Traduction des sens du Noble Coran - Traduction en japonais - Sa'îd Sato * - Lexique des traductions

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Traduction des sens Sourate: ACH-CHOURÂ   Verset:

相談章

حمٓ
ハー・ミーム。
Les exégèses en arabe:
عٓسٓقٓ
アイン・スィーン・カーフ。[1]
[1] アーヤ*1-2の文字群については、頻出名・用語解説の「クルアーンの冒頭に現れる文字群*」を参照。
Les exégèses en arabe:
كَذَٰلِكَ يُوحِيٓ إِلَيۡكَ وَإِلَى ٱلَّذِينَ مِن قَبۡلِكَ ٱللَّهُ ٱلۡعَزِيزُ ٱلۡحَكِيمُ
そのように(預言者*よ、)偉力ならびなく*、英知あふれる*アッラー*は、あなたに、そしてあなた以前の(預言)者*たちにも啓示[1]し給う。
[1] つまりアッラーの唯一性*と復活の信仰へと招く、啓示のこと(アッ=シャウカーニー4:688参照)。
Les exégèses en arabe:
لَهُۥ مَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَمَا فِي ٱلۡأَرۡضِۖ وَهُوَ ٱلۡعَلِيُّ ٱلۡعَظِيمُ
かれにこそ、諸天にあるものと大地にあるものは属するのであり、かれは至高の*お方、この上なく偉大なる*お方であられる。
Les exégèses en arabe:
تَكَادُ ٱلسَّمَٰوَٰتُ يَتَفَطَّرۡنَ مِن فَوۡقِهِنَّۚ وَٱلۡمَلَٰٓئِكَةُ يُسَبِّحُونَ بِحَمۡدِ رَبِّهِمۡ وَيَسۡتَغۡفِرُونَ لِمَن فِي ٱلۡأَرۡضِۗ أَلَآ إِنَّ ٱللَّهَ هُوَ ٱلۡغَفُورُ ٱلرَّحِيمُ
諸天は(アッラー*の偉大さと荘厳さゆえ、)その上方から割れ裂けんばかり。そして天使*たちは彼らの主*の称賛*と共に(かれを)称え*、大地にいる(信仰)者たちのため、赦しを乞う[1]。実にアッラー*こそは赦し深いお方、慈愛深い*お方ではないか。
[1] 人間に対する天使*の祈願については、赦し深いお方章7-9も参照。
Les exégèses en arabe:
وَٱلَّذِينَ ٱتَّخَذُواْ مِن دُونِهِۦٓ أَوۡلِيَآءَ ٱللَّهُ حَفِيظٌ عَلَيۡهِمۡ وَمَآ أَنتَ عَلَيۡهِم بِوَكِيلٖ
かれをよそに庇護者を設け(て崇め)た者たち、アッラー*は彼らの(行いを)見守られるお方であり、(使徒*よ、)あなたは(警告者であって)彼らの代理人なのではない。
Les exégèses en arabe:
وَكَذَٰلِكَ أَوۡحَيۡنَآ إِلَيۡكَ قُرۡءَانًا عَرَبِيّٗا لِّتُنذِرَ أُمَّ ٱلۡقُرَىٰ وَمَنۡ حَوۡلَهَا وَتُنذِرَ يَوۡمَ ٱلۡجَمۡعِ لَا رَيۡبَ فِيهِۚ فَرِيقٞ فِي ٱلۡجَنَّةِ وَفَرِيقٞ فِي ٱلسَّعِيرِ
そのように、われら*はあなたにアラビア語のクルアーン*を啓示した。(それは)あなたが都市の母と、その周辺[1]にいる者に警告を告げ、疑惑の余地のない集合の日[2]を警告するため。(そこにおいて)ある集団は天国にあり、またある集団[3]は烈火の中にある。
[1] 「都市の母」「その周辺にいる者」については、家畜章92の訳注を参照。 [2] つまり復活の日*の懲罰のこと(ムヤッサル483頁参照)。 [3] 前者の「集団」は、アッラー*を信じ、預言者*に従った集団。後者はその逆(前掲書、同頁参照)。
Les exégèses en arabe:
وَلَوۡ شَآءَ ٱللَّهُ لَجَعَلَهُمۡ أُمَّةٗ وَٰحِدَةٗ وَلَٰكِن يُدۡخِلُ مَن يَشَآءُ فِي رَحۡمَتِهِۦۚ وَٱلظَّٰلِمُونَ مَا لَهُم مِّن وَلِيّٖ وَلَا نَصِيرٍ
また、もしアッラー*がお望みだったならば、かれは彼ら(人々)を(導かれた)一つの共同体にされただろう。しかしかれは、かれがお望みになる者を、そのご慈悲の中にお入れになる。そして不正*者たち、彼らにはいかなる庇護者も援助者もない。
Les exégèses en arabe:
أَمِ ٱتَّخَذُواْ مِن دُونِهِۦٓ أَوۡلِيَآءَۖ فَٱللَّهُ هُوَ ٱلۡوَلِيُّ وَهُوَ يُحۡيِ ٱلۡمَوۡتَىٰ وَهُوَ عَلَىٰ كُلِّ شَيۡءٖ قَدِيرٞ
いや、一体彼ら(シルク*の徒)は、かれ(アッラー*)をよそに庇護者を設け(て崇め)るというのか?そうだとしてもアッラー*こそが(真の)庇護者*であり、かれは死んだものに生を与えられる。そしてかれは、全てのことがお出来なのだ。
