَانَ تَحۡتَهُۥ كَنزٞ لَّهُمَا وَكَانَ أَبُوهُمَا صَٰلِحٗا فَأَرَادَ رَبُّكَ أَن يَبۡلُغَآ أَشُدَّهُمَا وَيَسۡتَخۡرِجَا كَنزَهُمَا رَحۡمَةٗ مِّن رَّبِّكَۚ وَمَا فَعَلۡتُهُۥ عَنۡ أَمۡرِيۚ ذَٰلِكَ تَأۡوِيلُ مَا لَمۡ تَسۡطِع عَّلَيۡهِ صَبۡرٗا
一方、私が修理したのをあなたが咎めた壁についてですが、あれは私たちが通りがかった町にいた、両親を亡くした二人の子供のためにあったのです。あの壁の中には二人にとっての財産が埋め込まれており、二人の両親は敬虔な人たちだったので、あなたの主は、ムーサーよ、二人が成人してからそこに埋めてある財産を取り出して役立てるのを望まれたのです。もし壁が崩れ落ちていたら、二人の財産は失われていたかもしれません。ですからこの対応はその二人にとってのあなたの主のお慈悲だったわけです。私が行ったことは私が考え抜いたことでした。これがあなたの堪えきれなかったことの解説です。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَيَسۡـَٔلُونَكَ عَن ذِي ٱلۡقَرۡنَيۡنِۖ قُلۡ سَأَتۡلُواْ عَلَيۡكُم مِّنۡهُ ذِكۡرًا
使徒よ、多神教徒とユダヤ教徒は二つの角を持つ者の知らせを試そうと尋ねるだろう。言いなさい。「教訓と訓戒を得られるよう、その知らせの一部をお聞かせしましょう。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• وجوب التأني والتثبت وعدم المبادرة إلى الحكم على الشيء.
●何かの判断するときは、落ち着いて焦らないこと。

• أن الأمور تجري أحكامها على ظاهرها، وتُعَلق بها الأحكام الدنيوية في الأموال والدماء وغيرها.
●事はその見かけで判断され、財産や生命等のこの世の規定はそれ(見かけ)次第とされる。

• يُدْفَع الشر الكبير بارتكاب الشر الصغير، ويُرَاعَى أكبر المصلحتين بتفويت أدناهما.
●より大きな悪事はより小さな悪事で防がれ、より大きな利益はより小さな利益の損失で補填される。

• ينبغي للصاحب ألا يفارق صاحبه ويترك صحبته حتى يُعْتِبَه ويُعْذِر منه.
●友は簡単に友を見放すのではなく、苦言を呈し、何度か大目に見てやるべきである。

• استعمال الأدب مع الله تعالى في الألفاظ بنسبة الخير إليه وعدم نسبة الشر إليه .
●至高のアッラーへの礼節から、善良なことはかれに帰すものとして言及し、悪はかれに帰すものとしては言及しない。

