قَالَ ٱلَّذِي عِندَهُۥ عِلۡمٞ مِّنَ ٱلۡكِتَٰبِ أَنَا۠ ءَاتِيكَ بِهِۦ قَبۡلَ أَن يَرۡتَدَّ إِلَيۡكَ طَرۡفُكَۚ فَلَمَّا رَءَاهُ مُسۡتَقِرًّا عِندَهُۥ قَالَ هَٰذَا مِن فَضۡلِ رَبِّي لِيَبۡلُوَنِيٓ ءَأَشۡكُرُ أَمۡ أَكۡفُرُۖ وَمَن شَكَرَ فَإِنَّمَا يَشۡكُرُ لِنَفۡسِهِۦۖ وَمَن كَفَرَ فَإِنَّ رَبِّي غَنِيّٞ كَرِيمٞ
アッラーの偉大な名前はそれを祈りで唱えれば受け入れてもらえるものだが、それを含む啓典の知識を持つ者は言った。アッラーに祈れば、瞬きを一度する間に、わたしはその王座をあなたの元に持って参りましょう。そこでその男は祈り、アッラーはその祈りに答えられたので、それがかれの元に置かれたのを見て言った。これはわたしの主、アッラーの恩恵で、わたしが感謝するのか、または忘恩なのかを試みるためである。誰でも感謝する人は、自分のために感謝しているのであり、アッラーは何も必要とされず、僕の寄せる謝意によって、損も得もされない。忘恩な人がいても、確かにわたしの主、アッラーは、自存しておられる。謝意を必要とされず、気前が良い方で、そのことはかれを拒否する人にも供与されることがあるくらいだ。
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