Les exégèses en arabe:
وَمَا ٱخۡتَلَفۡتُمۡ فِيهِ مِن شَيۡءٖ فَحُكۡمُهُۥٓ إِلَى ٱللَّهِۚ ذَٰلِكُمُ ٱللَّهُ رَبِّي عَلَيۡهِ تَوَكَّلۡتُ وَإِلَيۡهِ أُنِيبُ
(人々よ、)あなた方がそこ(宗教)において、何について意見を異にしたにせよ、その裁決はアッラー*に属するのだ。(使徒*よ、言え。)「そのお方がアッラー*、我が主*。かれにこそ、私は全てを委ね*、かれにこそ、私はよく(悔悟して)立ち返るのだ」。
Les exégèses en arabe:
فَاطِرُ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۚ جَعَلَ لَكُم مِّنۡ أَنفُسِكُمۡ أَزۡوَٰجٗا وَمِنَ ٱلۡأَنۡعَٰمِ أَزۡوَٰجٗا يَذۡرَؤُكُمۡ فِيهِۚ لَيۡسَ كَمِثۡلِهِۦ شَيۡءٞۖ وَهُوَ ٱلسَّمِيعُ ٱلۡبَصِيرُ
(アッラー*は)諸天と大地の創成者*。かれはあなた方自身の内から、あなた方のために配偶者を創られ、家畜の内からも雌雄をお創りになった。かれはそこにおいて、あなた方を繁茂させるのである。いかなるものも、かれには似ていない[1]。そしてかれはよくお聞きになるお方、よくご覧になるお方である。
[1] アッラー*、はその本質、美名、属性、行為において、いかなる創造物にも似ていない(ムヤッサル484頁参照)。ビザンチン章27も参照。
Les exégèses en arabe:
لَهُۥ مَقَالِيدُ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۖ يَبۡسُطُ ٱلرِّزۡقَ لِمَن يَشَآءُ وَيَقۡدِرُۚ إِنَّهُۥ بِكُلِّ شَيۡءٍ عَلِيمٞ
かれにこそ、諸天と大地の鍵は属する[1]。アッラー*は、かれがお望みの者に糧を豊富に与えられ、また控えられる[2]。本当にかれは、全てのことをご存知であるのだから。
[1] 天地の王権、慈悲と糧の鍵はアッラー*にこそ属する(前掲書、同頁参照)。 [2] 物語章82、サバア章36、暁章15-16とその訳注も参照。
Les exégèses en arabe:
۞ شَرَعَ لَكُم مِّنَ ٱلدِّينِ مَا وَصَّىٰ بِهِۦ نُوحٗا وَٱلَّذِيٓ أَوۡحَيۡنَآ إِلَيۡكَ وَمَا وَصَّيۡنَا بِهِۦٓ إِبۡرَٰهِيمَ وَمُوسَىٰ وَعِيسَىٰٓۖ أَنۡ أَقِيمُواْ ٱلدِّينَ وَلَا تَتَفَرَّقُواْ فِيهِۚ كَبُرَ عَلَى ٱلۡمُشۡرِكِينَ مَا تَدۡعُوهُمۡ إِلَيۡهِۚ ٱللَّهُ يَجۡتَبِيٓ إِلَيۡهِ مَن يَشَآءُ وَيَهۡدِيٓ إِلَيۡهِ مَن يُنِيبُ
(人々よ、)かれは、かれがヌーフ*に命じた宗教の一部を、あなた方に明らかにした。また、(使徒*よ、)われら*[1]があなたに啓示したものと、イブラーヒーム*とムーサー*とイーサー*[2]に命じたものを。つまり「あなた方は宗教を確立し[3]し、そこにおいて分裂してはならない」ということである。(ムハンマド*よ、)あなたが彼らを招いているもの、(タウヒード*)はシルク*の徒にとって重大であった。アッラー*はかれがお望みの者をそこ(タウヒード*)へと選び抜かれ、よく(悔悟して)立ち返る者をそこへと導かれる。
[1] この主語の転換については、食卓章12「われら*」の訳注を参照。 [2] ここで言及されている五人の使徒*については、部族連合章7の訳注を参照。 [3] アッラー*のタウヒード*と、かれへの服従、かれのみの崇拝*によって、「宗教を確立」すること(前掲書、同頁参照)。
Les exégèses en arabe:
وَمَا تَفَرَّقُوٓاْ إِلَّا مِنۢ بَعۡدِ مَا جَآءَهُمُ ٱلۡعِلۡمُ بَغۡيَۢا بَيۡنَهُمۡۚ وَلَوۡلَا كَلِمَةٞ سَبَقَتۡ مِن رَّبِّكَ إِلَىٰٓ أَجَلٖ مُّسَمّٗى لَّقُضِيَ بَيۡنَهُمۡۚ وَإِنَّ ٱلَّذِينَ أُورِثُواْ ٱلۡكِتَٰبَ مِنۢ بَعۡدِهِمۡ لَفِي شَكّٖ مِّنۡهُ مُرِيبٖ
彼ら(シルク*の徒)が(宗教において)分裂したのは、彼らのもとに知識が到来した後のこと、彼らの間の侵犯ゆえ以外の何ものでもなかった[1]。そして定められた期限[2]までの、あなたの主*からの先んじた御言葉がなかったならば、彼らの間には(早期での懲罰という)裁決が下されていただろう。本当に、彼らの後に啓典を引き継がされた者たち(啓典の民*)は、そこ(宗教と信仰)における大きな疑惑の真っ只中にあるのだ。