• أن العبد الصالح يحفظه الله في نفسه وفي ذريته.
●敬虔な僕は、アッラーが本人と子孫を守ってくださる。

إِنَّا مَكَّنَّا لَهُۥ فِي ٱلۡأَرۡضِ وَءَاتَيۡنَٰهُ مِن كُلِّ شَيۡءٖ سَبَبٗا
われらは地上で彼に自由を利かせ、望むものは何でも手に入れられるような手段を与えた。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَأَتۡبَعَ سَبَبًا
そうして彼はわれらが与えた、自分の望むものへと至る手段を得て西へ向かった。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
حَتَّىٰٓ إِذَا بَلَغَ مَغۡرِبَ ٱلشَّمۡسِ وَجَدَهَا تَغۡرُبُ فِي عَيۡنٍ حَمِئَةٖ وَوَجَدَ عِندَهَا قَوۡمٗاۖ قُلۡنَا يَٰذَا ٱلۡقَرۡنَيۡنِ إِمَّآ أَن تُعَذِّبَ وَإِمَّآ أَن تَتَّخِذَ فِيهِمۡ حُسۡنٗا
視線の届く限り日が沈む最果ての地までたどり着くと、黒い土を湛えた温泉に太陽が沈んでいくかのような光景を見て、日が沈むところに不信仰の民を見つけた。われらは彼に選択できるよう言った。「二つの角を持つ者よ、彼らを殺すかどうかして痛めつけるか、よい接し方をするかせよ。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ أَمَّا مَن ظَلَمَ فَسَوۡفَ نُعَذِّبُهُۥ ثُمَّ يُرَدُّ إِلَىٰ رَبِّهِۦ فَيُعَذِّبُهُۥ عَذَابٗا نُّكۡرٗا
二つの角を持つ者は言った。「アッラーとは別の者を並べ立て、私たちがアッラーを崇めるよういざなった後でなおそれにこだわる者は、この世では死刑とし、それから最後の日には主の御許に帰せられておぞましい懲罰を受けるのだ。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَأَمَّا مَنۡ ءَامَنَ وَعَمِلَ صَٰلِحٗا فَلَهُۥ جَزَآءً ٱلۡحُسۡنَىٰۖ وَسَنَقُولُ لَهُۥ مِنۡ أَمۡرِنَا يُسۡرٗا
一方、彼らのうちアッラーを信じてよい行いをする者には天国がある。その信仰と善行への主からの報奨であり、私たちからは温和で柔和な声掛けがあるだろう。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
ثُمَّ أَتۡبَعَ سَبَبًا
それから最初の道とは別の道を日の出の方角へと行き、
تەفسیرە عەرەبیەکان:
حَتَّىٰٓ إِذَا بَلَغَ مَطۡلِعَ ٱلشَّمۡسِ وَجَدَهَا تَطۡلُعُ عَلَىٰ قَوۡمٖ لَّمۡ نَجۡعَل لَّهُم مِّن دُونِهَا سِتۡرٗا
視線の届く限り太陽が昇るところまでたどり着くと、家を木陰で日差しから守ろうとしない民のもとに日が差しているのを見た。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
كَذَٰلِكَۖ وَقَدۡ أَحَطۡنَا بِمَا لَدَيۡهِ خُبۡرٗا
二つの角の持つ者についても同様である。彼の持つ力や権力をわれらの知は掌握している。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
ثُمَّ أَتۡبَعَ سَبَبًا
それから最初の二つの道とは別の、東と西の間に背を向けながら道を行き、
تەفسیرە عەرەبیەکان:
حَتَّىٰٓ إِذَا بَلَغَ بَيۡنَ ٱلسَّدَّيۡنِ وَجَدَ مِن دُونِهِمَا قَوۡمٗا لَّا يَكَادُونَ يَفۡقَهُونَ قَوۡلٗا
二つの山の間にある洞窟にたどり着くと、自分たち以外の者の言葉を理解しない民に遭遇した。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالُواْ يَٰذَا ٱلۡقَرۡنَيۡنِ إِنَّ يَأۡجُوجَ وَمَأۡجُوجَ مُفۡسِدُونَ فِي ٱلۡأَرۡضِ فَهَلۡ نَجۡعَلُ لَكَ خَرۡجًا عَلَىٰٓ أَن تَجۡعَلَ بَيۡنَنَا وَبَيۡنَهُمۡ سَدّٗا
彼らは言った。「二つの角を持つ者よ、ヤァジュージュとマァジュージュ(ゴグとマゴグというアーダムの子孫のうち二つの大きな共同体のこと)は地上を殺戮で荒らし回っています。あなたに代価を払ったら、私たちと彼らの間に壁を作ってくれますか?」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قَالَ مَا مَكَّنِّي فِيهِ رَبِّي خَيۡرٞ فَأَعِينُونِي بِقُوَّةٍ أَجۡعَلۡ بَيۡنَكُمۡ وَبَيۡنَهُمۡ رَدۡمًا
二つの角を持つ者は言った。「私の主が私に与えてくれた王権と権能は、あなたたちがくれる代価よりもよいものです。人夫と道具で助けてくれれば、あなたたちの間に壁を作ってみせよう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
ءَاتُونِي زُبَرَ ٱلۡحَدِيدِۖ حَتَّىٰٓ إِذَا سَاوَىٰ بَيۡنَ ٱلصَّدَفَيۡنِ قَالَ ٱنفُخُواْۖ حَتَّىٰٓ إِذَا جَعَلَهُۥ نَارٗا قَالَ ءَاتُونِيٓ أُفۡرِغۡ عَلَيۡهِ قِطۡرٗا
鉄の塊を持ってきてくれ。」そこで彼らはそれを持ってきて、二つの山の間で建設を始めた。そうして山と山の間が平らになるまで建てられると、人夫たちに言った。「この塊に火をつけてくれ。」そしてその鉄の塊が赤くなると、「銅を注ぎ込むから持ってきてくれ。」と言った。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
فَمَا ٱسۡطَٰعُوٓاْ أَن يَظۡهَرُوهُ وَمَا ٱسۡتَطَٰعُواْ لَهُۥ نَقۡبٗا
こうしてヤァジュージュとマァジュージュは上からはその壁が高くて攻め込めず、下からも頑丈なつくりで穴を開けて攻め入ることができなかった。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• أن ذا القرنين أحد الملوك المؤمنين الذين ملكوا الدنيا وسيطروا على أهلها، فقد آتاه الله ملكًا واسعًا، ومنحه حكمة وهيبة وعلمًا نافعًا.
●ズルカルナイン(二つの角を持つ者)は、この世を支配し、人々に君臨した信仰者の王の一人であった。アッラーは彼に広大な王権を与え、英知と威厳、そして役立つ知識を授けられた。

• من واجب الملك أو الحاكم أن يقوم بحماية الخلق في حفظ ديارهم، وإصلاح ثغورهم من أموالهم.
●王たる者あるいは統治者たる者の責務として、民の住処を守り、財を補填することがある。

• أهل الصلاح والإخلاص يحرصون على إنجاز الأعمال ابتغاء وجه الله.
●敬虔さと誠実さの民は、アッラーの尊顔を求めて(アッラーのために)仕事の達成にこだわろうとする。

قَالَ هَٰذَا رَحۡمَةٞ مِّن رَّبِّيۖ فَإِذَا جَآءَ وَعۡدُ رَبِّي جَعَلَهُۥ دَكَّآءَۖ وَكَانَ وَعۡدُ رَبِّي حَقّٗا
ズルカルナインは言った。「この障壁は私の主のお慈悲であり、ヤァジュージュとマァジュージュの間と地上の荒廃を分かち遮るものです。アッラーが定められた清算の日に彼らが現れる時が来れば、それ(障壁)は平らなものとなるでしょう。障壁が平らなものとなって、ヤァジュージュとマァジュージュが出現するのは、違いのない確かなことなのです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
۞ وَتَرَكۡنَا بَعۡضَهُمۡ يَوۡمَئِذٖ يَمُوجُ فِي بَعۡضٖۖ وَنُفِخَ فِي ٱلصُّورِ فَجَمَعۡنَٰهُمۡ جَمۡعٗا
われらは最後の時に被造物のうちある者たちをどよめつかせ、互いに入り混じらせる。そして角笛が吹き鳴らされると、われらは被造物すべてを清算と報奨のために一つ所に集めるのである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
وَعَرَضۡنَا جَهَنَّمَ يَوۡمَئِذٖ لِّلۡكَٰفِرِينَ عَرۡضًا
そして不信仰者たちにわれらはジャハンナム(火獄)を明らかに見せた。疑いの余地がないように、まざまざと見せつけるのである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
ٱلَّذِينَ كَانَتۡ أَعۡيُنُهُمۡ فِي غِطَآءٍ عَن ذِكۡرِي وَكَانُواْ لَا يَسۡتَطِيعُونَ سَمۡعًا
われらがそれ(火獄)を見せつけるのは、生前アッラーを思い起こすことに盲目であった不信仰者たちであり、覆いで目を閉ざされ、受け入れの聴き方でアッラーの印(クルアーンの章句)を聴けなかった者たちである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
أَفَحَسِبَ ٱلَّذِينَ كَفَرُوٓاْ أَن يَتَّخِذُواْ عِبَادِي مِن دُونِيٓ أَوۡلِيَآءَۚ إِنَّآ أَعۡتَدۡنَا جَهَنَّمَ لِلۡكَٰفِرِينَ نُزُلٗا
アッラーを信じない者たちは、わが僕たちである天使や使徒、悪魔をわれ以外に崇めようとするのか。われらは不信仰者たちに火獄を住処として用意した。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قُلۡ هَلۡ نُنَبِّئُكُم بِٱلۡأَخۡسَرِينَ أَعۡمَٰلًا
言いなさい、使徒よ。「人々よ、自分の行いを誰よりも台無しにしてしまう人についてお伝えしましょうか。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
ٱلَّذِينَ ضَلَّ سَعۡيُهُمۡ فِي ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا وَهُمۡ يَحۡسَبُونَ أَنَّهُمۡ يُحۡسِنُونَ صُنۡعًا
清算の日に生前追い求めていたものが失われたのを見る人たちのことです。生前彼らは自分たちが追い求めているものは素晴らしく、最善の努力を尽くしていると思い込んでいて、その行いがきっとためになると思い込んでいましたが、現実はそうではなかったのです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
أُوْلَٰٓئِكَ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ بِـَٔايَٰتِ رَبِّهِمۡ وَلِقَآئِهِۦ فَحَبِطَتۡ أَعۡمَٰلُهُمۡ فَلَا نُقِيمُ لَهُمۡ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ وَزۡنٗا