[1] この「知識」とは、「分裂の禁止」「使徒*の到来」「使徒*や啓典」についての知識など、諸説ある(アル=バイダーウィー5:125参照)。「侵犯」については、雌牛章213とその訳注を参照。 [2] この「期限」の解釈には、「復活の日*」「彼らが現世で罰されることになっている日」(アル=クルトゥビー16:12参照)「彼らの死期」などの説がある(アル=バイダーウィー5:125参照)。
Les exégèses en arabe:
فَلِذَٰلِكَ فَٱدۡعُۖ وَٱسۡتَقِمۡ كَمَآ أُمِرۡتَۖ وَلَا تَتَّبِعۡ أَهۡوَآءَهُمۡۖ وَقُلۡ ءَامَنتُ بِمَآ أَنزَلَ ٱللَّهُ مِن كِتَٰبٖۖ وَأُمِرۡتُ لِأَعۡدِلَ بَيۡنَكُمُۖ ٱللَّهُ رَبُّنَا وَرَبُّكُمۡۖ لَنَآ أَعۡمَٰلُنَا وَلَكُمۡ أَعۡمَٰلُكُمۡۖ لَا حُجَّةَ بَيۡنَنَا وَبَيۡنَكُمُۖ ٱللَّهُ يَجۡمَعُ بَيۡنَنَاۖ وَإِلَيۡهِ ٱلۡمَصِيرُ
ならば(使徒*よ)、あなた[1]はそこ(正しい宗教)へと招き、自分が命じられたようにまっすぐであれ。そして、彼ら(真実に疑念を抱く者たち)の私欲に従ってはならない。また、言うのだ。「私は、アッラー*が啓典として下された(全ての)ものを信じた。そして私は、あなた方の間を公正に取り持つことを命じられたのである。アッラー*は私たちの主*であり、あなた方の主*。私たちには私たちの行い(の報い)があり、あなた方にはあなた方の行い(の報い)がある。(真実が明らかになった後、)私たちとあなた方の間に、議論の余地はない。アッラー*は(復活の日*、)私たちをお集めにな(り、真実でお裁きにな)る。そしてかれにこそ、戻り場所があるのだ」。
[1] この「あなた」については、雌牛章120の訳注を参照。以下、同様の表現の際にも、同訳注を参照。
Les exégèses en arabe:
وَٱلَّذِينَ يُحَآجُّونَ فِي ٱللَّهِ مِنۢ بَعۡدِ مَا ٱسۡتُجِيبَ لَهُۥ حُجَّتُهُمۡ دَاحِضَةٌ عِندَ رَبِّهِمۡ وَعَلَيۡهِمۡ غَضَبٞ وَلَهُمۡ عَذَابٞ شَدِيدٌ
アッラー*(の宗教)について、彼(預言者*ムハンマド*の呼びかけ)が(人々に)応じられ(て、従われ)た後、(盾ついて)議論する者たち、彼らの議論はその主*の御許で脆いものである。そして彼らの上には(現世ではアッラー*からの)お怒りがあり、(来世では)厳しい懲罰があるのだ。
Les exégèses en arabe:
ٱللَّهُ ٱلَّذِيٓ أَنزَلَ ٱلۡكِتَٰبَ بِٱلۡحَقِّ وَٱلۡمِيزَانَۗ وَمَا يُدۡرِيكَ لَعَلَّ ٱلسَّاعَةَ قَرِيبٞ
アッラー*は真理と共に啓典と、秤[1]をお下しになったお方。そして(復活の)その時が近いかもしれないこと[2]を、何があなたに知らせるというのか?
[1] この「秤」は、公正さのこと(ムヤッサル485頁参照)。鉄章25も参照。 [2] 「復活の日*の近さ」については、蜜蜂章1、預言者*たち章1の訳注も参照。
Les exégèses en arabe:
يَسۡتَعۡجِلُ بِهَا ٱلَّذِينَ لَا يُؤۡمِنُونَ بِهَاۖ وَٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ مُشۡفِقُونَ مِنۡهَا وَيَعۡلَمُونَ أَنَّهَا ٱلۡحَقُّۗ أَلَآ إِنَّ ٱلَّذِينَ يُمَارُونَ فِي ٱلسَّاعَةِ لَفِي ضَلَٰلِۭ بَعِيدٍ
それを信じない者たちは、それ(が到来するの)を性急に求める[1]。そして信仰する者たちは、それ(の到来)を怯える者たちであり、それが真実であることを知っている。本当に、その時(の到来)について疑わしく思っている者たちはまさしく、遠い迷いの中にあるのだ。
[1] 彼らは復活の日*を嘘とし、あり得ないこととして、不信仰と頑迷さから、このように言った(イブン・カスィール7:197参照)。家畜章57-58、戦利品*章32、ユーヌス*章50、フード*章8、雷鳴章6、夜の旅章92、巡礼*章47、蜘蛛章53-54、サード章16、階段章1-2も参照。
Les exégèses en arabe:
ٱللَّهُ لَطِيفُۢ بِعِبَادِهِۦ يَرۡزُقُ مَن يَشَآءُۖ وَهُوَ ٱلۡقَوِيُّ ٱلۡعَزِيزُ
アッラー*はその僕たちに対して霊妙な*お方であり、かれがお望みの者に糧をお授けになる。そしてかれは強力なお方、偉力ならびない*お方。
Les exégèses en arabe:
مَن كَانَ يُرِيدُ حَرۡثَ ٱلۡأٓخِرَةِ نَزِدۡ لَهُۥ فِي حَرۡثِهِۦۖ وَمَن كَانَ يُرِيدُ حَرۡثَ ٱلدُّنۡيَا نُؤۡتِهِۦ مِنۡهَا وَمَا لَهُۥ فِي ٱلۡأٓخِرَةِ مِن نَّصِيبٍ
われら*は、来世の収穫を望んでいた者[1]には誰でも、その収穫に上乗せする。そして現世の収穫(だけ)を望んでいた者にも、そこから与えてやるが、彼には来世において少しの取り分もないのだ。[2]
[1] 来世を信じ、その褒美ゆえに努力する者のこと(アッ=サァディー756頁参照)。 [2] 夜の旅章18-21も参照(イブン・カスィール7:198参照)。
Les exégèses en arabe:
أَمۡ لَهُمۡ شُرَكَٰٓؤُاْ شَرَعُواْ لَهُم مِّنَ ٱلدِّينِ مَا لَمۡ يَأۡذَنۢ بِهِ ٱللَّهُۚ وَلَوۡلَا كَلِمَةُ ٱلۡفَصۡلِ لَقُضِيَ بَيۡنَهُمۡۗ وَإِنَّ ٱلظَّٰلِمِينَ لَهُمۡ عَذَابٌ أَلِيمٞ
いや、一体彼ら(シルク*の徒)には、アッラー*がお許しにもなっていないことを、彼らの宗教として定めた共同者たち[1]がいるというのか?そして(彼らの懲罰の猶予を定めた)裁断の御言葉がなければ、彼らの間には裁決が下されていただろう[2]。本当に(アッラー*を信じない)不正*者たちには(復活の日*)、痛ましい懲罰がある。
[1] この「共同者たち」とは、不信仰における共同者であり、彼らをそこへと促していたシャイターン*のこと。あるいは、彼らがアッラー*に並べて崇めていた偶像のこと(アル=カースィミー14:5237参照)。 [2] このアーヤ*の詳細については、アーヤ*14とその訳注を参照。
Les exégèses en arabe:
تَرَى ٱلظَّٰلِمِينَ مُشۡفِقِينَ مِمَّا كَسَبُواْ وَهُوَ وَاقِعُۢ بِهِمۡۗ وَٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ فِي رَوۡضَاتِ ٱلۡجَنَّاتِۖ لَهُم مَّا يَشَآءُونَ عِندَ رَبِّهِمۡۚ ذَٰلِكَ هُوَ ٱلۡفَضۡلُ ٱلۡكَبِيرُ
(使徒*よ、)あなたは(復活の日*に)不正*者たちが怯えるのを見る。彼らが(現世で)稼いだものゆえ、それ(懲罰)が自分たちに降りかかってくる状況の中で。一方、信仰し、正しい行い*を行う者たちは、天国の庭園にある。彼らにはその御許に、望むものがあるのだ。それこそは大いなる恩寵なのである。
Les exégèses en arabe:
ذَٰلِكَ ٱلَّذِي يُبَشِّرُ ٱللَّهُ عِبَادَهُ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِۗ قُل لَّآ أَسۡـَٔلُكُمۡ عَلَيۡهِ أَجۡرًا إِلَّا ٱلۡمَوَدَّةَ فِي ٱلۡقُرۡبَىٰۗ وَمَن يَقۡتَرِفۡ حَسَنَةٗ نَّزِدۡ لَهُۥ فِيهَا حُسۡنًاۚ إِنَّ ٱللَّهَ غَفُورٞ شَكُورٌ
それはアッラー*が、信仰して正しい行い*を行うその僕たちに、吉報をお告げになっているもの。(使徒*よ、)言うのだ。「私はそのことで、あなた方に見返りを要求しているわけではない[1]。ただ、近親関係における愛情(を、あなた方から求める)だけ」。そして一つの善を稼ぐ者には、われら*がそこに善を上乗せしてやる。本当にアッラー*は赦し深いお方、よく労わられる*お方。
[1] この「見返りの要求」については、家畜章90の訳注を参照。
Les exégèses en arabe:
أَمۡ يَقُولُونَ ٱفۡتَرَىٰ عَلَى ٱللَّهِ كَذِبٗاۖ فَإِن يَشَإِ ٱللَّهُ يَخۡتِمۡ عَلَىٰ قَلۡبِكَۗ وَيَمۡحُ ٱللَّهُ ٱلۡبَٰطِلَ وَيُحِقُّ ٱلۡحَقَّ بِكَلِمَٰتِهِۦٓۚ إِنَّهُۥ عَلِيمُۢ بِذَاتِ ٱلصُّدُورِ
いや、一体彼ら(シルク*の徒)は、「彼(ムハンマド*)はアッラー*に対して嘘を捏造した[1]」と言うのか?もし(使徒*よ、あなたがそのようなことをし、)アッラー*がお望みになれば、かれはあなたの心を塞がれよう[2]。アッラー*は虚妄を無に帰させられ、その御言葉によって真理を確立させられる[3]。本当にかれは、(人々の)胸の内をご存知であられるのだから。
[1] つまり彼らは、クルアーン*が嘘だと主張した(ムヤッサル486頁参照)。関連するアーヤ*として、家畜章105、蜜蜂章103、識別章4-5、煙霧章14も参照。 [2] 同様のアーヤ*として、真実章44-47も参照(イブン・カスィール7:204参照)。 [3] ここでの「真理」と「虚妄」については、戦利品*章8の訳注を参照。
Les exégèses en arabe:
وَهُوَ ٱلَّذِي يَقۡبَلُ ٱلتَّوۡبَةَ عَنۡ عِبَادِهِۦ وَيَعۡفُواْ عَنِ ٱلسَّيِّـَٔاتِ وَيَعۡلَمُ مَا تَفۡعَلُونَ