そうした人たちこそ、主が唯一なる御方であることを示す様々な印を否定して、かれといつかお会いすることになるのを否定した人たちです。そうしてその不信仰のせいで行いは無効なものとなり、清算の日に至ってはアッラーの御許で彼らの価値は皆無となってしまうのです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
ذَٰلِكَ جَزَآؤُهُمۡ جَهَنَّمُ بِمَا كَفَرُواْ وَٱتَّخَذُوٓاْ ءَايَٰتِي وَرُسُلِي هُزُوًا
彼らのために用意された報いは火獄である。それは彼らがアッラーを信じないからであり、わが啓示や使徒の数々を嘲ったからである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
إِنَّ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ كَانَتۡ لَهُمۡ جَنَّٰتُ ٱلۡفِرۡدَوۡسِ نُزُلًا
本当にアッラーを信じてよい行いをする者たちには、歓待を受けられる楽園の最上階があるだろう。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
خَٰلِدِينَ فِيهَا لَا يَبۡغُونَ عَنۡهَا حِوَلٗا
彼らはそこに永遠に留まる。別のところへの移動を求めることはない。それ以上の報奨はないからである。
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قُل لَّوۡ كَانَ ٱلۡبَحۡرُ مِدَادٗا لِّكَلِمَٰتِ رَبِّي لَنَفِدَ ٱلۡبَحۡرُ قَبۡلَ أَن تَنفَدَ كَلِمَٰتُ رَبِّي وَلَوۡ جِئۡنَا بِمِثۡلِهِۦ مَدَدٗا
言いなさい、使徒よ。「本当に私の主の御言葉は数多くあり、たとえもし海がそれを書き記す墨だったとしても、完全無欠なかれの御言葉が尽きる前に海水はなくなってしまうでしょう。たとえ別の海を持ってきても同じことです。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
قُلۡ إِنَّمَآ أَنَا۠ بَشَرٞ مِّثۡلُكُمۡ يُوحَىٰٓ إِلَيَّ أَنَّمَآ إِلَٰهُكُمۡ إِلَٰهٞ وَٰحِدٞۖ فَمَن كَانَ يَرۡجُواْ لِقَآءَ رَبِّهِۦ فَلۡيَعۡمَلۡ عَمَلٗا صَٰلِحٗا وَلَا يُشۡرِكۡ بِعِبَادَةِ رَبِّهِۦٓ أَحَدَۢا
言いなさい、使徒よ。「私はあなたたちと同じ人間に過ぎません。ただ私にはあなたたちが本当に崇めるべき存在は他に並ぶ者なき御方アッラーだということが啓示されるだけです。ですから主にお目見えするのを恐れる人は、その教えにかなった行いをし、純真にそれを主に捧げ、主にお仕えするうえで他のものを誰一人並べ立てないように。」
تەفسیرە عەرەبیەکان:
سوودەکانی ئایەتەکان لەم پەڕەیەدا:
• إثبات البعث والحشر بجمع الجن والإنس في ساحات القيامة بالنفخة الثانية في الصور.
●二回目の角笛が鳴らされることで、清算の日の広場に人間とジンが復活させられ、集められる。

• أن أشد الناس خسارة يوم القيامة هم الذين ضل سعيهم في الدنيا، وهم يظنون أنهم يحسنون صنعًا في عبادة من سوى الله.
●清算の日に最大の損失をこうむる人は、アッラー以外のものを崇めながら自分たちは正しいことをしていると思い込み、生前の努力が台無しになってしまう人である。

• لا يمكن حصر كلمات الله تعالى وعلمه وحكمته وأسراره، ولو كانت البحار والمحيطات وأمثالها دون تحديد حبرًا يكتب به.
●至高のアッラーの御言葉や知識、英知や奥義は、たとえいくつもの海や大洋などが墨となって書き記すことができたとしても、覆い尽くすことはできない。

 
وه‌رگێڕانی ماناكان سوره‌تی: سورەتی الكهف
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وه‌رگێڕانی ماناكانی قورئانی پیرۆز - وەرگێڕاوی یابانی بۆ پوختەی تەفسیری قورئانی پیرۆز - پێڕستی وه‌رگێڕاوه‌كان

وەرگێڕاوی یابانی بۆ پوختەی تەفسیری قورئانی پیرۆز، لە لایەن ناوەندی تەفسیر بۆ خوێندنەوە قورئانیەکان.

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