またかれは、(アッラー*だけに服従する)その僕たちから悔悟をお受け入れになり、悪行を大目に見られ、あなた方のすることをご存知のお方。
Les exégèses en arabe:
وَيَسۡتَجِيبُ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ وَيَزِيدُهُم مِّن فَضۡلِهِۦۚ وَٱلۡكَٰفِرُونَ لَهُمۡ عَذَابٞ شَدِيدٞ
また信仰し、正しい行い*を行う者たちは(アッラー*の呼びかけに)応え(て服従す)るのであり、かれはそのご恩寵から彼らに上乗せされる。そして不信仰者*たちには、(復活の日*に)厳しい懲罰があるのだ。
Les exégèses en arabe:
۞ وَلَوۡ بَسَطَ ٱللَّهُ ٱلرِّزۡقَ لِعِبَادِهِۦ لَبَغَوۡاْ فِي ٱلۡأَرۡضِ وَلَٰكِن يُنَزِّلُ بِقَدَرٖ مَّا يَشَآءُۚ إِنَّهُۥ بِعِبَادِهِۦ خَبِيرُۢ بَصِيرٞ
もしアッラー*が、その僕たちに糧を豊富に与えられたならば、彼らは地上で度を越した[1]であろう。しかしかれは、彼がお望みになるものを適度に下されるのだ。本当にかれは、その僕たちのことを通暁されるお方、よくご覧になるお方。
[1] この「度を越す」の解釈には、「放埓になり、反抗的になる」「多くのものを与えられれば、更に多くのものを求める」「富ゆえに互いに侵害し合う」「高慢になる」といった諸説がある(アル=クルトゥビー16:27参照)。
Les exégèses en arabe:
وَهُوَ ٱلَّذِي يُنَزِّلُ ٱلۡغَيۡثَ مِنۢ بَعۡدِ مَا قَنَطُواْ وَيَنشُرُ رَحۡمَتَهُۥۚ وَهُوَ ٱلۡوَلِيُّ ٱلۡحَمِيدُ
かれは、彼らが(旱魃による)絶望の底に陥った後に、慈雨を下され、そのご慈悲を広められるお方。かれは庇護者*、称賛されるべき*お方。
Les exégèses en arabe:
وَمِنۡ ءَايَٰتِهِۦ خَلۡقُ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِ وَمَا بَثَّ فِيهِمَا مِن دَآبَّةٖۚ وَهُوَ عَلَىٰ جَمۡعِهِمۡ إِذَا يَشَآءُ قَدِيرٞ
諸天と大地の創造と、歩行生物の内、かれがその両方に散開させられたもの[1]は、かれの(偉大さと御力、権威を示す)御徴の一つである。そしてかれは(復活の日*)、かれがお望みになる時に、それらを集合させることがお出来になるお方。
[1] アッラー*が諸天に散開させられた「歩行生物」の解釈には、「天使*」「未知の生物」「そもそも『両方』ではなく、大地だけが意図されている」といった説がある(イブン・ジュザイ2:303参照)。また一説に、地上に下りれば歩行する鳥類のこと(イブン・アーシュール25:97参照)。
Les exégèses en arabe:
وَمَآ أَصَٰبَكُم مِّن مُّصِيبَةٖ فَبِمَا كَسَبَتۡ أَيۡدِيكُمۡ وَيَعۡفُواْ عَن كَثِيرٖ
(人々よ、)いかなる災難であれ、あなた方に降りかかったものは、あなた方の手が稼いだ(悪)事ゆえのこと[1]。そして、かれは多く(の悪行)を大目に見られる[2]
[1] 関連するアーヤ*として、婦人章79とその訳注も参照。 [2] 蜜蜂章61、創成者*章45も参照。
Les exégèses en arabe:
وَمَآ أَنتُم بِمُعۡجِزِينَ فِي ٱلۡأَرۡضِۖ وَمَا لَكُم مِّن دُونِ ٱللَّهِ مِن وَلِيّٖ وَلَا نَصِيرٖ
あなた方は地上で、(アッラー*の御力から)逃れられる者ではない。そしてあなた方にはアッラー*の外に、いかなる庇護者も援助者もないのだ。
Les exégèses en arabe:
وَمِنۡ ءَايَٰتِهِ ٱلۡجَوَارِ فِي ٱلۡبَحۡرِ كَٱلۡأَعۡلَٰمِ
また、山々のように海を進むもの[1]は、かれの(御力、権威を示す)御徴の一つ。
[1] 「山々のように・・・」とは、大きな船のこと(ムヤッサル487頁参照)。 慈悲あまねき*お方章24の訳注も参照。
Les exégèses en arabe:
إِن يَشَأۡ يُسۡكِنِ ٱلرِّيحَ فَيَظۡلَلۡنَ رَوَاكِدَ عَلَىٰ ظَهۡرِهِۦٓۚ إِنَّ فِي ذَٰلِكَ لَأٓيَٰتٖ لِّكُلِّ صَبَّارٖ شَكُورٍ
もしかれがお望みなら、風を鎮められ、それら(の船)は(海の)その表面に停留し続ける。本当にその中にはまさしく、忍耐*強く感謝深い[1]全ての者への、御徴がある。
[1] 「忍耐*強く感謝深い」については、イブラーヒーム*章5の訳注を参照。
Les exégèses en arabe:
أَوۡ يُوبِقۡهُنَّ بِمَا كَسَبُواْ وَيَعۡفُ عَن كَثِيرٖ
あるいは、かれは彼らが稼いだもの[1]ゆえに、それら(の船)を沈没させられる。そしてかれは、多く(の罪)を大目に見られるのだ。
[1] 船に乗っている者たちの罪のこと(ムヤッサル487頁参照)。アーヤ*30とその訳注も参照。
Les exégèses en arabe:
وَيَعۡلَمَ ٱلَّذِينَ يُجَٰدِلُونَ فِيٓ ءَايَٰتِنَا مَا لَهُم مِّن مَّحِيصٖ
われら*の(唯一性*を示す)御徴に対して(虚妄を用いて)議論する者たちが、自分たちには(アッラー*の懲罰から)逃げ道一つないことを知るように、(われら*は彼らを溺れさせるの)である。
Les exégèses en arabe:
فَمَآ أُوتِيتُم مِّن شَيۡءٖ فَمَتَٰعُ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَاۚ وَمَا عِندَ ٱللَّهِ خَيۡرٞ وَأَبۡقَىٰ لِلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَلَىٰ رَبِّهِمۡ يَتَوَكَّلُونَ
(人々よ、)あなた方がいかなるものを授けられたとしても、(それは)現世の生活の(儚い)楽しみ。そしてアッラー*の御許にあるものは、信仰し、自分たちの主*に全てを委ねる*者たちにとって、より善く、より長く続くものなのだ。
Les exégèses en arabe:
وَٱلَّذِينَ يَجۡتَنِبُونَ كَبَٰٓئِرَ ٱلۡإِثۡمِ وَٱلۡفَوَٰحِشَ وَإِذَا مَا غَضِبُواْ هُمۡ يَغۡفِرُونَ
そして(彼らは)、罪の内の大きなもの[1]と醜行[2]を避け、(誰かに悪くされて)怒ってしまった時にも、赦してやる[3]者たち。
[1] 「罪の内の大きなもの」については、頻出名・用語解説の「大罪*」を参照。 [2] 「醜行」については、蜜蜂章90の訳注を参照。 [3] 詳細にされた章34-35も参照。
Les exégèses en arabe:
وَٱلَّذِينَ ٱسۡتَجَابُواْ لِرَبِّهِمۡ وَأَقَامُواْ ٱلصَّلَوٰةَ وَأَمۡرُهُمۡ شُورَىٰ بَيۡنَهُمۡ وَمِمَّا رَزَقۡنَٰهُمۡ يُنفِقُونَ
また(彼らは、)その主*(の唯一性*と服従の呼びかけ)に応え、礼拝を遵守*し、その諸事が彼らの間の相談(によって決定されるの)であり、われら*が彼らに授けたものの内から(施しとして)費やす[1]者たち。
[1] 「われら*が・・・費やす」については、雌牛章3の訳注を参照。
Les exégèses en arabe:
وَٱلَّذِينَ إِذَآ أَصَابَهُمُ ٱلۡبَغۡيُ هُمۡ يَنتَصِرُونَ
また(彼らは)侵害に遭えば、(その侵害に対して)打ち勝つ[1]者たち。
[1] 不正*や侵害に打ち勝つ力があり、無力でも惨(みじ)めでもない。その一方で預言者*ムハンマド*は、侵害に報いる力がありながら、自分を迫害した者たち、魔術をかけた者、毒殺しようとした者など、自分を害した多くの者たちを赦したものだった(イブン・カスィール7:211参照)。蜜蜂章129も参照。
Les exégèses en arabe:
وَجَزَٰٓؤُاْ سَيِّئَةٖ سَيِّئَةٞ مِّثۡلُهَاۖ فَمَنۡ عَفَا وَأَصۡلَحَ فَأَجۡرُهُۥ عَلَى ٱللَّهِۚ إِنَّهُۥ لَا يُحِبُّ ٱلظَّٰلِمِينَ
一つの悪の報いは、それと同様の一つの悪[1]。それで(悪を行った者を)大目に見。(その者との関係を)改善するならば、その褒美はアッラー*の御許で確定する。本当にかれは、不正*者たちをお好みにはならないのだから。
[1] 二番目の「悪」は報復のことであり、そもそも「悪」ではないが、表面上の類似点から同じ言い回しが用いられている(アル=バガウィー4:151参照)。雌牛章178「キサース刑」についての訳注も参照。
Les exégèses en arabe:
وَلَمَنِ ٱنتَصَرَ بَعۡدَ ظُلۡمِهِۦ فَأُوْلَٰٓئِكَ مَا عَلَيۡهِم مِّن سَبِيلٍ
またその不正*の後、(自分に不正*を働いた者に対して)打ち勝つ者、それらの者たちには(そうすることで、)咎められる謂れはない。
Les exégèses en arabe:
إِنَّمَا ٱلسَّبِيلُ عَلَى ٱلَّذِينَ يَظۡلِمُونَ ٱلنَّاسَ وَيَبۡغُونَ فِي ٱلۡأَرۡضِ بِغَيۡرِ ٱلۡحَقِّۚ أُوْلَٰٓئِكَ لَهُمۡ عَذَابٌ أَلِيمٞ
実に咎められるべきは、人々に不正*を働き、地上において不当に度を越す者たち。それらの者たちには、厳しい懲罰がある。
Les exégèses en arabe:
وَلَمَن صَبَرَ وَغَفَرَ إِنَّ ذَٰلِكَ لَمِنۡ عَزۡمِ ٱلۡأُمُورِ
また忍耐*し、赦してやる者こそは、本当にそれこそは、あなた方が決意を固めるべき事柄の内のもの。
Les exégèses en arabe:
وَمَن يُضۡلِلِ ٱللَّهُ فَمَا لَهُۥ مِن وَلِيّٖ مِّنۢ بَعۡدِهِۦۗ وَتَرَى ٱلظَّٰلِمِينَ لَمَّا رَأَوُاْ ٱلۡعَذَابَ يَقُولُونَ هَلۡ إِلَىٰ مَرَدّٖ مِّن سَبِيلٖ
アッラー*が(その者の不正*ゆえに)迷わせ給う者には、かれをおいて、いかなる庇護者もない。そして(使徒*よ、)あなたは(復活の日*)、不正*者たちが懲罰を目の当たりにする時、(こう)言うのを見出すであろう。「(私たちに、現世へ)戻る術はありますでしょうか?」[1]
[1] いざ復活の日*(あるいは死)が到来すると、彼らは現世での猶予や、現世への回帰を求める。だが、もちろんそれは叶わない。家畜章27-28、高壁章53、イブラーヒーム*章44、信仰者たち章99-100、アッ=サジダ*章12、創成者*章37、赦し深いお方章11-12、偽信者*たち章10-11も参照。
Les exégèses en arabe:
وَتَرَىٰهُمۡ يُعۡرَضُونَ عَلَيۡهَا خَٰشِعِينَ مِنَ ٱلذُّلِّ يَنظُرُونَ مِن طَرۡفٍ خَفِيّٖۗ وَقَالَ ٱلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ إِنَّ ٱلۡخَٰسِرِينَ ٱلَّذِينَ خَسِرُوٓاْ أَنفُسَهُمۡ وَأَهۡلِيهِمۡ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِۗ أَلَآ إِنَّ ٱلظَّٰلِمِينَ فِي عَذَابٖ مُّقِيمٖ
また(使徒*よ)、あなたは彼らが、そこ(業火)に晒されるのを見る。彼らは屈辱ゆえになす術もなく、(懲罰を、その恐怖ゆえに)ちらちらと横目で見る。(現世で)信仰していた者たちは(これを見て)、言う。「本当に(真の)損失者たちとは、復活の日*に自分たちとその家族を(、業火に入れることによって)損ねた者たちのこと。まさに不正*者たちは、永遠の懲罰の中にあるのではないか」。
Les exégèses en arabe:
وَمَا كَانَ لَهُم مِّنۡ أَوۡلِيَآءَ يَنصُرُونَهُم مِّن دُونِ ٱللَّهِۗ وَمَن يُضۡلِلِ ٱللَّهُ فَمَا لَهُۥ مِن سَبِيلٍ
また、彼らには(復活の日*)、アッラー*をおいて彼らを助けてくれる、いかなる庇護者もない。アッラー*が(その者の不信仰ゆえに)迷わせ給うた者には、いかなる道[1]もないのだ。
[1] 現世では真理へと至る「道」、来世では天国へと至る「道」のこと(ムヤッサル488頁参照)。
Les exégèses en arabe:
ٱسۡتَجِيبُواْ لِرَبِّكُم مِّن قَبۡلِ أَن يَأۡتِيَ يَوۡمٞ لَّا مَرَدَّ لَهُۥ مِنَ ٱللَّهِۚ مَا لَكُم مِّن مَّلۡجَإٖ يَوۡمَئِذٖ وَمَا لَكُم مِّن نَّكِيرٖ
(不信仰者*たちよ、)アッラー*からそれを押し戻す術のない(復活の)日*が来る前に、あなた方の主*に(信仰と服従によって)応えるのだ。その日、あなた方には(懲罰からの)いかなる避難所もなく、あなた方にはいかなる否認もない[1]
[1] この解釈には、「その日、彼らに襲いかかる懲罰を否認する者はない」「自分たちの罪を否認する者はない」「いかなる援助者もない」といった諸説がある(アル=クルトゥビー16:47参照)。
Les exégèses en arabe:
فَإِنۡ أَعۡرَضُواْ فَمَآ أَرۡسَلۡنَٰكَ عَلَيۡهِمۡ حَفِيظًاۖ إِنۡ عَلَيۡكَ إِلَّا ٱلۡبَلَٰغُۗ وَإِنَّآ إِذَآ أَذَقۡنَا ٱلۡإِنسَٰنَ مِنَّا رَحۡمَةٗ فَرِحَ بِهَاۖ وَإِن تُصِبۡهُمۡ سَيِّئَةُۢ بِمَا قَدَّمَتۡ أَيۡدِيهِمۡ فَإِنَّ ٱلۡإِنسَٰنَ كَفُورٞ
それで、たとえ彼らが(信仰から)背を向けても、(使徒*よ、)われら*はあなたを彼らの監視役[1]として遣わしたわけではない。あなたの使命は、(啓示の)伝達のみ。われら*が人間に、われら*の御許から慈悲[2]を味わわせれば、彼らはそれに有頂天になる。そしてもし悪[3]が、自らの手が行った(悪)事ゆえに彼らを襲えば(、彼らは恩知らずになる)。本当に人間は、不信仰この上ない。
[1] 「監視役」については、婦人章80の訳注を参照。 [2] ここでの「慈悲」とは、健康、豊かな糧、地位などのこと(アッ=サァディー761頁参照)。 [3] この「悪」とは、病気、貧困などのこと(前掲書、同頁参照)。
Les exégèses en arabe:
لِّلَّهِ مُلۡكُ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۚ يَخۡلُقُ مَا يَشَآءُۚ يَهَبُ لِمَن يَشَآءُ إِنَٰثٗا وَيَهَبُ لِمَن يَشَآءُ ٱلذُّكُورَ
アッラー*にこそ、諸天と大地の王権は属する。かれはお望みのものを創られる。お望みの者には女(子のみ)を授けられ、お望みになる者には男(子のみ)を授けられるのだ。
Les exégèses en arabe:
أَوۡ يُزَوِّجُهُمۡ ذُكۡرَانٗا وَإِنَٰثٗاۖ وَيَجۡعَلُ مَن يَشَآءُ عَقِيمًاۚ إِنَّهُۥ عَلِيمٞ قَدِيرٞ
あるいは、かれは(お望みの者に)男子と女子(の両方)を、組み合わせ(て授け)られる。そしてお望みの者を、不妊されるのだ。本当にかれは全知者、全能者であられる。
Les exégèses en arabe:
۞ وَمَا كَانَ لِبَشَرٍ أَن يُكَلِّمَهُ ٱللَّهُ إِلَّا وَحۡيًا أَوۡ مِن وَرَآيِٕ حِجَابٍ أَوۡ يُرۡسِلَ رَسُولٗا فَيُوحِيَ بِإِذۡنِهِۦ مَا يَشَآءُۚ إِنَّهُۥ عَلِيٌّ حَكِيمٞ
アッラー*が人間に語りかけ給うことなどは、あり得べくもない。しかし啓示によるものか、または覆いの向こうから(語りかけられるもの)、あるいは御使いを遣わせて、かれのお許しと共に、かれがお望みのことを啓示し給う場合は別である[1]。本当にかれは、至高の*お方、英知あふれる*お方であられる。
[1] 「啓示によるもの」とは、啓示を使徒の心の中に下すこと。「覆いの向こうから語りかける」とは、ムーサー*が経験したように、見えないところから直接語りかけられること。「御使いを遣わせる」とは、ジブリール*などの天使*を介して、アッラー*が語りかけること(前掲章762頁参照)。
Les exégèses en arabe:
وَكَذَٰلِكَ أَوۡحَيۡنَآ إِلَيۡكَ رُوحٗا مِّنۡ أَمۡرِنَاۚ مَا كُنتَ تَدۡرِي مَا ٱلۡكِتَٰبُ وَلَا ٱلۡإِيمَٰنُ وَلَٰكِن جَعَلۡنَٰهُ نُورٗا نَّهۡدِي بِهِۦ مَن نَّشَآءُ مِنۡ عِبَادِنَاۚ وَإِنَّكَ لَتَهۡدِيٓ إِلَىٰ صِرَٰطٖ مُّسۡتَقِيمٖ
また(預言者*よ)、われら*はそのように、われら*の命令による魂[1]を、あなたに啓示した。あなたは(それ以前、)啓典が、そして信仰が何かを、知らなかったのだ。しかしわれら*はそれ(クルアーン*)を、われら*が望む僕たちを導く、光としたのである。(使徒*よ、)本当にあなたはまさしく、まっすぐな道(イスラーム*)へと導くのだ[2]
[1] 「われら*の命令による魂を、あなたに啓示した」とは、奇跡的な文体と驚異的な構成からなるクルアーン*を、かれがお望みの形で、お望みの者に下されたこと(アル=クルトゥビー16:55参照)。ここで啓示が「魂」と呼ばれている理由については、赦し深いお方章15の訳注を参照。 [2] 前者の「導き」は、「導きを授けること」であり、アッラー*だけに可能な特別な導きのこと。一方、後者の「導き」は「説明、案内による導き」であり、一般的な導きのこと(アッ=シャンキーティー7:21参照)。雌牛章272、蜜蜂章37、ユーヌス*章99-100、蟻章80、物語章56とその訳注も参照。
Les exégèses en arabe:
صِرَٰطِ ٱللَّهِ ٱلَّذِي لَهُۥ مَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَمَا فِي ٱلۡأَرۡضِۗ أَلَآ إِلَى ٱللَّهِ تَصِيرُ ٱلۡأُمُورُ
諸天と大地にあるもの(全て)が属するお方(アッラー*)の道へ。アッラー*の御許にこそ、(全ての)物事は戻り行くので(あり、各人はその行いによって、報いを受けるので)はないか。
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Traduction des sens Sourate: ACH-CHOURÂ
Lexique des sourates Numéro de la page
 
Traduction des sens du Noble Coran - Traduction en japonais - Sa'îd Sato - Lexique des traductions

ترجمة معاني القرآن الكريم إلى اللغة اليابانية، ترجمها سعيد ساتو، طبعة عام 1440هـ.

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